「作家の司馬遼太郎氏の講演をまとめた本があるのですが、その中で神様は人間を2通りの体質につくられた、ということを言っている下りがあります。2通りというのは、何だと思いますか?」
「天才・秀才と凡才ですか?」
「それだったら、ここで紹介しません。お酒を飲んで酔っ払える人とお酒が飲めない人と言っています」
「なんだ、私よりくだけているじゃあないですか」
「そこで終わらないところが司馬さんなんですが、その酒はアルコールだけでなく、宗教も含めて思想というものに酔える人、そして酔えない人の2通りあると言っているのです」
「その話というか講演は、いつ頃されたのですか?」
「1969年ですね。学生運動盛んなりし頃です」
「70年安保の前の年ですね」
「日本が全土的に安保反対は当たり前、という雰囲気の時代でした。大学に行けば「立て看」が当たり前のように校門近くに並び、デモに行くのは当たり前、問題なのはどのセクトのデモに参加するかだったという時代です」
「ただ、今はその面影は何もありません」
「司馬氏の言葉を借りると、集団の酔っぱらい状態から、今は脱した状態ということなのかもしれません」
「酔っぱらった国が突然現れるということもありますよね」
「今のロシアがそうかもしれません。一人の酔っぱらいの運転手が国家という電車の行先を勝手に決めてしまっているようなイメージで見ています」
「ただ、その動かしている電車が大きいため、全世界を巻き込む危険性があると思います」
「人類は今まで国際秩序を維持するための組織や仕組みを何回もつくってきましたが、またつくり直さなければいけない状況になったと思っています」
「ここからが本論です ↓」
「パックス・ブリタニカ」の時代
世界には約190か国の国と地域があります。仮に、それぞれの国が勝手な論理で動き始めたならば、この地球はあっという間に破滅します。地球は大きいようで実は小さく、そして脆(もろ)いものという意識が人類に芽生え始めたのは20世紀頃ではなかったでしょうか。その思いが、国際組織の創設に向かわせたのだと思います。最初の国際組織である国際連盟が創設されたのが1920(大正9)年です。
その時代は、パックス・ブリタニカの時代です。大英帝国と言われていた時代です。イギリスは世界で最初に産業革命を成功させ、海外進出も早く、多くの植民地を有する大帝国だったのです。そして、そのイギリスのもとに世界がまとまること、それが世界秩序の維持にとって大事だという認識があったことは確かです。
(「Try IT」)
日英同盟(1902)の意義
日本はそのイギリスと1902(明治35)年に日英同盟を結びます。日英同盟は、イギリスがアジアの国と最初に対等な関係で結んだ軍事同盟です。この意義について、実は日本の教科書の多くは殆ど評価をしていません。これは歴史学会の反日姿勢の問題があると思っています。
例えば、高校『山川日本史』を紹介します――「日本政府内には伊藤博文をはじめロシアとの『満韓交換』を交渉でおこなおうとする日露協商論もあったが、桂内閣はイギリスと同盟して韓国での権益を守る方針をとり、1902年に日英同盟協約が締結された」(294-5ページ)。あっさりとしたものです。これでは、その両者の間で政府間にどのような議論があったのか、全く分かりませんし、何の教訓も引き出すことが出来ません。
自由社の『新しい歴史教科書』は中学校教科書ですが、こちらの方は「日英同盟」という項目を設け、その意義も含めてきちんと書いています。当時は日清戦争で日本が勝利をし、ロシアが極東に進出しようとしていた頃です。国内では、そのロシアの南下政策をどうやって止めるのかという議論で分かれていたのです。
1つは、ロシアと妥協するという考え方、もう1つはイギリスと同盟を組んでロシアと対抗するという考え方です。日本の針路を巡る問題をどう考えれば良いか、それについて大きな役割を果たしたのが小村寿太郎の意見書です。自由社の教科書はそれをきちんと紹介しています――「一時的には東洋の平和を維持できるであろうが、ロシアの侵略主義は到底これに満足しないから、長期的な保障とはならない」。「アジアにおける英国の目的は領土拡張ではなく、現状維持と通商利益であり、英国と結べばロシアの野心を制して、比較的長く東洋の平和を維持できる」と。そして、結局日英同盟という選択をするのですが、その選択に対して、国民の歓迎を示す一つのエピソードが紹介されています――「……多くの日本人は歓迎しました。特にイギリスに在住していた日本人は熱狂的でした。寄付金を集め、同盟締結に尽力したイギリス駐在の林董公使に記念品を贈りました」と書かれています。
これでは、どちらが高校の教科書か分からないような内容となっています。
(「日英同盟 / yayoigaoka-seminer.com」)
「パックス・アメリカーナ」の下、戦後の平和を享受
日本が戦前と戦後において、世界的にも比較的安定的なポジションにいたのは、戦前はパックス・ブリタニカ、戦後はパックス・アメリカーナという大きな潮流に乗っていたからです。
パックス・ブリタニカの選択については、国内で意見が別れていたようですが、戦後の選択は殆どすべてと言って良いほど偶然の遺物です。日独伊の三国同盟のもと、連合国と戦闘を繰り広げ、最後まで頑強に抵抗し、原爆まで投下され無条件降伏をした日本。ドイツが国土を2分されたのですが、日本4分割案も実際にあったのです。そのように切り刻まれたとしても不思議ではなかったのです。
戦後世界の覇権を担うアメリカによる全面占領であったことが不幸中の幸いだったのです。それから3/4世紀が経っていますが、パックス・アメリカーナの状態はいささかも揺らいでいません。世界一の経済力と軍事力を誇っています。中国が急速に軍備増強を進めていますが、まだアメリカの1/3弱です。ロシアに至っては、1/12程度です。
日本の国防ということが今後話題になると思いますが、パックス・アメリカーナという国際状況を念頭に置きつつ、その中で日本の安全保障ということを現実的に考える必要があるのです。戦後の「平和」は、9条があったというのは思い込みに過ぎず、実際にはアメリカの力の下で平和を享受していたに過ぎないのです。
(「アマゾン」)
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