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ロシアによるウクライナへの侵攻 ―― 世界は「平和期」から「戦争期」に / 「戦争期」には「平和期」の論理は通じない

「人類史というのは、戦争と平和を繰り返す歴史でもあったのです」

女性

「最近の研究では、縄文時代でも大きな戦闘があったということが分かってきたそうです。人々は何のために無益な戦いを繰り広げてきたのでしょうか?」

「まず、その時々の人たちにとっては、無益とは思っていないということです。何らかの利益や利権を巡っての争いだったのです」

女性

「その争いが近代に入ると国境を越えての戦争となりますが、それはどうしてですか?」

「ヨーロッパ地域を例にとると、17世紀以降近代国家が成立をし始め、主権国家、国境、国民といった概念が成立をし始めます。ただ、それが必ずしもその国の構成員の意識と合っている訳ではありません」

女性

「その辺りの説明が、ちょっとよく分からないのですが……」

「人種、民族と一言で言いますが、国ごとに奇麗に分けられているのではなく、それぞれの国ごとに様々な文化をもった民族が分布しています。つまり、近代国家自体が矛盾の固まりなのです。それらが国境を挟んで成立をし、それがある瞬間にはじけて戦争が始まるというのが、私のイメージなのです」

女性

「第一次世界大戦は一発の銃声から始まったと高校の時に習いました」

「よく覚えていましたね。サラエボでオーストリアの皇太子夫妻がセルビアの民族主義者の銃弾に倒れます。それをきっかけにオーストリアはセルビアに宣戦を布告します」

女性

「今回のウクライナへの侵略へのきっかけは何ですか?」

「ロシアの側に大義名分が何もないのです。プーチン大統領の一種の被害妄想的な判断が根底にあると思います」

女性

「NATOへの加盟ですか?」

「加盟した訳ではありません。親ロ政権が倒れ、今のゼレンスキー大統領が政権の担い手となり、彼が加盟に向けて動こうとしたということです」

女性

「であれば、外交交渉で解決すれば良いと思いますけど……」

「本来はそうすべきでしょうね。ただ、ロシアの今回の侵攻によって、我々の頭を180度切り替える必要が出て来ました」

女性

「そのことの中身は、本論で紹介したいと思います ↓」

 誰もが予想できなかったロシアの侵略

人類の歴史は、紛争と戦争の歴史であったと言っても良いかもしれません。文明の発達と共に戦争や紛争の規模がどうしても大きくなります。最新技術兵器が使われ、殺傷能力が高い兵器が戦場に投入されるからです。ただ、戦争中は双方とも興奮状態、一旦戦火が止み冷静になって数多くの犠牲者を前に反省をし、不戦の決意を込めて文書や組織を作りますが、時間と共に忘れられて平和が崩れてまた戦争状態になる、ということを近代以降何度か繰り返してきました。

第二次世界大戦が終わり、冷戦はありつつも大きな戦火を出すことなくここまで来ましたが、今回のロシアの蛮行が時代の流れを逆流させる引き金になるかもしれません。単なる地域紛争で終わればと思ったのですが、予想していた以上にロシアの要求が強硬であることと、ウクライナの抵抗がそれに対応するように続いているため「戦争」が長引いています。

ただ、今回のロシアの侵攻については、世界中の誰もがここまでの規模の攻撃は予想していなかったと思います。そして、ロシアという国の立場は国連の安全保障理事会の常任理事国なので、本来は世界の平和と安全を守る側に立つべきなのですが、全く逆のことをしています。だから余計に人々は信じられないという思いを強くしていることと思います

(「You Tube」)

 「平和期」と「戦争期」――分岐点に入ったところ

時代がどのようにこれから流れていくかは、もう少し時が経たないと判断出来ませんが、平和から戦争期への端境期に入ったことは確かだと思います。端境期は次の戦争期を見据えての準備期間だと考えれば良いと思います。

「平和期」と「戦争期」では、何が違うのでしょうか。ベクトルの向きが違います平和期は平和のベクトルなので、理想論を言っても通じましたし、それに対して人々は聞いて実現のために動こうと努力をした時代です。ところが、「戦争期」はベクトルの向きが逆になりますので、理想論に耳を塞ごうとします。

ロシアの侵攻が進む中で、日本でも防衛論議が起きています。岸田首相は政府の立場として従来の「非核三原則」を先日の国会では答弁していました。それに対して、自民党の安倍氏や維新の党からは「核の共同保有」の話が出ています。前者が「平和期」の方針であり、後者が「戦争期」のものです。2つの意見が政権与党内から出るということは、端境期に入った一つの証拠になります。

(「中学校/スタディピア】日本国憲法」)

 「平和期」に通じた論理が「戦争期」には通じなくなる

「非核三原則」というのは、核兵器を「持たず、つくらず、持ち込ませず」というものです。1967年(昭和42年)12月に佐藤栄作首相によって表明された原則で、それ以来日本の核兵器に対する基本方針となっています。ただ、歴史の中で取り決めた原則だからといって未来永劫変えてはいけないというものではなく、時代の流れの中で判断されるべきことです。それは、憲法改正についての考え方と同じです。

「非核三原則」も「9条」も平和の時代の所産であり、日本が世界に向かって平和国家として歩むことを宣言した一つの証左にはなるものの、これを掲げたからといって国防には何の力も発揮しません。

ロシアの蛮行が引き金になって、世界史の流れが変わろうとしています。気を付けなければいけないのは、平和の時代に通じた論理や法則が戦争期には使えないということです。急速に陳腐化します。特に、ロシアのプーチン大統領は「力こそ真実だ」と言ってウクライナに攻め入りました。この力神話は連鎖します。何故か。ロシア侵攻の映像を見て、刺激を受ける指導者が世界には必ずいるからです。

庶民の多くは「可哀想」という感想を持ちますが、権力者は逆発想をします。国連の安全保障理事会の常任理事国が行ったことをやっても許されるのではないかと考えるのです。

(「東洋経済オンライン」)

 「核の共同保有」について議論すべき時――理想を夢見ながら、現実を見つめてそれに対応する

なお、ロシアもこれで終わるという保障はありません。非友好的な国として日本を名指ししています。在ロの邦人に対して退避勧告が出ました。活動を止めた日本企業もあります。そういう行為をすべて敵対的行為として捉えることもできます。いずれにしても、備えあれば憂いなしなので、国防に対する備えを強化する時代に入りました

具体的には、ドイツも行っている「核の共同保有」が経済面、安全面からも良いと思います日本の近くには、ロシア、中国、北朝鮮の「隣国3兄弟」が核をもってこちらを睨んでいます。日本からすれば、やむにやまれぬ選択ということです。そういったことに対して、従来の主張を重ねる人もいます。つまり、核兵器の完全廃絶が解決への道なので、日本がそのような動きをすることはその流れに逆行することになるというものです。

核兵器の完全廃絶というのは、「平和期」の方針であり理想です。勿論、世界から核兵器がすべて無くなることが一番望ましいのですが、そのためには現実問題としてすべての核保有国が核兵器を放棄することをしなければならず、それを求めるのは非現実的です。理想を夢に見ながら、現実の防衛のために核の共同保有という道を選ぶのが合理的でしょう。

人間にとって現実の生活が大事ですので、理想は理想として持ちつつも現実にシフトして対応策を考えるのが正着です。それは丁度、この世から悪人がいなくなれば良いと思いつつ、夜にはカギをかけて寝るのと同じ理屈です。両方を考えながら、バランスを考えて行動するのが賢者です。理想論だけを説いていれば良いというものではありません。

(「産経ニュース」)

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