「地震が毎日のようにあります。先日は宮崎県で震度5の地震があったそうです」
「日本はプレートの上に乗っかっている国ですからね。仕方がないと言うしかにありませんね。後は時の運と備えでしょうね」
「備えで思い出しましたが、台湾東部沖地震がつい先日ありましたけど、地震があった3時間後には体育館にプライバシーが守られる個室ブースが設置されたそうです。その映像を見てびっくりしました」
「地震2日後には、倒壊したビルの分解・撤去工事が行われたそうです」
「どこかの国とは違いますね。何が違うのでしょうか?」
「緊急事態に対応出来る法制度がまずあって、何かあれば行動できる指揮系統があり、それに従った準備が事前になされているのでしょう」
「そうでなければ、動けませんものね。非常用の食料や水も体育館に運び込まれていたそうです」
「落石で運航停止になっていた鉄道も、台湾鉄道のほぼ全社員1,000人を投入して、一夜明けた頃には線路が修復され、始発から運行できたそうです」
「本当に素晴らしいですね」
「ホント、見習わないといけないですね。そういう中で、日本が統治していた時代の橋が崩れなかったということがありました」
「現地メディアは「百年老橋」という言葉で紹介していました。すぐ横に新しい橋が架かっていたそうですが、そちらは崩落してしまったそうですね」
「なぜ、そのような頑強な橋を作れたのか、どうしてなのか分かりますか?」
「当時の人たちが真面目に仕事をしたからですか?」
「私はそういったものを産み出したのは、当時の台湾の統治体制にあると思っています」
「では、その辺りは本論で ↓ 表紙写真は「Yahoo!ネット募金ーYahoo! JAPAN」」提供です
日本統治時代の建物が多く遺っている
1971年に架けられた約25mの橋が崩落し、1930(昭和5)年の日本の統治時代に架けられたそのすぐ横の約10mの橋が壊れませんでした。台湾当局は地震後すぐに調査をし、補強すれば使用できることが分かり、運用することにしたそうです。
その頃の建造物としては、八田與一が手掛けた烏山頭ダムが有名ですが、台湾のフロンティア開拓のために多くの優秀な日本人技師―—八田與一、青山士、久保田豊―—が台湾に渡っています。そして、彼らに影響を与えたのが広井勇です。彼はクラーク博士で有名な札幌農学校出身者ですが、同期生の内村鑑三の影響を受けて洗礼を受けています。
広井勇は「地球上のどこであろうとも、その地の庶民、弱者のために献身すべきだ」と説いています。そして、その当時の台湾は、日本の南進政策の重要な拠点地という位置付けでした。そんなこともあり、技師たちは日本のため、台湾のため、東亜の発展のためと思って心血を注いだと思われます。そんなこともあり、統治が終了して3/4世紀経ちましたが、統治時代の建物がまだ多く遺っており、活用されているものもいくつかあるのです。
(「Funliday」)
日清戦争を契機に台湾の統治国となる
日本の台湾統治は、日清戦争後の1895年から終戦までの約50年間です。日本の統治のきっかけは日清戦争です。当時の国際ルールは、戦勝国が領土と賠償金を敗戦国から貰うというものでした。ちなみに、今はそういう変なルールはありません。
日本はその「国際ルール」に従って、台湾を譲り受けます。ただ、清にしてみれば、厄介ものの台湾を日本にくれてやったというのが正直なところだったと思っています。もともと、中華思想の国です。明王朝は台湾に対して、何の関心も示していません。今でこそ、中国の領土と言っていますが、海の向こうは「化外の地」であり、住んでいるのはすべて野蛮人と思っていたのです。
そんなこともあって、台湾の第一発見国はポルトガルです。時は16世紀、大航海時代の頃です。やがて、大陸の王朝が明から清に代わりますが、彼らの関心は領土としてではなく、自分たちを脅かす存在にならないようにという敵対的な視点からの関心だったのです。
(「日本の危機ブログ」)
台湾は地方分権統治で行われた
明治時代の日本は、西洋型の中央集権国家を目指していました。ところが、台湾の統治は台湾総督府による独自の統治が行われたのです。1896年に「台湾ニ施行スベキ法律」が制定され、総督に統治の全権が与えられます。要するに、台湾だけは地方分権の統治が行われたということです。
そして、台湾の統治の原型をつくったのが第四代総督の児玉源太郎であり、その彼が「懐刀」として任じたのが後藤新平でした。「児玉・後藤体制」が掲げた方針が、「自治自衛の旧慣」の尊重だったのです。後藤は警察権力による統治よりも、台湾に古来よりある自治組織を活用した方が上手くいくと判断したのです。統治は民の立場に立って行うと考えたことが、経済の好循環と現地の人の支持を受けます。
2000年に台湾で使われた中学歴史教科書『認識台湾』の中で日本統治によって、①人口の増加 ②遵法精神の確立 ③時間厳守観念の養成 ④近代的衛生観念の確立 がなされたと書かれています。台湾に行くと、その親日的な雰囲気を随所に感じます。先人の努力の賜物だと思っています。絆を深めるように努力する必要があります。
(「紀伊國屋書店」)
読んでいただきありがとうございました。
よろしければ「ブログ村」のクリックをお願いします。
↓