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日米同盟、そして日英同盟の時代 / 21世紀は信頼できる国とのパートナーシップによって乗り切る時代

「人間はどうしても「視野狭窄症」に陥るものです」

女性

「今日は、病気のことですか?」

「病気のことではありません。主観と感情があるので、見ようとするものの見る範囲を自ら狭めてしまうという感情の働きを話題にしたいということです」

女性

「哲学者のベーコンはそれを「洞窟のイドラ」と名付けたんですよね」

「よく知っていますね」

女性

「前に、教えて頂いたことがありますので、覚えていたのです」

「「イドラ」というのは、先入観の意味です。ベーコンは、人はどうしても先入観に捉われる動物ということで、それを4つの「イドラ」として類別しました」

女性

「人間は主観的な動物なので、確かによく勘違いをします」

「21世紀の時代、大事なことは「視野狭窄症」に陥らないことです。個人も組織も国も、感情優先でコトを運ばないことです」

女性

「ウチの職場は、全体的に「視野狭窄症」になっている気がします」

「21世紀は時代の流れが速くなります。早ければ早いほど、その視野は狭くなりがちです」

女性

「そうならないためには、どのようなことを心がければ良いですか?」

「大所高所から物事を俯瞰的に見ることが必要です。個人個人の力では限界がありますので、多くの力を結集することです。仲間を増やす、国であれば信頼できる国と同盟関係を結ぶことだと思います」

女性

「虚心坦懐に物事を見つめ、固定的に考えないことが必要かなと思います」

「「視野狭窄症」にならないためには、決めつけ、レッテル貼り、無批判な前例踏襲、こういうことに気を付けることです。それだけでも随分違うと思います」

女性

「組織的に点検するのが、一番良いのでしょうね」

「自分や組織、国の中には「クセ」あるいは悪しき慣習として残っているものがあります。一度振り返り、時には点検することです。国であれば、なかなか自分の国のことは分からないので、同盟国との交流や意見交換をする中で指摘をしてもらうということだと思います」

女性

「ここからが本論です ↓」

 日露戦争勝利をもたらした日英同盟

イギリスは17世紀から20世紀にかけて、世界の政治経済をリードした国です。王室もあり、英国紳士という言葉があるように気品とプライドが高い国というイメージを多くの日本人がもっているかもしれません。イギリスは「光栄ある孤立」といって、どの国とも同盟を結ぶことはしませんでした。というか、巨大な軍事力を背景に多くの植民地を所有していたので、どこの国とも同盟を結ぶ必要がなかったのです。

そのイギリスが日清戦争で日本が清に勝ってから、考え方を転換するようになります。まず、日英通商航海条約を結んで、様子を見ます。日本もイギリスもロシアを共通の敵として、考えられるような状況があったのですが、そんな時に義和団事件が起きます。義和団事件というのは、排外主義団体である義和団が列国の公使館を包囲したり、外国人を襲撃したりと、レベルが低い抵抗運動をしたのです。それに対して、連合国軍が兵を派遣して、乱を鎮圧した事件です

その後、連合国は兵を引いたのですが、ロシアだけは引き続き兵を駐留させます。領土に対する野望ありと踏んだイギリスが、日英同盟を結びます。日本はイギリスがアジアで最初に結んだ相手でした。日英同盟は対等な立場で結ばれた、軍事的な内容を含む同盟だったのです

その後日本は日露戦争を戦って勝ちますが、何故勝利したのかについて、余り科学的に分析されていませんが、日英同盟の果たした役割は大きかったと言えます。日本海海戦でバルチック艦隊との戦いの勝利が日本に勝ちをもたらしたという話はよく聞きますが、世界最強のバルチック艦隊が何故破れたのかということについて細かい分析はありません

実は、彼らが日本海の現場に着いた時には、完全に疲弊していたのです。どういうことか、ロシア艦隊はアフリカのマダガスカルを出てから、インド洋、マラッカ海峡からベトナムのカムラン湾までの約2か月間どこにも寄港できなかったのです。イギリスが根回しをして、ロシア艦隊が寄港できないような措置をとっていたからです。ロシア艦隊が日本海に着いた時点で、戦意は喪失していたと言われています

