「「クィア(Queer)理論」って聞いたことありますか?」
「Queerの意味は何ですか?」
「奇妙という意味です。八木秀次教授が『産経』に寄稿しているのですが、左寄りの文化人たちが社会変革のために捻りだした奇妙な理論のことです」
「簡単に言えば、屁理屈ということですね。前回、このブログで話題にした性転換の問題も屁理屈の応酬のような気がします。変革ではなく、破壊が目的だと思いますけど」
「屁理屈が元になっての判断なので、4年しか経っていないのに合憲から違憲になってしまうのです」
「屁理屈なので、切り口を変えれば、どうにでもなりますからね」
「ただ、今まで常識だということで扱ってきた分野に、屁理屈が入って来ると住みにくくなると思います」
「それは分かります。男女別トイレが当たり前だったのに、ジェンダートイレが出現しましたからね」
「異性愛なんていう言葉が定着してしまいましたからね」
「愛が芽生えたと言えば、異性愛に決まっているのに、これからは異性愛が芽生えたと言わないといけないのでしょうか」
「いけなくはないけど、そういう表現をする人がこれから増えるかもしれませんよ」
「両性愛というのもありますよ。両刀使いですね」
「段々、面倒くさい世の中になってきましたね」
「ここからが本論です ↓ 表紙写真は「 Cosmopolitan」提供です 」
クィア(Queer) 理論は、左翼の屁理屈論
クィア理論というのは、「左翼知識人たちが、自分たちの存在意義を守る社会変革のためにひねりだした屁理屈」(八木秀次「左翼道徳集団の社会正義」/『産経』2023.10.8日付)とのことです。
なぜ、そのような屁理屈を振りまいているのか、目的は社会の構造変革とのこと。欧米では冷戦崩壊とともにマルクス主義が退潮傾向を示す一方、世界は人権や平等という考え方が普及しました。そんな状況の中で、自分たちの「居場所」が無くなるという危機感の中で捻りだしてきた理論です。
理論と言っても体系的なものではありません。形式的平等主義が考え方の土台になっています。例えば、同性愛があるのなら、異性愛もあるはずという考え方をします。形の上の平等を求めようとするのです。
(「自分らしく生きるプロジェクト」)
LGBT法案の基底にあるものは形式的平等主義
6月に「LGBT理解増進法」が制定されました。前回も言いましたが、何でもかんでも法律を制定すれば良いというものではありません。法を制定することによって、却ってこじれることも出てきます。「理解増進」のために法律を制定するのはおかしなことです。権利を侵害されている人、差別されている人がいて、それを助ける術が公権力による法制度しかない場合に限られるべきです。
この法律も形式的平等主義が、基底にあります。(下のイラストで向かって左側が形式的平等です。右側が実質的平等です)それぞれが自分の性を主張している。様々な性的指向者についても守られなければいけないという発想です。
ただ、日本はLやGに対して大らかな国です。充分理解されていると思います。問題なのはTです。トランス女性の問題です。トランス女性も女性も同じ女性として扱われるべきという主張です。先般の最高裁の判決は、そういった立場から特例法に対して違憲判決を下したのです。
(「note」)
調整概念の平等を、真上に掲げると社会は混乱し始める
平等というのは「抵抗」、あるいは「調整」の原理であり、目標にはなりません。どういうことか。兄弟でケーキを分けなさいと言った時、「調整」のために使う原理です。それがきちんと1/2に分かれていない場合は、一方が平等ではないと「抵抗」できるといったものです。このように、平等というのは、普段は隠れていて、何か問題があった時に使う原理なのです。
真上に掲げて使用している例としては、ジェンダー平等があります。男女平等で良いと思うのですが、性的マイノリティの人も含むということでしょう。ジェンダーギャップ指数が日本は125位(WWF/2023)だそうです。男女の役割分担は国によってその歴史も考え方も違うので、順位を付けること自体余り意味がありません。1位になったからと言って理想の男女平等社会ということにはなりません。
会社の女性役員比率20%というのもその類の発想です。20%になったからといって、優良会社になる訳ではないのです。まやかしの論理に気を付けましょう。
(「PR TIMES」)
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