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もう『資本論』の時代ではない / 「データ」「サービス」が価値を生み出す時代

「20世紀社会においても大きな思想的影響を与えたのがマルクスです」

女性

「私でも名前を知っていますからね」

「マルクスはユダヤ人だったことは知っているよね」

女性

「ええ、この前教えてくれたじゃあないですか。だけど、それが何か重要なことなのですか?」

「彼は19世紀の人ですが、その時代にはまだユダヤ人国家はなかったのです。彼の一番熱望していたことは、たぶんユダヤ人国家の創設だと思います」

女性

「その気持ちが、彼の思想に影響を与えたということですか?」

「そうですね、だから、政治的主張と経済的主張を峻別すべきだと思います」

女性

「その理由は何ですか? 余りそういうことを言う人はいないと思いますが……」

「彼は国家のない民族の悲哀を感じ続けた生涯を送っています。心の底から祖国建国を熱望する一方、個人的には大学の研究者として身を立てたかったのです。そういった心理が学問分野に影響を与えていると思います。政治的主張はその目的達成のため大胆に、経済関係の主張は極めて分析的な手法を使っています」

女性

「大胆さで言えば『共産党宣言』でしょうか」

「マルクス30歳の時の文章です。打ち倒す対象を明確にし、その運動の主体を明らかにした上で組織を作ってエネルギーを注げば運動は起こります。それが世界に広がれば混乱状態となり、国境線も不確かなものになる可能性が高くなる。ユダヤ人国家を作るチャンスが出てきます」

女性

「そういった『色気』があったのですね」

「熱きハートで書いた文章です。片や『経済学批判』や『資本論』はクールな頭で書いた著作です」

女性

「確かに『共産党宣言』は、激しい感じがしましたが、そういうことなんですね」

「若い時に書いたからという人もいますが、彼の心の中に『祖国』という熱き目標があったに違いないと思います」

女性

「彼が死んだ後、シオニズム運動(祖国復帰運動)が起こりますが、関連があるのでしょうか?」

「確かに期せずして起こりますが、ロシアでのユダヤ人迫害事件が直接のきっかけなので、マルクスとは直接関係ないのではないかと思いますが、調べてみます」

女性

「ここからが本論です ↓」

 『共産党宣言』は争乱状態を作るために出したプロパガンダ

マルクスについては、日本では現在でも少なからず信奉者がいますし、新版『資本論』が刊行されようとしています。まだまだ、それなりの影響力があるということですが、彼の政治的主張と経済的主張とは、峻別して捉えるべきだと思います。

例えば、『共産党宣言』は敵対的感情を高める目的で書かれていますので、書き方もそうなっています――「自分の生産物の販路をつねにますます拡大しようという欲望にかりたてられて、ブルジョア階級は全地球をかけまわる」「ブルジョア階級が封建制を打ち倒すのに用いた武器は、いまやブルジョア階級自身に向けられる」「ブルジョア階級は、みずからに死をもたらす武器をきたえたばかりではない。かれらはまた、この武器を使う人々をも作り出した――近代的労働者、プロレタリアを」。

このような調子で、挑発的な言葉を使いながら宣言文書は延々と続きます。「労働者は機械の単なる付属物となり、こういう付属物として、ただもっとも単調な、もっともたやすく習得できるこつを要求されるだけである」。虐げられた労働者たちはやがて革命的使命に目覚め、プロレタリアート階級としての意識に目覚めて共産主義者として成長していくというのです

そして、いよいよ最後のクライマックスです――「共産主義者は、これまでのいっさいの社会秩序を協力的に転覆することによってのみ自己の目的が達成されることを公然と宣言する。支配階級よ、共産主義革命の前におののくがいい。プロレタリアは、革命においてくさりのほか失うべきものをもたない。かれらが獲得するものは世界である。万国のプロレタリア団結せよ!」(マルクス エンゲルス『共産党宣言』岩波文庫)

