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国会は未来を語るところ ―― 10年後、20年後の日本のあるべき姿を見据えた論議をされたし / コロナは政府に任せればよい

「今の国会審議とかけて何と解く」

女性

「えっ、いきなりステーキ(笑)という感じですね。難しいですね。そもそも、国会中継を見たことがないですから」

「まあ、そうだろうね。ただ、本当はそれではいけないと思います。何せ、『国権の最高機関』ですからね。最高レベルの話し合いが求められると思っています」

女性

「それは分かりましたが、『何と解く』の答えをお願いします」

「今の国会審議とかけて、アンダーサーブを打ってお互いにドロップショットだけで打ち合っている試合と解く」

女性

「テニスに例えたのですね。そして、その心は」

「スケールが小さいため、誰も見る気がしない」

女性

「テニスの魅力は、弾丸サーブはもちろんのこと迫力あるラリーのショットですものね。そういう感じではないということですね。ニュースを時々見ていると、コロナ対策について激しく政府に対して意見を言っていますよね」

「どの政党もコロナといった感じの国会審議です。議員活動のアリバイ作り、パフォーマンスでやっているような感じがして仕方がありません」

女性

「緊急事態なので、ある程度仕方がないかなと思うのですが、ダメでしょうかね」

「政府はコロナについては、緊急事態という認識のもと専門家の意見を聞きながら取り組んでいます。取り組んでいなければ、質問をする必要がありますが、取り組んでいる以上、政党はそれを見守るしかないのです」

女性

「世間が騒いでいることは、誰もが関心を持ってくれるという計算があるのでしょうか」

「国会は、本来的に10年後、20年後の日本を見据えて、そのための法制度を提案し、審議し、決定する場所です」

女性

「そういう大きな話は出なかったということですね」

「私の知る限りにおいては、無かったですね。スケールの大きい政治家が現われて欲しいですね」

女性

「これでは、マズいと言うことですね」

「今の状況は多くの国会議員が近視眼になってしまっています。マスコミもそうなので、どうにもならないという感じがします」

女性

「本当は遠くを見て物事を提案しなければいけないのに、皆で近くを見てワイワイやっているという図式ですね」

「ポジショニングが悪いので、これではロクな法案が出てこないでしょう。立憲は提案型野党と言っていたのですが、提案の意味を完全にはき違えています。政府がA案をだしたらB案を出すのが提案型の意味。野党がやっているのはA’案、A’’ 案を出している。これでは、場合によっては、足を引っ張ることにもなる」

女性

「別の観点から、誰もが気付いていないことに対して提案するということですね。そういう視点がないということですね。ここからが本論です」

 国会の2つの役割――遠くを見つめた上で近くを見る

憲法は国会を「国権の最高機関」(第41条)と位置づけています。三権分立と一般的に説明されていますが、そのシステムを採り入れながら、憲法は国会中心主義を採用しています。どういうことか。つまり、三権がそれぞれ権力を分かち合って、抑制と均衡の関係を厳密に追究してしまうと、意見が分かれてしまった時に収拾出来なくなります。そのため憲法は、国民主権の観点から国民の投票によって選ばれた議員で構成される国会に「最高機関」の地位を与えたのです。

これは、憲法の条文から導き出せる論理です。そして、「最高」ということは、国会は10年、20年先の日本を見据えて、その目標にいくためには、現在においてどのような法制度が必要なのかを考える必要があります。国会は、簡単に言うならば、国づくりのために必要な「ソフト」を共同で生産する場所なのです

そして、国会は主に2つの役割を担います。1つは、10年あるいは20年後の日本の未来を考えて、そこに向かうためにはどのような法制度が必要なのか2つ目は、国にとって予期せぬ緊急事態が起こった時、その善後策を話し合うという役割があります。まさに、ミクロとマクロの2つの視点ということです。近くを見つつ、遠くを見るということです。この2つの視点は、スポーツでも求められますが、国会も同じ理屈です。2つの視点を使うことによって、現在何をすべきかが立体的に分かるのです。

ところが、現在の国会は目先のこと、つまりミクロのことだけを論議しています。2人の会話の中で「お互いドロップショットだけで打ち合っている」と言ったのは、そういうことです。しかも、コロナのことについては政府が専門家の意見を採り入れて対策を行っている最中です。国会はそれを見守るしかないのです。だから、国会としてはコロナについては政府に任せて、別の観点からの提案をするべきなのです――マクロの視点から、近未来の日本が光り輝けるにはどうすれば良いのか、そのことに知恵を絞る必要があるのです。

(「テニスの学校」)

 国会活動のあり様を勘違いしている政党がある

ただ、立憲や共産は、見ている限り国会活動について、完全に勘違いをしていると思わざるを得ません国会を何か団体交渉をする場だと思っているフシがあります。特に共産は、国内のありとあらゆる組織や個人を敵と味方に分けて考えるという「敵味方史観」をベースにして、すべてを考えようとします。社会はそんなふうに白と黒というように単純に色分け出来るはずがありません

そして、時代は流れ変化しますので、仮に白でも黒に変化することもあります。その逆も当然あります。ということは、変化する途中という状態もあるということです。色にすれば灰色ということでしょうか。それらを当然、認めた上で総合的に判断しないと狂いが生じることになりますが、固定的、形式的に社会を見ています。

(「NHK.JP」)

 共産主義、立憲主義は日本の風土には馴染まない

共産主義も立憲主義も出自はヨーロッパです。ヨーロッパは市民革命の地であることから分かるように、伝統的に国と国民を対立的に捉えます。それはヨーロッパにおける皇帝政治が長く続き、国民を権力で抑圧してきた政治が長く続いたためです。しかし、日本では天皇が権力者として振舞った歴史が古代の一時代を除いて殆んどありません。天武期に現在の象徴天皇制の原型が作られ、それ以降日本のシンボル、権威の象徴として国民に受け入れられていたのです。

日本のそういった歴史、さらには国づくりを踏まえて政治活動をすべきなのです。日本の風土とは馴染みのない共産主義や立憲主義の考え方を、そのまま日本に当てはめようとしています。必ず無理や矛盾が生じます。特に、日本のように地政学的に非常に微妙な位置にある国に、単純な白黒発想では対応できません。繊細な体質をもった人に、期限の切れたワクチンを打つようなものです

紙数が尽きました。個々の具体的な問題についての論評は、次回にしたいと思います。

(「リベラルアーツガイド」)

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