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天才数学者、岡潔(おかきよし)氏が、日本の教育について50年前に警告 / 憂国の随想集『岡潔』

  • 2021年2月15日
  • 2021年2月15日
  • 教育論
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女性

「昨日のNHK大河ドラマ『青天を衝(つ)け』」をご覧になられましたか?」

「ええ、観ました。視聴率が20%位だったそうですね」

女性

「結構、すごい数字ですね。次のお札の『顔』になる人だからでしょうか?」

「まあ、それもありますし、大河ドラマの第一回目というのは、注目されていますので視聴率が高いものなのです」

女性

「ところで、いかがですか? 初回の感想は?」

「昨日は渋沢栄一の幼少のころのエピソードと時代背景が中心でした。幼少のころから、面白いキャラクターだったということが分かりました」

女性

「今は、お行儀の良い子を早いうちから目指しすぎのところがありますけど、かなり腕白だったのですね」

「まず、エネルギーをもっていることが大事。そのエネルギーを上手く発散させる術(すべ)を周りが教えて上げることが重要です」

女性

「日本資本主義の父と言われている彼のドラマが、今後どういうふうに展開するのかを楽しみたいと思っています」

「ところで、彼は人間には「知 情 意」の3つの働きがあり。そのバランスで動いていると言っています」

女性

「知」は知性。「情」は感情、「意」は……」

「意志ですね。この3つのバランスがすごく大切だと言っています。この3つの中で何が一番大切だと思いますか?」

女性

「だって今、バランスが一番大切だと言ったじゃあないですか。全部大事なんでしょ」

「敢えて、「情」が一番大切と言った人がいます」

女性

「誰ですか?」

「その辺りは、本論で説明しましょうか」

 農耕民族ゆえにもっている「インフェリオリティ・コンプレックス」

インフェリオリティ・コンプレックスは心理学用語です。長いので、普通はコンプレックスと呼んでいます。コンプレックスというのは、「無意識下に抑圧され、固着され、ときに強い感情を誘発する観念の複合体(complex)を指すのであり、劣等感は正しくは「Inferiority complex」である」(『ウィキペディア(Wikipedia)』)とあります。

日本人は、コンプレックスをもった民族です。どうして、そのような複合的心情をもったのか。多分、それは自然の力に打ち負かされた長い歴史があり、それが民族のDNAの中に刻まれていった結果だと思います。

どういうことか。日本は農耕民族です。農耕が上手くいくためには、種を蒔く時期から収穫まで緻密な管理をする必要があります。そこには自然の法則が働き、それを無視しての収穫はあり得ません。自然が主、人間が従の観念が、知らないうちに醸成されていったのだと思います。自然の力に絶えず叩きのめされた経験を重ねるうちに、自然に逆らうことは出来ない、自然の持っている雄大な力はカミのなせる技という考えが芽生えていったのでしょう。

狩猟民族は逆です。周りの自然の中に住む動植物を狩猟して生活を成り立たせています。常に、自然を征服している感覚を持つことができます。手ごわい相手に対しては、多くの協力によって獲物をし止めることができます。自然に対してコンプレックスをもつこと自体がありませんでした

(日野駅前「居酒屋 農耕民族 狩猟民族」)

 

 コンプレックスをもった民族の特徴

コンプレックスをもった民族は、何か衝撃的なことがあると、激しい反応をするという特徴があります――「日本は、いつ、どこで予想外のことがとび出すかわからない国である。その証拠は歴史上あまたあり、それはごく最近の歴史にまで及んでいる。長い間、同じ方向に進んでいるかと思うと、いきなりに方向転換することがある。日本は急激な転換をしやすい国であり、それは、過去100年の歴史を概観しただけでも分かる」(ロベール・ギラン『第三の大国・日本』朝日新聞社、1969年/465ページ)。

この詳しいメカニズムは、今後の研究の成果にまつことになると思われますが、場面的には容易に察しがつきます。イメージして頂ければよいと思いますが、プレス+プレスされて臨界点に達して「大爆発」が起きたということでしょう。

過去に2回あります。1回は、明治維新。もう1回は、先の敗戦です。価値観の大いなる変動も生まれました。

日本民族は、そのようにコンプレックスをもった民族であることを自覚することが重要です。「彼を知り己を知れば百戦殆からず」。「孫子・謀攻編」の言葉です。何を当たり前なことを、と思う人がいるかもしれませんが、自分を知ることは、実は大変難しいことなのです。何故なのか。人間の目は専ら外部のモノを見るためについているからです。そのため、かのギリシアの哲人ソクラテスも「汝自身を知れ」と喝破しているのです。

 

 岡潔(おかきよし)氏の説く、「情」の教育

ここから導き出される教育の在り方は、徹底的に褒める教育ということが導き出されます。

数学者の岡潔(おかきよし)氏は「日本民族の教育は、何者にも増して日本民族を熱愛するように教えなければならない。教育は何を忘れてもこのことは忘れてはならないのである」(『岡潔 日本の国という水槽の水の入れ替え方』成甲書房.2004年/159ページ)としています。

岡潔氏(1901~1978)は、日本が生んだ世界的数学者と言われています。海外では、OkaKiyoshi というのは、何かグループの名前か、それともOka Kiyoshiという人が複数いるのかのどちらかと思われていたという話があります。何故そのように考えられていたのかと言えば、高度なレベルの数学の論文を次から次へと発表するので、一人の力では絶対に無理というところから出発した憶測だそうです。ところが、予想を裏切って一人の人間が論文を量産していたことが分かり、関係者は大変驚いたというエピソードが遺っています。

彼の言葉を続けますー―「日本民族を本当の意味で何ものにも増して熱愛できるようになれぱ、人はもう出来ていると思う。日本民族というのはそれほどの民族なのである。地球上に来てからだけを数えても30万年ただそのために実践し続けて来たのである」(岡潔 前掲書、159ページ)。そして「教育はこれに知と意を添えることを考えればよい」(同上)と言います。

彼は数学者ですが、実は日本の教育のことに人一倍心配していたのです――「私が本当に心配でならないのはいまの教育のことなのである。事態がもっと切迫してくれば、みんな気がついてくれるかもしれないが、それでは遅すぎるのだ」(『春宵十話』)。

この『春宵十話』で1963年の出版文化賞を受賞していますが、まだ教育の綻(ほころ)びが殆ど見られないような時期に、すでに警告を発していたのです


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