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日韓関係 ―― 日韓基本条約が両国の原点 / 歴史認識や慰安婦問題などを持ち出せば、進展しない

女性

「韓国の大統領選挙の結果が出ましたね。保守系野党の尹(ユン)氏が接戦を制しました」

「数字を見ると凄い接戦だということが分かります。1639万票対1614万票で、得票率の差では1%の差もなかったのですね」

女性

「当選した方は、今のムン大統領とは考え方が違うのですか?」

「ムン大統領は革新系ですから、一応対立陣営の大統領ということになりますが、韓国は日本と違って保守も革新もそんなに違いはありません。敢えて言えば、北朝鮮に対する考え方くらいだと思っています」

女性

「そう言われれば、隣国なのに余りニュースで流れませんでしたね」

「オリンピック・パラリンピックだとかロシアのウクライナ侵攻という大きなニュースがあったので、それも関係があると思います」

女性

「日本との関係はどうですか?」

「どちらになっても変わらないだろうと思っていたので、実は私は殆ど関心がありませんでした。日本のマスコミもそういう捉え方だと思います」

女性

「岸田首相のコメントを見ると、好意的な感じの談話になっていますけど……」

「社交辞令でしょ」

女性

「それ+αという感じを受けます。新聞の記事を読みますね――「健全な関係を取り戻すべく新大統領と緊密に意思疎通をはかっていくことは重要だ」と言っています」

「「緊密」はいらない言葉ですね。言っても良いですが、「礼儀としてソウルの日本大使館前の慰安婦像を撤去して頂いた上で、お互い緊密な日韓関係を築きたいと思っています」くらいのことは言って欲しいですね」

女性

「牽制球を投げるのですね」

「そうですね。日本は牽制球を投げなさすぎです。外交は駆け引きなので、場合によっては2球、3球と投げるのです」

女性

「そのままバッターに投げている感じですか?」

「そうですね。しかも、常に真ん中に投げています」

女性

「だから、いつも打たれてしまうのですね。ここからが本論です ↓」

 「歴史認識」というカードを切ってくるだろう

歴史認識という言葉を、韓国や中国はよく使います。この言葉を使うと、日本国内の反日の団体やマスコミが呼応して、1対3位の力関係となり、過去に多くの「勝利」を治めてきたからです

ただ、国同士の外交関係に於いて、歴史的に検証することがあっても良いのですが、自国の建国の年以前のものは、話題にすることは出来ませんし、現在の国家(王朝)が関与していないことについての責任追及は出来ません。普通に考えれば、当たり前だと思うかもしれませんが、今まではそうではありませんでした。

仮に、そういった時空間を乗り越えて、すべて責任追及できるとすると、日本は元寇のことについて中国に損害賠償請求できることになりますし、中国は7世紀の白村江の戦いは日本の侵略として、逆に損害賠償請求してくるかもしれません。韓国は秀吉の朝鮮出兵に対して損害賠償請求というように、殆ど訳が分からないことになります。

これと似たようなことは、多分ヨーロッパの国家間や民族間でもあるでしょう。ただ、それを言い出した瞬間から、国家間の火種となりいつまでも友好関係を結ぶことは出来ません。人間関係と同じです。付き合いが長ければ長い程、それに比例してトラブルもあると思います。それをすべて問題にしていたら2人の仲は終わります。だから半分以上目をつむって、未来に向かって手を取り合うのが親善であり、友好だと思います。それは個人も国も同じだと思います。その考えが、韓国にあるのかが一番問題です

(「選挙投票チャンネル」)

 歴史認識は違って良い

そもそも歴史認識というのは、何なのかということです。歴史的事実があり、それに対してどのように思い感じるかの集大成が歴史認識です。

歴史的事実をどのような角度、または切り口で見たかによってその認識の仕方は変わります。同じ国内でも立場や地位によって感じ方は当然違ったものになるでしょう。そのことは、韓国にも言えます。国内において、見る立場によって違って見えるものを、国境を隔てて同じように見ようというのは無理です。国が違えば異なった景色が見えるものは当たり前ですし、従って共通の土台にはなり得ません。

(「You Tube」)

 1965年の日韓基本条約が原点

韓国は戦後に建国された国家であり、話のスタートはそこから始めるべきでしょう。1910年から朝鮮半島は日本が統治をしているので、そこから終戦の期間に起きた問題は日本の「国内」問題であり、日本の統治の問題となります。それに対して、時間を遡って何らかの請求を他国がすることは出来ませんし、ある意味で内政干渉になります

現在、日韓の間に慰安婦と徴用工の問題があります。日本と韓国は戦後の1965年に日韓基本条約を結んでいます。それがすべてであり、それ以前に歴史を遡ることは許されません。それは双方に言えることです。

日韓関係がこじれ始めたのは、慰安婦問題を認めた河野談話(1993年)からです。河野太郎氏の父君の河野洋平氏が当時官房長官だったのですが、朝鮮半島出身の慰安婦について旧日本軍が関わっていたことを認める内容だったのです。さらに、ご丁寧に「心からおわびと反省の気持ちを申し上げる」としたものですから、韓国で一気に反日の世論が沸き起こってしまったのです。

河野談話の最大の問題点は、歴史問題を政治問題としたことです。戦時中で様々な問題がありつつも、それは両国が国交を回復する以前の話として、総括と反省は歴史的問題であり課題とすれば良かったものを政治問題として取り上げ、おまけに官房長官談話として発表するという愚を犯したのです。

原則を外せば、必ず予想できない反発が出て来ます。もしかしたら発表する側は、真の親善を願ってのことという理屈を言うかもしれませんが、過去に遡ってすべてを明らかにする義務はありませんし、「言わずが花」という言葉もあります。言ったことにより、すべての人間関係をぶち壊すことがあります。その国家版が慰安婦問題なのです。

(「ついラン」)

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