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コミュニティー・スクールの在り方について / 教育は薫陶なり――日本の教育に対する考え方

女性

「コミュニティー・スクールのことを昨日に引き続いて話題にしたいと思います」

「コミュニティーというのは共同体の意味ですが、ドイツのテンニースは自然発生的なゲマインシャフトと機能的なゲゼルシャフトに分けて考えたのです」

女性

「どこかで聞いたことがあります。家族、親族はゲマインシャフトですよね。昨日話題にしたコミュニティー・スクールは、ゲゼルシャフトですよね」

「そのことを話題にしたいと思うのですが、日本人は組織をゲマインシャフトの延長線上で捉える傾向があるのではないかと思っています」

女性

「どうして、そのように考えるようになったのですか?」

「日本の国家観は家族主義的国家観なんです。国家を家族の延長として捉えようとするのです。お城を見る目、皇室を見る目、自分自身の胸に手を当てて考えてみて下さい」

女性

「そう言われれば、何となく分かります。そんなこともあって、反政府デモが過激にならないのでしょうか?」

「かつては安保条約をめぐって左翼学生の激しいデモがありましたが、季節的なものでしたからね。外国と比べれば、過激なものは少ないと思います。その辺りは、いろんな方と意見を擦り合わせた方が良い問題かもしれません」

女性

「仮におっしゃっている通りだとすると、日本において社会の組織をつくる場合、ゲマインシャフト的な要素を残すべきということでしょうか」

「コミュニティー・スクールをつくる場合に、大事な視点だと思っています。日本人は農耕民族のDNAを背負っていますので、人見知りでチキンハートなのです。家族、親族、友人の延長線で学校組織をつくるようにします」

女性

「「先生とお友達」というのは、日本に合う言い方なんですね」

「大事な視点ですね。それから異動は基本的になくした方が良いと思います」

女性

「公立学校では、普通にあると思います」

「私立学校にはありません。私立に出来て、公立で出来ないということはおかしいと思います」

女性

「そう言われればそうかもしれませんが、そんなこと今まで言った人はいないと思います」

「変に慣れっこになっただけです。「子どもは宝」を言い、「子ども庁」をつくるというのであれば、子ども本位のコミュニティー・スクールを真面目につくる覚悟が必要です」

女性

「ここからが本論です ↓」

 

 日本人の多くは、公教育を信頼していない

1999年11月の少し古いアンケート(ギャラップ社が委託をして日本、アメリカ、フランス、中国、タイの2015名が有効回答/20~60代の男女対象)で恐縮ですが、そのアンケートの中に「子どもの教育で最も重要な役割を果たすべきものは何だと思いますか」という項目があります。日本人の回答を見ると、家庭が74%、地域社会が19%、学校が少なくて5%ということでした

比較の意味で、他国の数字を下に出しておきます。

中国 46%
タイ 26%
フランス 13%
アメリカ 12%
日本 5%

この数字をどのように考えれば良いでしょうか。

日本人の多くは世界に誇る公教育と思っているかもしれませんが、実は完全な幻想であり、日本人の多くは公教育、特に公立の義務教育学校に対しては信頼を寄せていません5%の数字が出たのは、今から20年前のアンケートです。この間、不登校、いじめ、ハレンチ教員の問題など悪い話ばかりです。現在、同じようなアンケートをしたとすると、日本では限りなく0に近くなると思います

 

 人間教育が日本の教育に対する考え方

明治時代になって日本は西洋近代教育を採り入れるのですが、その特徴は学問体系を効率的に習得させるという目的をもったものでした。そのことは同時に、全人的な教育を行うという事柄をすっぽり抜け落とした瞬間でもあったのです。

司馬遼太郎が「明治初期国家が、江戸日本からひきついだ最大の財産」(『明治という国家』)と手放しで褒めたたえた江戸期の教育は、藩校や私塾で展開されたのですが、その大きな特徴は個人の生き方、あり方という人間教育を大事にしたことです。

松下村塾が有名ですが、福沢諭吉や大村益次郎、橋本佐内が学んだ緒方洪庵の適塾、会津の日新館、薩摩の郷中教育など、バラエティー豊かな教育が繰り広げられていたのです。その特徴を一言で言うと人間教育です。

(「note」)

それが学んだ人たちの心に火を点けて、明治維新期に日本を背負う人材に成長させる力となったのです。例えば、適塾は今でいうところの医学校なのですが、緒方洪庵は技術としての医学を教えていません。徹底的に教えたのはオランダ語だったのです。オランダ語によってグローバルな感覚と原点を身に付けさせ、学ばせたのです。

この適塾の在り方が、日本の教育に対する考え方を最も雄弁に語っている、と中西進氏は言います。そして「適塾のように、知識人、教養人として働くことを可能にする全人的な資格、それをこそ教えるべきなのだろう」(「『日本人の忘れもの』ウェッジ文庫、2007年/101ページ)と指摘をします。断片的な知識や資格、それを取るために学校に通うと思っている人が多くなったのではないでしょう。ただ、その考え方は日本の古くからの考え方に合ったものではないのです。

日本には薫陶を受けるという言葉があります。「香をたいて薫りを染み込ませ、土をこねて形を整えながら陶器を作り上げる」(「goo辞書」)というところからきている言葉です。教育とは人格の力で行うものという哲学がそこには含まれています。日本人は、そういうことを大事にしてきた国民であることを、今一度思い起こす必要があると思います。


そんなことから、コミュニティー・スクールは、ゲマインシャフトにする必要があるのです。紙数が尽きました。続きは次回にしたいと思います。

読んでいただき、ありがとうございました。

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