「今回も台湾のことで、お願いしたいと思います。この間聞いていて、いくつかの疑問が出て来てしまいました。それを中心にお願いしたいと思いますが、まず2.28事件というのは何ですか?」
「李登輝がその事件に遭遇して、思わず共産党に入党してしまった事件ですが、国民党の台湾住民に対する大弾圧事件です。2万8千人が犠牲になったと言われています。その時点で、国民党と共産党は内戦の真っただ中だったのです」
「だけど凄い数ですね。その内戦は、どうやって終結したのですか?」
「きっかけは1950年の朝鮮戦争です。半島と台湾の両方の赤化の連動を阻止するために、アメリカが台湾海峡に第七艦隊を派遣して介入したのです」
「共産党と国民党の内戦が、それにより自動的に止まったのですね」
「内戦が止み、共産党は本土で人民共和国の建国宣言をします。国民党は台湾で立て直しを考えるのですが、台湾の住民の支持は殆どありませんでした。理由は分かりますよね」
「2.28の大弾圧事件ですよね。その国民党から、どうして李登輝が総統として出てきたのですか?」
「2.28の後、国民党内で反省が生まれます。アメリカの支持を受けつつ、日本とも関係を保ちながら、台湾という地を経済的に発展させようという方向に切り替えたのです」
「そういう中から李登輝が着実に地位を固めていったのですね」
「それと同時並行的に、台湾に元から住んでいた人、内省人と言うのですが、彼らが経済的な力を付け、中間層を形成するようになります」
「内省人と大陸から来た人たちを、どのように折り合いをつけるのかという問題が出てきたのですね」
「そうなんです。そして、丁度その頃に政治の表舞台に登場したのが李登輝さんだったのです」
「そこから台湾の民主化が加速していくのですね」
「内省人たちがその流れの中で作った政党が民進党です。民進党は台湾独立を党綱領に掲げ、住民の多くの支持を得て2000年には陳水扁が総統に選出されます」
「成る程、今の説明で現在と繋がりました。ここからが本論です ↓ 表紙イラストは「www.ac-illust.com」提供です」
(2人の会話の内容について (株)日本総合研究所 RIM 環太平洋ビジネス情報 2001年7月Vol.1,No.2「台湾の歴史を知ろう」参照)
「2つの中国」の問題が起きる
終戦時、中国本土は中華民国政府が統治をしていました。その後、国民党と共産党との対立が激化して内戦が勃発します。党幹部の腐敗と経済的混乱の中、多くの国民の支持を取り付けた共産党が内戦を優位に展開し、ついに政権を奪取してしまいます。1949年のことです。
敗れた蒋介石は台湾に逃れ、ここで中華民国政府を名乗ります。すでにその時点で、中華民国は国際連合の常任理事国です。本土の共産党が中華人民共和国の建国を宣言しますが、国連での承認は得られませんでした。仮に、加盟申請したとしても、中華民国が拒否権を行使してしまうからです。
2つの中国が発生した瞬間だったのです。
(「note」)
中華民国から台湾へ
その後の台湾の「行方」は、冷戦の流れに影響を受けることになります。冷戦の意味は、お互い兵器を持って対立しているものの、熱戦には至っていない段階ということです。兵器の中に核兵器が入っているため、戦いの火ぶたが一度切って落とされれば地球破滅まで考えられるので、両陣営とも慎重にならざるをえなかったのでしょう。
冷戦は米ソが核兵器を持ちながら対立をします。アメリカは、その対立の解決の糸口を中国に求めます。当時は、ソ連と共産党中国が対立をしていたのです。そこに目を付けたアメリカが冷戦を有利に進めようと中国に急接近します。共産党支配という問題があったのですが、西洋文明の影響と経済発展の中で共産主義を放棄するだろうという見通しをもっていたのです。それは今から考えれば、大変甘かったということでしょう。
1971年国連の代表権が中華民国、つまり台湾から中華人民共和国に代わります。中華民国は国際舞台から強制的に退場させられます。中華民国を名乗ることができなくなります。
(「note」)
冷戦の狭間で揺れ動く
日本はアメリカの方針に従って中華民国・台湾と断交、そして中華人民共和国と正式に国交を回復します。日中平和友好条約が結ばれ、歓迎一色で塗りつぶされたのですが、それは表面的な動きであって、裏で日本政府は台湾との関係を何とか維持したいということで懸命に動いていたのです。
『八重山日報』の報道によれば、1972年9月に日台断交直前に大平外相の密使が台湾の沈昌煥(ちんしょうかん) 外相(当時)のところに派遣されています。「断交後も日本は誠意を持って台湾関係を維持していく」とのメッセージを伝えています。どのように維持するのですかと問うと、経済関係や人的往来と応えたそうです。
盟主国アメリカの方針に従わざるを得ない日本の立場があり、それに対して由(よし)と思わない日本人の心意気みたいなものが発揮されたのでしょう。ただ、そこから台湾は国際社会の中で苦難の道程を歩むことになります。
(「NHK」)
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