「くさり」が少し分かりにくいかもしれませんが、マルクスは古代の奴隷は見える鎖、現代のプロレタリアは見えない鎖で繋がれていると言ったのです。その見えない「くさり」が無くなるといっているのですが、要するに皮肉です。

ヨーロッパ世界は抑圧的な国家(国王)が多くあり、国民と対抗関係で捉える社会契約説という学説がありました。そういうこともあり、マルクスの階級闘争史観を受け入れる素地が作られていたのです。『共産党宣言』は「ヨーロッパに幽霊が出る――共産主義という幽霊である」で始まりますが、マルクスの共産主義思想がヨーロッパに広がることになります。但し、それは20世紀までのことです。今は影もかたちもありません。

 日本に共産主義思想が広まったのは戦後のこと

日本とヨーロッパは、国づくりの考え方が違います。ヨーロッパという地域は、狭い国土に多くの民族が入り乱れて暮していたため、争いが絶え間なかったのです。争いを防ぐために王に巨大な権限を付与し、国家組織を作ったのです。そのことは、周りの国と緊張関係が生まれ、時には自国民との軋轢や弾圧もしばしありました。そういう歴史的事情の中から権力、権利、その果てには革命思想が生まれたのです。

それに対して、日本は西洋とは全く違う国づくりをしたのです。島国という地理的条件が一番の大きな原因ですが、国家意識に目覚めるのは7~8世紀です。それ以来、為政者と民は同じ方向を見て国づくりをしてきたのです。その象徴が天皇であり、その下に時の権力者がいるという捉え方です。

「長い物には巻かれよ」というのが日本の俗諺です。家にあっては家長、国はお上なので、基本的に従うというのが日本人の美徳として確立したのです。その代わり、お上は絶えず民衆の生活のことを気にしながら善政を敷くことを求められたのです。その辺りの心持ちについては、国民の「城」を見る「目」で分かるのではないかと思います。

「お城のお殿様」という、愛着をもった言い方を日本人はします。権力者の象徴という捉え方をする人はいないと思います。熊本城が2016年の地震災害によって石垣が崩れ、地震後に残った1本の石垣によって飯田丸五階櫓を支えた姿は感動的でした。熊本城復旧への寄附金は、令和2年3月31日現在、約43億6千万円だそうです。その金額に国民の「城」を見る目が表れています。

そのように家族的な国家観をもった国に共産主義が広まる余地はないのですが、現に共産党という政党があり、国会議員もいて活動しています。それなりの影響力をもっているのは戦後、思想信条の自由ということで共産主義思想も許されることになったからです。

許されることと、受け入れられることは別です。日本共産党は現在党勢が衰えています。党員数、赤旗の発行部数で分かります。衰退の原因は簡単です。時代が進展して見えてくるものがあります。ソ連邦の崩壊もありました。そういう中で、共産主義が理論的に破綻している部分が目立つようになったからです

 社会主義革命ではなくIT革命がやってきた

共産主義者は資本主義を目の敵にしますが、そもそも資本とは何でしょうか資本とは、土地、工場、機械設備といった生産活動をするために資本家がそのもっている資本で買い揃えようとするものです。資本家は次に労働者を雇い、その労働力を使って商品を生産します。資本家は労働力が生み出した価値以上の価格をつけて商品を売り利潤を得る。利潤の実体は労働者から搾取したものだというのが、マルクスの主張です。

それはそれなりに説得性があるかもしれませんが、問題なのは、すべての商品がこのような「公式」にあてはまるとは限りません。「例外」についての考察が全くありませんし、実際には価格は市場で決定しますが、それについての考察がありません。あくまでも搾取を導き出したいための理屈だと思っています

例えば、100円の原材料に50円の労働力が生み出した剰余価値をつけて150円で売りに出したとしても、市場の力関係により80円で取引されることもあります。当然、その逆もあります。だから、「アメリカのオーソドックスな経済学には、実は資本主義という概念はほとんどありません。めったに資本主義という言葉は使いません。市場経済なのです」(佐伯啓思『さらば、資本主義』新潮新書、2015年/185ページ)。

