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マルクスの出発点を探る ―― 思想が出てきた社会背景を探る(2) / ハイネの思いをマルクスも共有している

  • 2023年6月6日
  • 歴史
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「前回のブログで、ユダヤ人たちが今までの歴史の中で辛酸を舐めてきたことが、少しは理解できたでしょうか?」

女性

「私はアウシュビッツしか知りませんでした。普通と言ったら変ですけど、ヨーロッパのそれぞれの国に溶け込んで、暮らしてきたとばかり思っていました」

「ある意味仕方がないかもしれませんね。ゲットーという言葉は学校では習いませんからね」

女性

「そうですね。だけど、彼らに対する差別感というのは、現在も続いているのですか?」

「国によって到達点は違うと思います。ただ、先の大戦中のユダヤ人に対する大量虐殺に対する深い反省がキリスト教諸国に沸き起こったことは確かです。そして、現在はユダヤ人というのは、ある種曖昧な呼び方になりつつあります」

女性

「それはどういう意味ですか?」

「1948年にイスラエルが建国されましたので、それが何と言っても大きいと思います」

女性

「イスラエル人と言うのが正しいということですか?」

「ユダヤ人という呼び名は、亡国を前提にしたある意味、差別的な呼び名だと思います。ユダヤ教の信徒もしくはユダヤの文化や伝統を堅持しようとしている人々という意味ですが、イスラエル人で良いと思います」

女性

「しかし思うのですが、約2000年間迫害される中で、自分たちの宗教と文化をよく守り抜いたなと思います」

「旧約聖書という共通の拠り所があったからだと思います。それがなければ難しかったと思います」

女性

「拠り所を作るというのは大事なんですね」

「国が亡くなったので余計にそこに意識を集めようとしたのだと思います。対照的なのが、日本です。日本があって、そこに平和に住むのが当たり前みたいな感覚になっています。日本人と強く意識しながら生活している人は殆どいないと思います」

女性

「ここからが本論です ↓ 表紙写真は「明かりの本」の提供です」

 ハイネーー「最大の悩みがユダヤ人」と言っていた

前回のブログで、フランス人権宣言によって希望の光がユダヤ人たちに差し込んだかのように思えたのですが、ナポレオンの没落によって、歯車が逆回転してしまったということを書きました。

そういう状況に落胆の余り、ユダヤ人であることを放棄して、自分の考えた人生を歩もうとする人も出てきたのです。詩人として、世界的に知られているハインリッヒ・ハイネ(1797-1856)の生き様を紹介します。

(Twitter/『ハイネ恋愛詩集』)

ハイネはドイツのゲットー内で生まれ、大学教育を受けたユダヤ人エリートですユダヤ人でいることは自分にとってマイナスと考え、プロテスタントの洗礼を受け、ドイツ人名に変えたのです。ただ、ユダヤ人の仲間からは裏切りと非難され、結局フランスに亡命することになります。

ハイネは8年におよぶ闘病生活の中で、自分には3つの苦悩があると言っています。貧困と背骨の痛み、そしてユダヤ人であること。そのうち、最大の悩みがユダヤ人と言っています。ドイツを思慕しながらドイツの体制を呪って、フランス行きを決意します。フランス革命の歴史に没頭し、「私はいつか……偉大な歴史家となりましょう」と言っていた時期もあります。そして、パリで客死します。その境遇があったために心打つ詩を遺すことが出来たのかもしれませんが、ある意味皮肉な人生と言えるかもしれません。

(「紀伊国屋書店」)

 マルクスーーユダヤ人国家創設のために自身の能力を使おうとした

ハイネが20歳の頃にマルクスが生まれます。ハイネの思いをマルクスも共有しているはずですマルクスはドイツでライン新聞を主宰しますが、イギリスに亡命しています。イギリスで革命が起きることを予想しての行動です。彼もまた、ハイネと同じように革命の動乱を期待した人です。ユダヤ人国家創設のチャンスが増えるからです。

ユダヤ人であることを呪いながら、ユダヤ人国家創設のために自身の能力を使おうとしたのがマルクスではなかったかと思います。ただ、こういった観点から彼を捉えようとした人は、今まで誰もいません。マルクスの思想を今まで論じてきた人たちに共通して欠けていた視点は、彼がユダヤ人であるということです。

当時のユダヤ人は亡国の民として、それぞれが重い人生を歩んでいたと思われます。彼に於てもそれは例外ではないはずです。そういう過酷な状況から脱するためには、ヘルツェルは「ユダヤ人国家創設以外に道がないと考え」、その考えは時を経て代を継いでマルクスに伝わっていたと考えるのが自然です。

 『共産党宣言』を出して『資本論』―― 本来なら逆のはず

その思いを前面に出すことは出来ない。純粋な労働運動、革命運動さらには経済の研究活動においても、祖国再建という命題は彼の頭の中の結構大きな部分を占めつつも、それを隠しながらの運動であり研究だったはずです。「ユダヤ人にとっては、明日がどうなるかは絶対にだれにもわからないので、明日の生き方は、全く新しく発明しなければならない」(『日本人とユダヤ人』)という思いをマルクスも持っていただろうし、そのことを含みながら彼の書を読む必要があると思っています。

『共産党宣言』を出して『資本論』を書いています。本来ならば逆のはずです。つまり、社会の法則を発見したならば、それを社会に知らせる論文を書き、その実践が不可欠と判断したのであれば自分も運動体に参加して活動することになるはずです。なぜ、逆なのか。要するに、ユダヤ人にとっての悲願に向けて自分なりに貢献したいという彼の気持ちが先行しての行動宣言だったのです。明日はどうなるか分からない。とにかく思い立ったら行動ということだったと思います。

人間の思いがあって行動があるのですから、ユダヤ人としての彼の思いがどこにあるのかを類推しつつ彼の行動を理解し、著作を読み解く必要があるのです。

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