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独裁者の思考を形づくっているのは、「演繹法的思考」 ―― 社会の現実を見つめ、そこから政策・方針を打ち立てるべき

女性

「この前の「酔っぱらいの話」、あの後、帰りの道すがら、いろいろ考えてしまいました。自分は「酔っぱらい」の体質なのか、どうなのかと」

「あなたは、そういう体質ではないと思います。私自身は「酔っぱらいの体質」だと思っています。思想的遍歴、宗教的遍歴がかなりありますからね」

女性

「学生時代はビラを配ってアジテーションをよくしていたと言っていましたものね」

「キリスト教の教会にも通いましたからね、司馬遼太郎氏の言葉を借りるならば、思想の酔っぱらいということになると思います」

女性

「思想を蔑視しているところが司馬氏にはあるのですか?」

「その講演の中で、『思想というのは、どんな役に立つのだろう』と問いかけています。そして、今後は大きな思想というものは、おそらく出て来ないだろうとおっしゃっています」

女性

「それは何故ですか?」

「思想というフィクションは、人間の飢えが必要だけど、究極の飢えはこれからは訪れないからだというのが理由ですね」

女性

「確かにそう言われれば、現在偉大な思想、宗教として評価されているものは、殆どが古代に発生していますものね」

「物質的にも、精神的にも飢えた状態が前提条件と言います。飢えているからこそ、壮大なフィクションの中に身を置こうという気持ちになれるのだと説明します。飢えの状態なので、社会は戦乱あるいは混乱状態だと思います」

女性

「中国の古代思想は殆どが春秋戦国時代に生まれていますよね。混乱期にどうして物事を深く考えられたのだろうって、すごい不思議だったのですが、今の説明を聞いて合点がいきました」

「混乱期だからこそ、別の世界を頭の中に描いてしまって、そこに逃避しようと考える人が増え、それを土壌に思想が生まれるということです」

女性

「人によっては、それが宗教であったり、思想であったりということですね」

「そうですね。しかし、今は、思い込みという「色メガネ」を外して、現実をしっかり見つめる時代だということです。思い込み、つまり結論を勝手に頭の中に描いてしまって、それに向けた理屈を作り上げてしまうのです」

女性

「ただ、理屈が頭の中にある間は、誰にも迷惑が掛かりませんが、それが行動に結びついた時点で問題になるのですよね」

「民主制であれば、その考えがいろいろな角度から検討されますが、独裁政権であれば為政者の考えがそのまま政策となりますからね。ロシアのウクライナ侵攻や中国のゼロコロナ政策は、その最たるものでしょうね」

女性

「実は、そこが一番怖いところですよね。ここからが本論です ↓」

 演繹法的思考は間違いのもと

ロシアによるウクライナ侵攻や中国のゼロコロナ政策に基づく上海の都市封鎖。どう考えても、かなり無理な政策です。その是非については、様々なところで取り上げられていますので、ここでは誤った思考の中身について見てみたいと思います。

一言で言えば、「酔っぱらい体質」の為政者が目標を設定して、そこから演繹法的思考をするからです。「酔っぱらい体質」の人間なので、目標を設定すると、一目散に走る傾向があります。達成した目標を頭の中で思い浮かべて、自分に酔ってしまうのです。こうなると、時速300kmで走る新幹線のようなもの。周りの景色も含めてすべてが目に入らなくなります。自身の目は目標の1点だけを見つめ、周りを見ることはしなくなります。周りの音も聞こえなくなります。こうなると、彼を止めるものは、物理的な力しかありません。

(「日経ビジネス電子版」/上海ロックダウン)

 政治家には帰納法的思考が求められる

帰納法的思考というのは、ランダムサンプリングによって得られた情報から、一つの法則を見つけ出し、それに基づいて方針を立てることです。ただ、どのような情報をどのように纏(まと)めるかに於いて、意見の違いが出て来ますので、当然合議が必要です。

そのように言うと、演繹的思考にも合議が必要なのでは、と思うかもしれません。当然そうなのです。その目標や適用される法則が正しいかどうかを合議によって定める必要があります。つまり、適用される数学や物理の方程式が誰もが正しいと思うことによって客観性が担保されるということです。

例えば、今話題のウクライナ侵攻、ゼロコロナが正しいかどうかを、関係機関で討議する必要があったのですが、そこは一党独裁国家の悲しい性(さが)というか恐ろしいところで、その目標設定が無条件で承認されてしまったのです。

(「遠藤一佳のブログ『自分の人生をやろう!」)

 日本の政党で演繹的思考をする代表格は日本共産党

日本の政党で演繹的思考をするのは、共産党です。もともと共産主義社会をつくるという目標設定がありますので、それに向けてどうするのかという発想になるのは分かります。

ただ、その目標設定ですが、目標である限り、具体的で誰もが理解できるようなものにする必要があります。その点を検証したいと思います。例えば、日本共産党綱領では、その最後で「日本共産党は、それぞれの段階で日本社会が必要とする変革の諸課題の遂行に努力をそそぎながら、21世紀を、搾取も抑圧もない共同社会の建設に向かう人類史的な前身の世紀とすることをめざして、力をつくすものである」としています。

書いていることが、余りにも抽象的なので、これでは目標にならないと思います。逆に、党員は20万人位いると思いますが、誰もこの目標設定に対して異議を唱えなかったのでしょうか? 大いなる疑問です。

「21世紀を、搾取も抑圧もない共同社会の建設に向かう人類史的な前身の世紀とすることをめざして、力をつくすものである」と言っていますが、何が搾取で、何が抑圧なのかを言う必要があります。そんなものは何もないのでは、というのが私の見解です搾取も抑圧もない自由な社会は、戦後の民主化改革によって、すでにこの日本で実現されているのではないでしょうか婦人参政権、地方自治権、平等権、自由権、さらには農地改革、財閥解体など、戦前の日本共産党が掲げた政治的目標はその時点で殆ど実現していますだからこそ、日本共産党は今の憲法をひたすら守れと言っているのだと思っています。ただ、革命政党が護憲を説くこと自体が論理矛盾ですし、護憲を強く言えば言うほど、歴史的な存在意義はないと言っているようなものなのです。

さらについでに指摘すると「人類史的な前身の世紀とすることをめざして、力をつくすものである」という余りにも漠然模糊とした目標では、党首に白紙委任しているに等しいと思われます。そして、「人類史」というならば、党名から「日本」という国名を取るべきだと考えます。人類はまだ、国境を完全に取り払うような状況にはないからです。それは、ウクライナの今の状況を見れば分かると思います。

(「SlidePlayer」)

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