「李登輝氏がお亡くなりになりましたね」
「日本を日本人以上に愛し、心配してくれた台湾人だと思います。台湾で生まれ、日本の統治下にあったため戦前の日本の教育を受けています」
「私は22歳までは日本人だった、というのが口癖だったそうです。どの新聞も1面扱いですね。中国は亡くなったという事実だけを伝えたようです」
「読書と剣道を愛し、京都帝国大学(農学部)に入学しています。学徒出陣を経験し、名古屋で終戦を迎えています」
「その後、台湾に戻ったのですね」
「台湾は戦後は国民党が統治しましたが、この国民党も独裁政権だったのです。1949年から1987年まで実に38年間戒厳令がしかれました。まさに、独裁、暗黒の時代だったのです」
「李登輝氏は、その国民党の出身ですよね」
「そうですよ、何か?」
「国民党のイメージと彼が合わないのですが……」
「李登輝氏は台湾出身者で最初に、国民党の副総統、総統になった人です。彼の考え方と国民党は合わないのですが、チャンスを待っていたのではないでしょうか」
「チャンスというのは?」
「1949年に本土内戦で共産党に敗れた国民党が台湾に大挙して逃げてきます。その数は100万人くらいと言われています。そこから、「外省人」と言われた彼らの支配を「内省人」は受けるようになります」
「それを何とかしたい。抵抗するのも一つの方法だけど、中に入って改革した方が早いのではないか、ということですか?」
「おっしゃる通りです。そこには、彼の政治哲学に基づく判断があったと思います」
「それは、どういう哲学ですか?」
「ターンパイクの理論ですね。簡単に言えば、じっと我慢するということです」
「我慢して、台湾の総統を直接選挙によって選ぶシステムを作ったのですよね」
「ミスターデモクラシーと呼ばれた所以です」
「ここからが本論です ↓」
「ターンバイクの理論」―—李登輝氏の政治哲学
ターンバイクというのは、高速道路の料金所のことです。急ぐ時は、高速道路を使いなさい、ということです。ただ、今の料金所はETCシステムが採用されていますので、彼のネーミングはピンと来ないかもしれませんが、かつての時代は高速道路の通行料をいちいち現金で支払っていましたので、料金所に車の長蛇の列が出来ることがあったのです。
彼は、それを思い浮かべながら、ネーミングを考えたのでしょう。だから一瞬、待っている時間が無駄なので一般道を走った方が早く着くように思ってしまうけれど、それは錯覚に過ぎないと言うのです。言葉を変えれば「急がば回れ」ということです。それが政治の世界でも大切だと説きます。
「政治は、しばしば即座の結果が求められるために、即効性のある選択をしがちだ。ましてや、民衆にその成果を問う民主制においては、目に見えるような成果を上げたくなるのが当然であろう。しかし、そうした政治は往々にして国を誤った方向に導く」 (李登輝『台湾の主張』PHP研究所.1999年/61-62ページ)と言っています。
最近の例として、と書き出して、ふと思ったのですが、すべてそういったものばかりです。
コロナが流行りそう→全国一斉休校。マスクが足りない→アベノマスク。旅行業者が悲鳴→Go Toトラベル。何もやっていない訳ではないのです。それなりに対処しているのですが、何となくピエロに見えるのは、重心が下がっていない、つまり対症療法的な発想で臨んでいるからです。球技に例えると、来たボールを引き付けて自分のものにして打たなければいけないのに、条件反射的に打ってしまっています。これでは、ド素人です。
政治は票がすべてということから、票にならないようなことを政治家が避ける傾向があると言います。それは、どの国にもあてはまることだと思います。ただ、常にそれでは困るので、それを「解決するには、政治家同士が国民の前で議論することであろう」(李登輝 前掲書 65ページ)と言っています。
「未来を拓くのは教育」(李登輝)
台湾では、かつては憲法で政府予算の15%を教育と文化に回すことを決めていたそうです。今は、もっと柔軟に教育予算を組めるようにということで、15%という数字自体は無くなったそうですが、一つの目安になっていることは確かです。
ちなみに日本の教育関係費ですが、予算全体のわずか5%です。子供がいるご家庭で一度教育関係費用が家計全体に占める割合を出してみて下さい。5%の金額で、どの程度のことを子供たちに教育サービスを与えられるかという視点で、実際に各家庭でシュミレーションしてみて欲しいと思います。
そして、金額もさることながら、大事なのは「『魂』の教育の推進」(李登輝 前掲書 103ページ)と言っています。日本で言うところの道徳教育にあたると思います。文明が進展し、経済が発展すればするほど、それに比例して、そのような心の教育が重要となります。
何故なのか。物質文明の進展が、どうしても物欲的な心情を刺激します。それをコントロールするために「相互寛容の精神や相互尊重の気持ち」(李登輝 前掲書 103ページ) を育てる必要があるのです。
李登輝氏は、副総統の時代に小、中学校の教科書にすべて目を通したそうです。それで国語、歴史、算数の教科書内容に愕然となったと言っています。多分、日本の政治家で教科書にきちんと目を通している人はいないと思います。そういった彼の問題意識を見習うべきだと思います。このブログでも時々紹介していますが、殆どの歴史教科書は朝鮮史観、マルクス史観で書かれています。今の野党の政治家やマスコミの中には、それが正しいという前提で文章を書いたり、発言している人もいます。
そういうことになってしまうので、文科省任せにしないで、常に検証する必要があるのです。というか、例えば家庭で我が子がどういう勉強をし、何を考えているか、愛情があれば関心をもつはずなので、すべて学校任せ、教員任せにはしないと思います。政治家で教育について関心がない方は、日本の将来に関心がないということなのです。
日本へのメッセージ
日本に対しては、実力を発揮して、アジアや世界を牽引して欲しいが、自信喪失なのか、常にびくびくしているように見え、一貫してある種の「もどかしさ」を感じていたのでしょう。
「なぜ日本は停滞しているのか」(前掲書、144ページ)と問題提起をして、その理由について、政治家の世襲制と官僚主義をあげています。そして、総じて柔軟性が失われていると言います。
それでは、その状態から脱却するためには、どうすればいいのかということですが、「多様性と包容力」だと言います。日本には、素晴らしい産業が発達しているし、活力に満ちた人材がある。自信をもって欲しいと言っています。
「私は、いまだに一生懸命に勉強を続けているが、……一番多く読むのが日本の書籍なのである。それはなぜかといえば、日本には非常な深みがあり、それが本の中に集約されているからだ。アメリカの本をもっと読んでいいと思うのだが、私はどうしても日本の本を読書の中心に据えている」(前掲書、150ページ)
日本と台湾は運命共同体と言っていた李登輝氏。そのことを堂々と言える時代になってきたと思います。同じ島国に住む者同士、手を取り合って歩んで欲しいというのが、李登輝氏の願いだったと思います。
その彼の思いを胸に「両国」の「国民」が協力して歩んでいくことができればと思います。
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