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不登校を「宇宙の視点」から見る ―― 全国一律教育の限界と制度改革の方向性 / 「マクロ」視点と「ミクロ」視点

「不登校の子どもの数が約35万人(2024年度)と過去最高になったそうです」

女性

「誰が不登校になってもおかしくないと言われ始めました」

「いじめとか、仲間外れなど、特に原因がないまま不登校になるケースを令和型不登校と言うのだそうです」

女性

「ウチにはまだ小学校の子どもが2人いますので、そういう話を聞くと不安になりますが、共働きをしていますので、とにかく子供達には学校に行ってと心の中で願っています」

「不登校ビジネスとか、ホームスクーリングなる新しい言葉も誕生しています」

女性

「不登校専門カウンセリングや不登校専門家庭教師・学習塾があるそうですね」

「それだけ不登校が多くなっているということでしょうね」

女性

「ホームスクーリングというのは、要するに家でおウチの人が勉強を教えるというものでしょ」

「簡単に言えば、そういうことです。対応できないご家庭もあるでしょうね」

女性

「小学校までなら何とか教えられますけど、中学校以上は無理です。心配の種は尽きないですけど、今日も学校に行ってくれたので、我が家は大丈夫かなと……」

「自信を持って言い切れないみたいですね(苦笑)」

女性

「ここからが本論です ↓イラストは「よしおか・じゅんいち」」さんの作品です

 不登校を「宇宙の視点」から見るという発想

原因のない結果はありません。原因はマクロの原因とミクロの原因があります。つまり、個々の家庭環境や本人の性格といったミクロの要因と、制度や社会構造といったマクロの要因があります。そして実際には、それが絡み合っていることがしばしばあります。日本人はミクロの原因についてだけしか見ていない場合が多いのですが、不登校の問題を考える場合は、マクロの視点で見つめることがより重要です

ニュートンは、リンゴが木から離れて落ちる場面に遭遇したことをきっかけに万有引力の法則を発見したと言われています。リンゴが木から落ちる現象を、ニュートンは「宇宙の視点」からそれを頭の中で再構成したと思います。北半球のリンゴは上から下に落ちるけれど、南半球のリンゴは下から上に落ちます。その相反する2つのイメージを頭の中で再現したのでしょう。リンゴが木から落ちるところだけを何万回見ていても、法則発見に至ることはなかったでしょう。つまり、立ち位置、要するに視点が極めて重要なのです。

不登校についても同様です。現在出版されている本やネットなど、情報の多くはミクロ視点からの発信が相変わらず多くあります。例えば、『教師と支援者のための“令和型不登校”対応クイックマニュアル』(ぎょうせい、2024)では、ゲーム依存症から不登校という新たなパターンの紹介をする中で、「休むことも選択」といった子供寄りの安易な解決策についても提示しています。『不登校のあの子に起きていること』(ちくまプリマー新書、2025)の中では、不登校ビジネスについて言及しています。いずれも有益な指摘ではありますが、ミクロ視点なので、どうしても対症療法的、ハウツー的な書き方になってしまいます。マクロ視点からの提言的な書が待たれます。

(「ぎょうせい」)

 教育行政の立ち位置を問い直す

子供がいないから関係ないということではなく、有権者の立場から、自分が住んでいる国の教育行政を客観的に見つめて欲しいと思います。人間は教育を受けることによって、社会で活躍できる人材として成長できます。教育の機会を逃してしまえば、その子の未来は狭まってしまいます。すべてが犯罪に結びつくわけではありませんが、社会との接点を失った若者が孤立し、問題行動に向かう可能性が高まることは否定できません。若者の犯罪が増えているのは、そういったメカニズムの中で起きているのです

少子化が進行しているのに、不登校がなぜ増えているのでしょうか一言で言えば、子供たちのニーズに合った教育が提供されていないからです。すべてはこれに尽きます。大人でも何か習い事を始めようと決意し、お金を払って通い始めたところ、自分が思い描いた内容と違えば自然と足が遠ざかります。子供も同じです。子供達は自分の言葉で正確に表現できないのですが、肌感覚で判断しているのです。

文科省が根本的に間違えているのは、その立ち位置です一番分かり易い例は、教育基本法の第一条です。「人格の完成」を教育の目的と定めています。これは戦前の全体主義の時代の発想です。現代は「個人尊重主義」の時代なので、教育の目的はあくまでも個人の能力に寄り添って個別に考えることが必要です。既製服を大量に作って、それを着せるという発想ではなく、一人ひとりの身体のサイズに合わせた注文服を考える時代です。

だから、教育の目的は、「個人の個性・特性を踏まえた能力の伸長」でなければいけません。そして、本人の能力が充分に発揮できる進路を見つけてあげることが教育機関の役割です。「人格の完成」は、本人が社会生活をしていく中で、自分自身を高めることによって達成できるものです。そもそも、学校という限られた時間の中で「人格の完成」などできる訳がありません。教育基本法の立ち位置から間違っているのです。

(「カタリスト for edu」)

 全国一律教育の限界と制度改革の方向性

既製服を大量に作って、それを着せるという発想のため、全国一律教育を検定教科書を使って行おうとしています。どこかの国のように、どこまで行っても見渡すような大平原の単調な地形の国ならばいざ知らず、日本のように、方言あり、地場産業有り、地方食ありといった地方色豊かな国において、全国一律教育は馴染みません。不登校が増える根本的な原因になっています。

アメリカはトランプ大統領が教育省廃止を2025年に決断しました。アメリカは州ごとに教育課程が異なっているため、必要ないと判断したのでしょう。教育省廃止によって約24兆円の歳出削減ができたそうです。消費税の5兆円の財源をめぐって議論となっていますが、文科省を廃止すれば、財源問題も解決しますし、子供達に合った注文服が作られる可能性が高まります。一挙両得だと思っています

不登校は、文科省が提供する「教育メニュー」に対する拒否反応として見るべきです。子供達の口に合っていないのです。不味い料理をいつまでも食べさせられる子供たちの身になって考えてみることが必要です。食べる側に問題があるのではなく、調理をする側、さらにはレストランを経営する国の側に問題があるのです。不登校の増加は、教育制度の再設計を求める静かな警告と見るべきです。

【参考記事】 山野則子(大阪公立大学教授) 「最多35万人『れいわ型不登校』」(『日経』2026.2.14日付)

(「You Tube/日テレNEWS」)

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