もちろん、現場で指揮した東郷平八郎の名指揮官ぶりと、日本艦隊の性能の良さはありつつも、「日本が勝てた要因の少なくとも3割はこの日英同盟のおかげだった」(高山正之『習近平よ 反日は朝日を見習え』新潮社.2015年)という分析があります。


 

  日英同盟なき後の日本は、アメリカからのプレッシャーに晒される

この日本の勝利に驚いたのがアメリカだったのです。この国は、自分の地位を脅かしそうな国が現れると、突然反応し始める習性があります。現在は中国に対して反応をしていますが、当時は日本に対して反応をします。そして、彼らの発想は、アジア人はアジア人と戦わせて力をそぎ落とせというものです。これは、現在においても維持されているのではないかと思っています。

その後、ワシントン軍縮会議が開かれ、米8、英5、日3の割り当てが決められ、日英同盟が破棄されることになります(1923年)。その後は、日本は一国だけで戦うことになります。アメリカの判断は、日本よりも中国を応援したいというものだったと思います。杭州に飛行学校をつくってアメリカ製の戦闘機を供与し、現役の操縦士を大量に中国に送り込みます。日英同盟が機能していれば、このようなことはアメリカは出来なかったでしょう。

 

 日米同盟を深化させる時代

どの国と同盟を組むのかということは、極めて重要な問題ということを実例を挙げて説明してきました。そして、同盟というのは、結んでからが重要なのです。人間関係と同じです。「私たち友達だよね」と言っておきながら、その言葉とは違うことをされれば信頼関係は生まれません。また、約束が結ばれて長い年月が経っていることも関係ありません。

日米安保条約は1951年に結ばれていますが、これはあくまでも当時の状況に対応するための臨時的な措置とアメリカは考えていたと思います重要なのは、そこを出発点として同盟を深化していくことだったのですが、その課題をこなしたのは安倍外交の成果だと思います。

安倍の祖父・岸信介首相が1957年にアメリカの上下両院で演説をしています。ただ、その時は世界的に非同盟中立主義の考え方がアジア、アフリカ地域に台頭していた頃なので、その意志確認をする意味合いがあったと思います。

2015年の安倍首相の連邦議会での演説は、積極的にアメリカ側に立つという決意のもとに行われたものです。それを皮切りにオバマ大統領の広島訪問と演説、安倍首相の真珠湾訪問と続き、信頼関係の構築がなされます。一連のやりとりの中で、日米戦争の真の講和がなされたということです。菅政権は、これを踏まえての対米関係の構築が求められます。菅総理は充分分かっていると思いますが、一番心配なのは、野党とマスコミです。外野からトンチンカンなヤジをまた飛ばすのではないかと心配しています。

 日英同盟の時代

イギリスとの関係構築も大事です。同じ島国同士、王室同士の付き合いも長い歴史があります。イギリスのメイ前首相が2016年6月の国民投票から4カ月後、同年10月の保守党大会で掲げたのが「グローバル・ブリテン」構想です。EU離脱後の新たな経済、外交、軍事的な戦略として、インド洋から太平洋へと進出する構想で、EU離脱によって低下すると予想される英国の国力を維持するための方策でもある。そのパートナーとして英国がとくに期待するのが、日本なのです。

2017年8月30日、アジア諸国へ歴訪するのではなく、安倍晋三首相と会談する目的だけで日本を訪問したメイ前首相は、日本を「アジアの最大のパートナーで、like – minded(同士)の国」と評しました。

英国人が「like – minded の国」という表現を使うのは、オーストラリアやニュージーランド、カナダなど、英連邦の中でも英国と関係が深い「兄弟国」に対してだけなのです。メイ前首相が日本を「like – minded の国」と呼んだことは異例のことだったのです。

その言葉通り、両首脳は「安全保障協力に関する日英共同宣言」を発表し、日本と英国の安全保障協力を新段階に押し上げ、日英関係をパートナーの段階から「同盟」の関係に発展させることを宣言したのです。1923年に日英同盟が破棄されましたが、英国主導で「日英同盟」が復活したのです。

多くの国がある世界の中で、一国で生きていくことは極めて難しいことです。特に、日本は膨張主義をとる中国共産党の存在を常に意識しなければいけない状況です。信頼できるパートナーとともに歩んでいくことが求められるのです

(参考/岡部伸(産経新聞論説委員・前ロンドン支局長)「英国が日英同盟復活を急ぐ理由」2019.10.16)

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