資本の自己増殖という言葉をマルクスは使っています。

「この過程で価値は、貨幣と商品という形態の不断の交代の下にあって、その量自身を変化させ、剰余価値として、原初の価値としての自分自身から、突き放し、自己増殖を遂げる。なぜかというに、値が剰余価値を付け加える運動は、彼自身の運動であり、彼の増殖であり、したがって、自己増殖である。価値は、自分が価値であるから、価値を付け加えるという神秘的な性質を得る。価値は生ける赤児を生む、あるいは少なくとも金の卵を生む。」(『資本論』岩波文庫版、第一分冊、向坂逸郎訳、268-269頁)

言い回しは難しそうですが、言っていることは単純です。要するに、剰余価値が資本を増やしていく「金の卵」だと言っているのです。ただ、これも逆の場合を考えていません。つまり、150円で売れれば後解釈で50円の剰余価値と言えますが市場があるので必ずしもそうならない可能性があります。さらに、利潤が常に出れば良いのですが、出ない場合も当然あります。自己増殖にならないことも当然あるのです。だから「神秘的な」「金の卵」にならない場合も当然あるのです。すべてが金の卵であるならば、倒産する企業は存在しないということになりますが、現実はそんなに甘くありません。言葉のレトリックに胡麻化されないことが肝要です。

マルクスが想定していた資本主義の様式は、現在においては完全に傍流になっています。経済のソフト化という言葉で言い表されているように、サービス、データの時代、あるいは既存の製品と製品を組み合わせて新たな価値を創り出す時代に変わりつつあります。日本はその頭の切り替えが遅れています。『資本論』の新版などを出して、昔を懐かしんでいる場合ではありません。

企業の時価総額ランキングがこの30年間で大きく変わったことで、それが分かります30年前、日本の製造業は最強でした。時価総額ランキング(土地、工場、株式時価総額など)世界のトップ30社中21社が日本でした。現在はゼロです。日本企業トップのトヨタ、今期1兆4千億の利益を出したものの48位です

何が起こっているのか。IT革命が起きているのですGAFAに象徴されるように新しいデジタルモデルを創り出した企業が急速に成長しているのです

つまり、労働力ではなく、サービスやデータといったものが「金の卵」になる時代になったのです

経済の流れは速いのです。マルクス(1818~83)が生きていた時代は資本主義の成立期で、政治的にも封建的なものが残っていた時代です。自然科学の法則は、1000年、1万年経っても通用しますが、社会科学の場合は、そうはいきません。特に、経済は生き物なので、約150年前の経済理論を現代にあてはめようと考えると、どうしても無理が出ます。

そもそも、彼が生産の例として取り上げているものは「金、鉄、小麦、絹」(『経済学批判』)といった1次産品です。現代は、そういった生産現場に携わる労働者は極めて少ないと思いますが、当時は主流だったのでしょう。市場も物理的な市場から、目に見えない空間が重要な市場になってきました。実際に日本の大手携帯会社3社の営業益は1.7兆円です。国内で最も稼ぐ上場企業ですが、モノを作って売っている訳ではありません。

そのため資本金など無くても起業ができる時代です。現に、高校生や寝たきりの障害をもっている方でも起業をしています。誰でも「資本家」になれる時代です。アイディアを出し合って競って起業して、みんなで経済を活性化する時代です。それが経済発展のカギを握る時代となっています。もちろん資本家階級などは存在する余地はありません。階級というのは、固定的な身分制度が前提の言葉です。労働者階級という言葉もあり得ません。とにかく、化石の言葉に捉われないことが大事ですが、日本はその頭の切り替えが出来ていません。教科書の記述の問題もあると思っています。

とにかく、時代の流れを見誤らないことが肝要です

読んでいただき、ありがとうございました。

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