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『資本論』は「商品」しか取り上げていない――サービスという概念がなかった時代 / 現代では「搾取」の論理も成り立たない

「今日は、『資本論』を取り上げますが、まず言葉から行きたいと思います。我々は普通に資本主義と言っていますが、考えてみると変な言葉だと思います」

女性

「どうしてですか?」

「主義というのは、イデオロギーを意味し、一つの考え方ということです。資本主義という言い方をしますが、これは誰かが考案したものではありません」

女性

「成る程、社会主義とか、共産主義は誰かが考案したものですよね」

「それはマルクスですが、彼は、実は資本主義とは言っておらず、資本制社会という言い方を「資本論」の中でしています。そして、その「資本」とは一体何なのかということで書いたのが「資本論」なのです」

女性

「資本制社会であれば、正しい表現ですか?」

「そうですね、資本主義と言い始めたために、社会主義・共産主義と対比され、変な誤解が連鎖反応のように起こったというのが私の見方です」

女性

「前のブログでも資本主義というのは、長い人類の自由競争市場の産業革命以降の一断面を言い表した言葉だと、おっしゃっていましたよね」

「資本主義との対抗関係で社会主義・共産主義が理解されますが、本来次元が違うものなので、対照比較できないと思っています」

女性

「敢えて言えば、資本主義は自然主義、社会主義・共産主義は人為主義ということでしょうか」

「人為と人為は比較対照できます。ところが、自然と人為は比較対照できません。言葉的には対照関係ですが、実態的に次元が違うため比較は出来ません」

女性

「ここからが本論です ↓」

 『資本論』は「商品」しか取り上げていない――サービスという概念がなかった時代

『資本論』は最初に商品分析から始めています。基本的には何かを解明したいと思った場合は、ミクロとマクロの両方の視点からの分析が必要です。宇宙全体の解明に、素粒子の研究が将来的に役に立つだろうと言われているのは、そういうことです。余談はともかくとして、マルクスは資本主義社会という漠然模糊としたものに対して、ミクロの視点ということで、「商品」をまず最初に取り上げます――「資本制生産様式が君臨する社会では、社会の富は『巨大な商品の集合体』の姿をとって現われ、ひとつひとつの商品はその富の要素形態として現われる」。『資本論』の最初の言葉です。

実は、すでにこの時点で、この視点だけでは、現代の資本主義社会を解明することができないことが分かります。どういうことか。現代は商品よりも、目に見えないサービスが重要な位置を占めているからです。医療、教育、航空、輸送、福祉、放送など、サービス産業は第三次産業ということで、先進国であればある程、全体の「生産量」に占める割合が大きくなっています。第一次産業は、農林水産業といった、採取産業。第二次産業は加工業です。高校政経の教科書には、産業構造の高度化という項目があり、その意味として、産業人口や生産量が第一次産業、第二次産業から第三次産業に移っていくことをいうと説明しています。

マルクスの資本論の第1巻が出版されたのは、1867年です。約150年も前のことです。「商品」分析の視点は鋭いと思いますので、それは使えると思いますが、彼の眼前に展開していた資本主義は謂わば「町工場資本主義」なので、目に見える「商品」が生産され、それだけを考えていれば大丈夫な経済情勢だったのです。

(「honkawa2.sakura.ne.jp」)

 商品は使用価値と交換価値から成る

目に見えない価値物のサービスが全く触れられていない、ただそれは時代の制約から来るものです経済関係の論文は賞味期限があると言ってきたのは、そういうことです。いかかに天才と雖も、未来を予測して経済理論を書くことは出来ません。

それはともかくとして、彼の商品分析から搾取理論を導き出す手法は説得力がありますので、それを紹介したいと思います。折角なので、彼の言葉を紹介します――「ブルジョワ的富は、ひとつの巨大な商品集積としてあらわれ、個々の商品はこの富の原基的定住としてあらわれる。しかもおのおの商品は、使用価値と交換価値という二重の視点のもとに自己をあらわしている」(マルクス『経済学批判』岩波書店) 。『経済学批判』は1859年、マルクス41歳の時に出版されたものですが、それはともかくとして使用価値というのは、文字通り商品として使う価値ということです。それがなければ、誰も買う人はいません。価格がついているものは、何らかの使用価値があると認められた商品ということでしょう。一方、交換価値というのは市場で取引される際の価値というものです。商品には必ず値段が付いています。その価格が交換価値の大小を表しているということです。

(「Business Infinity」)

 剰余労働から搾取理論を導き出す

マルクスは次に価値の源泉は何なのかと問いかけます。つまり、何が価値を産み出しているのかと問いかけるのです。そして、それを産み出しているのは、人間の労働であると言います。ただ、その生産過程に搾取のカラクリがあるとマルクスは言います。

資本家は賃金労働者を雇って生産活動を行うのですが、その際の労働に着目します。労働者を雇うのですが、それをどのように使うかは資本家、つまり経営者の判断にすべて任されていると言います。そうすると、8時間/1日の計算で給料を払っているのですが、実際には6時間/1日の労働で自分の給料分の働きをしてしまっているというのです。2時間余分に働いたことになるのですが、6時間を必要労働、そして2時間分の働きを剰余労働と呼び、その結果生み出された価値を剰余価値と呼んだのです。そして、この剰余価値が経営者に搾取されているとマルクスは言ったのです。

一種の形式論理を使って搾取ということを言っているのですが、3つの点で問題があります。上の例で言いますと、6時間を必要労働、2時間を剰余労働と言うためのエビデンスが必要です。さらに労働者は一人ひとり能力が違いますので、ある人は賃金の倍以上働いているけれど、中には賃金の半分位しか働いていない人もいるでしょう。それをどのように考えていくのかということがまず1つあります。

そして搾取という言葉は、あくまでも封建的な身分制階級社会が前提の言葉です。現代は「契約自由の原則」が基本的に確認されています。搾取されていると感じるならば、契約を破棄して新たな就職先を見つければ良いだけの話です。そして、どの仕事についても搾取されるだけと思うならば、自分で起業して自分で稼げば良いだけの話です

3つ目は、「町工場資本主義」の時代の経営者は、労働者に働かせて本人は何もせずに利益だけ貪り取っていただけなのかもしれませんが、現代の競争が激しい産業社会で、経営者がそういう感覚でいる会社は多分倒産するでしょう。今の時代は、経営者と従業員が一つの会社に集う仲間として、共に手を携えていくことが求められていますし、日本の経営者たちは、その自覚のもと日夜会社の成長と従業員の福利厚生や賃金のことを考えて奮闘していると思います

時代は流れ、それに応じて自分の考えを合わせていく、変わらない原理と変えなくてはいけない原理があります。その見極めが実は一番重要なのです。

(「Smart  FLASH」)

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