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高校入試にスピーキングは必要ない ―― 中身がなければ喋れない / グローバルの時代こそ日本語の力が重要

女性

「前回は、母音文化、子音文化という興味深い話を有難うございました。余り、そういう類別に基づいて考えたことがありませんでした」

「とにかく、日本語は世界の中で極めて特殊な言葉だということを日本人自身がもっと自覚する必要があると思っています」

女性

「日本以外の国は、殆どすべてが子音文化の国ということですね」

「そのため外国語を聴き取れない、聴き取るのが苦手ということが起きます」

女性

「英語のヒアリングが本当に苦手でした」

「子音を聞き慣れていないので、日本人は誰もが不得意だと思います。ただ、私の頃は英文解釈が主流の時代でしたので、ヒアリングの勉強をしたという記憶が全くと言って良いほどありません」

女性

「テストもなかったのですか?」

「出たとしても配点が10点位なので、そこに時間をかけるのは勿体ないと思ったのです。英語の勉強は、とにかく長文読解がメインという感じで、単語も文章と一緒に覚えるという勉強方法でした」

女性

「今はスピーキングもありますからね。先日の日曜日に全都一斉に公立高校入試判定に使うスピーキングテストを実施しました」

「私はそういうことに対しては批判的な意見をもっています」

女性

「ご自身が苦手だからですか?」

「そういう小さな理由ではありませんよ。まず、聞くことと話すことの間には、少し大きな壁があります。小さな子供が言葉を覚える順番を考えると、最初に言葉を耳に多くいれます。そのうち、片言の日本語が少しずつ出て来ますよね」

女性

「それが「壁」ということですね。「大きな」と言うのは、どういう意味ですか?」

「話をするためには、知識の蓄えがなければならないのです。その知識の蓄えと英語の文法を知らないと、一つのまとまった話になりません。アメリカに留学した青年が言っていたのですが、日本のことを紹介して下さいと現地で言われたそうです。頭の中が真っ白になったと言っていました」

女性

「大きな壁にぶつかって、頭が真っ白になったということですね。ここからが本論です ↓」

 高校入試にスピーキングは必要ない

高校入試にスピーキングは必要ありません。出来なくても良いと言っているのではなく、物事には優先順位があるからです。

日本語は母音文化のため、英語の子音は聞き取るためには耳慣れが必要です。発音も練習しなければ上手くなりません。当たり前です。限られた時間の中で、子供たちにどういう力を付けさせたいのか、総合的な視点から考える必要があります単純に、「ビジネスの現場では英語力不足の課題が解消されていない」(『日経』2022.11.28日付)ことと、高校入試にスピーキングを課すこととは連動していません。

さらに『日経』は留学事業を手掛ける「EFエデュケーション・ファースト」(本部/スイス)のデータを紹介しています。それによると2022年日本の英語力は80位(111か国中)となり、2011年の14位(44か国中)から大きく順位を落としたとしていますが、そもそもこの母集団は中央値が25歳、つまり社会人を対象にしたデータであり、リスニング・リーディングテストの結果です。

スピーキングをこの時期に課すことと、将来のビジネスの現場での英語力向上が統計的に因果関係で結ばれている訳ではありません。要するに、取り敢えず的な発想で始めているだけのことです。そもそも、公立高校進学者が将来において英語を主に使う仕事に何%の生徒が就くと考えているのでしょうか。数にすれば数%でしょう。それ以外の生徒は道連れのようなものです。サッカーのワールドカップの成績を見て、学校体育はサッカーを重視することを決めるようなものです。

(「TOKYO MX +」)

 義務教育段階の英語学習――レディネスを無視したカリキュラム

心理学的用語としてレディネスという言葉があります。受け入れ準備というような意味です。義務教育段階の英語学習を見ていると、レディネスを殆ど無視したような内容となっています。子供たちの興味や関心とは関係なく、社会の状態やビジネス界の状況から逆算して英語カリキュラムを考えているような状況があります。

英語と日本語は、その構造や考え方、発音の仕方がかなり違いますし、アメリカもイギリスも日本から遠くにある国なので、子供たちからすれば何のために勉強するのか、ということを本来は丁寧に説明する必要があるのです。

例えば、地続きの隣国があれば、そこの言葉を習う理由が子供でも何となく分かると思います。ヨーロッパはよく国境線が変わる地域です。母国語だけでは困ってしまうことが将来起きるかもしれません。万が一のため、他の国の言葉を習っておくことは、生きる上での保険みたいなものです。ヨーロッパ人は、バイリンガルがある意味当たり前なのです。

翻って日本ですが、島国なので地続きの隣国はありません。一番近い隣国は韓国、その次は中国なので、本来的には朝鮮語か中国語を習うのが自然だと思います。何故、アジアの言葉ではなく、英語なのでしょうか。そこには、歴史的、社会的な事情と政治的な理由があります。ただ、子供たちにその辺りの理解をさせないまま英語の勉強に入っています。そのことが、隣国との「距離関係」が上手く取れない原因の1つになっていると思っています。

 英語カリキュラムーー先走りし過ぎ

英語と日本語の構造や考え方がかなり違っています。日本人が英語を勉強して戸惑うことがいくつかあります一つは、省略と指示代名詞がやたらと多いことです。英語は繰り返しの表現を嫌いますが、日本語は大事なことは繰り返して書くことをします。そして、指示代名詞ですが、特に「it」がやたらと使われます。彼らの頭の中は分かりませんが、日本人は「it」が出てくるたびに何を指しているのかを考えながら読みますので、時間がかかることになります。

二つ目は、倒置がよく使われることです強調したい時に英語でよく使う手法です。そのため、いきなり動名詞や不定詞が文頭に置かれることがあります。そして、「,」(コンマ)や「―」(横棒)がよく使われます。それらを使って、文章をつなげていくことをよくします。日本では、文章はシンプル・イズ・ベストの考え方があるので、余り長い文章は悪文とされますが、英語は数珠繋ぎのような長い文章を平気で使います。

つ目は、日本語では主語がない文章でも意味は通じますし、実際に使いますが、英語では必ず主語と動詞があることです。日本語は動詞や否定詞は最後の方に置きますが、英語では文章の途中に入れます。単語はアルファベットの組み合わせですので、似たような綴りなのに意味が全く違うということもよくあります。

本来は、こういったことを丁寧に教えて、ゆっくり無理のない速度で学習させるようにするべきなのです。高校までの英語のカリキュラムを概観すると、先走りし過ぎというのが率直なところです。日本語だけで人生を完結できる人が多い国に、若いうちから詰め込み過ぎです。

冒頭に話題にしたスピーキングですが、まだ日本語のスピーキングが怪しい年頃の生徒に、どうして英語のスピーキングを課すのかと思います。関係者に再考を促したいと思います。

(「(株)プロンテスト」)

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