「『日本は侵略国家ではない』(海竜社.2008年)という本を知っていますか?」
「どなたが書いているのですか?」
「前航空幕僚長の田母神俊雄氏と渡部昇一氏の共著で、2008年に出版されています」
「お二人の接点は、どこにあったのですか?」
「「真の近現代史観」というテーマで、アパ・グループが行った懸賞論文コンテストでの田母神(たもがみ)氏の作品が最優秀賞を獲得したのですが、その時の審査委員の1人が今は亡き渡部昇一氏です」
「その受賞記念出版ということですか?」
「いえ、そうではないんです。田母神氏がコンテストで最優秀賞を授賞した時、彼の立場は航空幕僚長だったのです」
「意味がよく分からないのですが……」
「航空幕僚長というのは、自衛隊の要職ですが、彼の論文内容が彼の地位にふさわしくないということで受賞後に政治問題化します」
「表現の自由がありますよね」
「思想信条の自由もありますが、結局、彼は降格されてしまい、定年が自動的に下がり60歳で離職という憂き目に遭ってしまったのです」
「論文の内容が、公務員として、あるまじき内容だったのですか?」
「全くそういうことはないと思います。ただ、マスコミ、朝日新聞が「社説」で取り上げるといった過剰反応をします」
「『朝日』は何が問題だと言っているのですか?」
「言葉で言えば、文民統制です。文民である大臣、内閣と違う考え方を現場の制服組のトップが公然と述べた今回の行為は、文民統制の趣旨に反するものである、ということです」
「分かったような、分からないような理屈ですね」
「ここからが本論です ↓」
条約によって納得した上での進出であった
大陸や半島の国は、日本が侵略行為を働いたという認識ですが、アメリカの日本駐留は安保条約に基づく駐留なので、田母神氏は「これをアメリカによる日本侵略とは言わない」ように、戦前の日本の中国大陸や半島における駐留は条約にもとづいたものであったので、当然侵略ではないと言います。
当時の日本は、満州に五族協和の国をつくろうと考えていました。「五族」というのは、満洲族、漢民族、日本人、朝鮮人、モンゴル人です。ただ、北朝鮮の北方に位置する満州は、清朝の支配民族の満州人の故郷(ふるさと)地域であり、義和団の事件(1900年)以降、その混乱に乗じてロシアに占拠されるということもあったのです。
この地は地政学上重要な地域であったため、日本、ロシア、さらにはアメリカに狙われることとなります。義和団の事件の後、日露戦争となり、アメリカの仲介で講和となり、その結果、日本は南満州鉄道を権益として譲渡されます。1911年に辛亥革命が起き、清朝が滅亡し、中華民国が成立します。
中華民国の初代大統領の孫文が1925年に死去すると、その後中国では、各地で「自分こそが中華民国の正当な支配者である」などというようなことを主張する多くの軍閥が、お互い相争う状況となります。
南満州鉄道爆破事件(1928)が起こる
その軍閥の一つが、満州という地に影響力をもっていた張作霖軍閥でした。満州の軍閥の張作霖は、日本と協力することで日本を利用して、満州を実質的に支配していたのです。そこの権益を狙ってソ連やアメリカとの間で勢力争いが起きます。
一方、中国大陸の南部では、国民党の蒋介石が南京を中心地に支配していました。蒋介石は、孫文の後継者を自認し、アメリカ・イギリスとの外交を重視しました。彼は、中国の統一を目指し、張作霖ひきる北京政府を倒す戦いを始めたのです。蒋介石ひきいる北伐軍が北京にせまってきたので、張作霖は北京から奉天に引き上げようとしました。その帰りの列車が爆破され、張作霖は命を落とします。この事件は、関東軍によって引き起こされたと、山川の日本史教科書には書かれていますが、「近年ではソ連情報機関の資料が発掘され、少なくとも日本軍がやったとは断定できなくなった」(田母神俊雄「日本は侵略国家だったのか」)のです。
その事件の後、張作霖の息子の張学良は、蒋介石ひきいる国民党に合流することになります。 この蒋介石率いる国民党が勢力を拡大し、やがて共産党と対立をします。しかし、蒋介石は1936年共産軍に捕らえられ、そこで密約があったのではないかと言われています。つまり、「蒋介石は自分と息子の生命の保全を条件にスターリンに降伏したとみている」(落合道夫『中共の正体』ハート出版.2020年)のです。
というのは、その後、蒋介石は南京に戻るのですが、国共内戦を停止して、対日攻撃の準備を始めるのです。その蒋介石は「コミンテルンに動かされていた」(田母神俊雄 前掲書)と言います。「コミンテルンの目的は日本軍と国民党を戦わせ、両者を疲弊させ、最終的に毛沢東共産党に中国大陸を支配させることであった」(田母神俊雄 前掲書)と指摘します。
たび重なる蒋介石側からの挑発行為、「我が国は蒋介石により日中戦争に引きずり込まれた被害者なのである」(田母神俊雄 前掲書)。
侵略ではなかったことを、データが物語っている
そもそも、戦前において植民地経営は合法活動です。さらに、日本はその地のインフラ整備や教育環境などの整備も含めて、その地の発展を願っての身を切るような投資を行っています。実際に、満州の荒野は15年で工業国家に変身しました。褒められこそすれ、批判を受ける筋合いはありません。人口も1932年の満州国成立の時は3000万人だったのが、まいとし100万人ずつ増え続け、1945年には5000万人に増えていたのです。
そして、日本が「蒋介石国民党との間でも合意を得ずして軍を進めたことはない。常に中国側の承認の下に軍を進めている。1901年から置かれることになった北京の日本軍は、36年後の盧溝橋事件の時でさえ5600名にしかなっていない」と書かれた秦郁彦氏(『盧溝橋事件の研究』)の指摘を田母神氏は紹介をしています。
読んでいただき、ありがとうございました。
よろしければ、「ブログ村」のクリックをお願いします ↓