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「あなたの『?』におこたえします――日本共産党綱領の話」を題材にする ―― その1

「安藤昌益という人の名前を知っていますか?」

女性

「いえ、知りません」

「一応、高校日本史の教科書(山川出版)にも、倫理の教科書にも登場しています。江戸時代の人で江戸の時代において当時の封建思想を批判する観点からユートピア思想、言ってみれば共産主義思想を説いた人です。ただ、安藤昌益の名前はペンネームだろうと言われています」

女性

「本名は分からないのですか?」

「青森県の八戸で町医者をしていたということ位しか分からず、人物像も含めて殆ど何も分かっていません。内容が内容なので、身の安全を考えてペンネームを使ったのかもしれないと言われています」

女性

「どうして教科書に名前が載っているのですか?」

「彼の書いた『自然真営道』という本が明治期になって発見され、そんなことを考えていた人が江戸期にいたんだということで評判になったのです」

女性

「いつ頃の人ですか?」

「生まれた年は分からず、1762年没とありますので、18世紀つまり江戸中期の人です。マルクスが生まれる約50年前に亡くなっています。内容的には、古代中国の農家思想に似ています。皆で一緒に土を耕そうというところから始めます」

女性

「そうすると貧富の格差のない社会が実現すると言うのですね。発想は面白いと思いますが、実際には無理そうですよね」

「人間はそれぞれ個性をもち、すべて能力も違いますので、仮にそのように出発点を同じにしても、やがて差がついてきます」

女性

「だって、そういう歴史を刻んで来たのでしょ」

「おっしゃる通りです。時間を元に戻す訳にはいかないのです。経済活動も同じです。発展し拡大してきたものを元に戻す訳にはいきません。そういう原理がありつつも、理想社会を夢見た人がいたという方が日本にもいたということです」

女性

「夢を現実社会の中で追いかけては、いけないのでしょうか?」

「現実社会にその理想を降ろす場合、さまざまな原理・原則をクリアーする必要があります。カーリングに例えると、5つ位のガードストーンが横並びになっていて、それを乗り越えて真ん中に石を置くようなものだと思います」

女性

「夢は夢のままにしておいた方が美しいということですか?」

「理論的にも、論理的にも不可能なことを無理矢理実行しようとすれば、様々な混乱が生ずるだけです。例えば、連合赤軍の事件は、そういったことを示していると思います」

女性

「ここからが本論です ↓」

 主観的な言葉で未来社会を説明するのは間違っている

共産党が「あなたの『?』におこたえします――日本共産党綱領の話」という小さなパンフレットを作って選挙の際に撒いたりしています。それを題材にしたいと思います。

一番大事なのは、何を目標にして活動しているのか、ということです。現実社会に生きている以上、実現可能な目標を設定すべきですが、共産主義というのは空想的な「産物」です。パンフレットには「共産主義とは?だれもが『自由な時間』をたっぷりもって自分の能力を『自由に全面的に発展』させることができる。その力で、社会が自然と調和しながらさらに豊かになる――これが私たちのめざす未来社会です」とあります。

この書き方で一番問題なのは、「自由」、「たっぷり」、「全面的」、「自然と調和」、「豊か」といった主観的な言葉を連発していることです。こういった主観的な言葉で未来社会を説明するのは、間違っています客観的な法制度、社会体制を踏まえて説明する必要があります。なぜならば、現在の社会の中で、そういったことがすでに満たされていると感じている人が確実にいるからです。つまり、今現在「たっぷり自由な時間があり、全面的自然と調和した暮らしが出来ていると日々実感しており、生活の豊かさも味わっている」と思っている人もいるからです。

全員がそういう思いをする社会を目指すという反論があるかもしれませんが、それは不可能です。人間は100億円手許にあったからと言って、それで満足感をもつ人とそうでない人もいるからです。100億円なんかいらない、それよりオリンピックの金メダルが欲しい、自由に自分の好きなことに没頭出来れば満足という人もいるからです。価値観は人によって違いますので、主観的な言葉をつないだ目標自体が目標たり得ないということです

そもそも共産党は護憲を叫んでいます。ということは、共産主義社会においても現在の憲法のままということです。同じ憲法の下での生活は変わらないのに、どうして現在は「もうけ再優先、あとは野となれ山となれ」(共産党パンフレット)なのに、共産主義社会になるとどうして「『自由な時間』をたっぷりもって自分の能力を『自由に全面的に発展』させることができる」(同上)のか。きちんと説明する必要があります。

 自由競争社会は人類と共に歩み続けることになる

資本主義の本質を自由競争と考える限り、資本主義は人類と共にこれからも歩み続けることでしょう。というか、人類の歴史を見れば分かりますが、政治体制は変化しますが、経済は古代から現在まで自由競争市場が一貫して続いています。ということは、将来においても多少の手直しがあるかもしれませんが、基本的に自由競争市場が続くということです。

上部構造と下部構造という分析的な考え方をするのが、実はマルクス主義の特徴です。この視点は、マルクスの非常に鋭い視点です。この分析的な見方は、現代においても通用しますが、何故か彼らは使おうとしません。自分たちの主張の矛盾が明らかになると思っているからでしょうか。

 社会主義とか共産主義というのは、あくまでも政治体制の名称、つまり上部構造です。共産党独裁体制のもとに進められることになります。何故なのか。共産党こそが誤ることなく人民を導く唯一の党だからです。現在のような複数政党制は彼らのシナリオにはありません。そのことを言わないのは、それを言えば選挙で勝てなくなるからです。ただ、それだけです。何故、共産党が誤ることなく人民を導くことが出来るのか、それを実証する必要は当然あります。独裁政権は、必ず過ちを犯すというのが人類の歴史的教訓のはずです。

(「リベラルアーツガイド」)

 資本主義に対する偏見に満ちている

資本主義について正確に理解しておらず、悪罵を投げかけています――「もうけ最優先、あとは野となれ山となれ――格差を拡大し、景気変動を起こす『利潤第一主義』。私たちは、資本主義を人類の終着駅などとは考えていません。資本主義をのりこえた社会主義・共産主義にすすむことができる。こう展望しています」(同上)。SDGsが提起されているように、誰ももうけ最優先で良いなどと考えている人は少数です。自由市場経済の中で、格差は普通に生じますし、景気の変動は当然あります。変動、つまり波が起きるのは当たり前のことです。それは人間の脳波や心電図が波打つのと同じ原理です。真っ直ぐになるということは、生命体が死んでいるということです。組織体も同じ理屈です。景気の変動もなく、株価の変動や物価の変動がない社会は、死に体として認定されるだけです。国家の力で真っ直ぐ、フラットにしようという発想が社会主義です。これを実際に行ってソ連経済は破綻しました。わざわざ経済社会を「死に体」にする実験をしたことになりました

「終着駅」という言い方も変な表現です。彼らの論法を使うと、社会主義・共産主義が「終着駅」と言いたいようですが、何故そこが終着駅なのかを論証する必要があります。時間が終わることも、休むこともなく継続していくように、人間の作る社会のあり様は絶えず模索されながら継続することになるのです。何の矛盾もなく、総ての人が自由に平和に楽しく生活できる。目標にするのは可能ですが、このように言葉で表現できるからと言って、現実にそれが可能かどうかは別問題です。

どのような法制度を定め、財政や教育制度を含めた社会システムをどうするかなど、共産主義を説く者は具体的に提示する必要があります。ただ実際には、具体的に何も提示出来ないだろうと思っています。目標が現実的に不可能な証拠です。


(「私たちが安くて良い製品を変えるわけ――市場における競争の必要性」)

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