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 「立憲主義」は、階級国家観を前提にした前時代の遺物  /  民主的な選挙のもとで組織された政府に従うのは至極当然のこと

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「立憲主義ということを取り上げてみたいと思います」

女性

「立憲民主党の立憲ですね」

「そうですね。今回、国民民主党との合流がありましたが、党名は変えていません」

女性

「何故ですか?」

「立憲という言葉にこだわったからだと思います」

女性

「思い入れがある言葉なのですね」

「政権監視という意味で、彼らは解釈しているようですね」

女性

「政権監視は良いのですが、それだけという感じがします」

「野党と言っても国民の中から選ばれた代表者ですから、現在の日本を見て、様々な政策提言をして欲しいと思っています」

女性

「そうですよね、視線が政権政党だけに向けられている感じがあります」

「それだけが「仕事」と思っているようなところがありますが、国会議員一人ひとりは地域の代表ですからね」

女性

「そうですよね、国民の代表なので、広く日本全体を俯瞰(ふかん)的に見渡して問題意識をもったことに対して、いろいろ行動して欲しいと思っています」

「おっ、今、流行りの「ふかん」を使いましたね」

女性

「一つずつ勉強していきたいと思います。 ここからが本論です ↓」




 立憲主義を権力監視の意味として考えるというのが、学会の通説

「一つの妖怪が日本にあらわれている、――立憲主義の妖怪が。日本のあらゆる野党勢力が、この妖怪にたいする神聖な同盟をむすんでいる」。マルクスの『共産党宣言』の冒頭書き出しの部分を準(なぞら)えて、文章を作ってみました。

立憲民主党という野党一党の政党がありますが、その「立憲」というのは、立憲主義からとったのだと思います。政権政党のチェックが自分たちの役目だと思っているようで、視線が自民党政権にだけ向けられています。

ところで、立憲主義という言葉は、憲法の基本書を開くと必ず出てくる言葉ですが、学者によってその捉え方に温度差があり、意味内容が微妙に違います。「近代立憲主義」(長谷部恭男『憲法』)、「近代市民革命を通じて確立された『立憲主義』の考え方(近代立憲主義)」(浦部法穂『憲法学教室』)、というように「近代」を冠につけて使う人と、「立憲主義の現代的意義」(芦部信喜『憲法』)とそのまま使う方もいます。「近代立憲主義」とは言いますが、「現代立憲主義」と言わないのは、この概念自体が不用になった何よりの証左ではないかと思うのです。

 芦部氏は「立憲主義は、国家は国民生活にみだりに介入すべきではないという消極的な権力観を前提」(前掲書.16ページ)としています。ただ、それでは現代において求められる国家像とは違うので、民主主義という概念をもってきます。そして、「民主主義は、単に多数者支配の政治を意味せず、実をともなった立憲民主主義でなければならないのである」(前掲書.17ページ)として、2つの意味をもたせようとしています。

立憲民主主義」の説明が分かりにくいのですが、「立憲主義の本来の目的は、個人の権利・自由の保障にあるので」、国民の多くの意見が望むことについては積極的に国が関与して欲しいということだと思います。

 

 立憲主義を説明するのに、なぜ「日本国憲法」から出発しないのか

以上、立憲主義について憲法学において3人の高名な学者諸氏の基本書を紹介しましたが、素朴な疑問は、どうして「日本国憲法」の前文から立憲主義を語らないのかということです

日本は立憲主義をとっているとのこと。しかしながら、立憲主義という言葉は、憲法のどこを探してもありません。ということは、前文に書かれた文章の中から、それに関することを探して、立憲主義の根拠とする作業が必要だと思います。ところが、お三方の基本書は、そういう書き方をしていません。これはどうしてなのでしょうか? 教えていただきたいと思っています。

 

 現代国家を立憲主義で説明するのは無理がある

ただ、現代国家を立憲主義で説明するのは無理があると思います。というのは、近代と現代の国家の様相が違うからです

そもそも近代国家は、絶対王政に反発した市民たちが市民革命によって打ち立てた国家です。その際に策定されたルールが立憲主義なので、当然それは国家が再び暴走しないようにといった内容に重きが置かれることになりました。近代立憲主義の考え方の誕生です。ここまでは、憲法学者、政治学者など調べた限りにおいてはほぼ一致して、何の異論も出ていません

憲法が専門ではない国際関係論が専門の篠田英朗氏が、『ほんとうの憲法』(ちくま新書.2017年)という著書の中で、この問題を日本国憲法の前文から解き起こしています。

彼は前文の「信託」という概念に着目します。「そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する」(前文)という文章があります。この信託契約について定めた仕組みの遵守を考えるのが立憲主義と説くのです(篠田英朗 前掲書.28-29ページ)


つまり、国民主権下で選挙によって選ばれた国会議員たち、そして彼らが主体となってつくられた政府が権力を行使するとあります。まさにそれが立憲主義ということでしょう。その点について、憲法学者の百地章氏もそのように言っておられます――「国家権力の行使を制限することは、近代憲法のもっとも重要な役割であることは間違いないが、憲法は他方で国家権力を行使するための根拠を定め、その正当性を担保するための規範でもある。今日の社会国家においては、国家の手によって国民の権利や福祉が保障される領域がますます拡大しているが、この国家権力の行使の根拠とされるのも憲法である」(百地章『憲法の常識 常識の憲法』文藝春秋.2005年/16-17ページ)

近代国家と現代国家は、その成り立ちが違います。日本を考えてみましょう。明治憲法の時代は、女子に選挙権が付与されることはありませんでした。さらに、男子の普通選挙が実現したのは、1925(大正14)年生です。特権階級の議会である貴族院もありました。しかし、現代は男女18歳になれば、全員が選挙権をもちます。国会は、民選議院による2院制によって構成されています。民主的な手続きによって成立した国会であり内閣、それを支えるのはすべての政党の義務でもあります。

すべて肯定しろとは言いません、階級政党ではなく、国民政党の立場に立って是々非々のスタンス、提案型の政党であるべきと思っています。

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