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大学英語共通テストの論議を再開――船頭多くして船山に登る状態

 

「『朝日新聞』(1.16日付)に『入試議論 多難の再出発』という見出しで、大学英語入試の記述式問題導入をめぐって意見が割れたという内容の記事が掲載されました。知っていましたか?」

 

女性
「あれっ、大学共通テストでの英語民間テスト導入と記述式は行わないと発表があったばかりですよね。どういうこと?」

 

「昨年12月の萩生田文科大臣の発表は『延期』と言ったので、2021年度以降どうするかの検討をこれから始めるようです。それより検討会議委員のメンバーが発表されたのですが、それを見て思わず『船頭多くして船山に登る』という言葉が浮かんでしまいました」

 

「船をこぐ人、つまり指図する人が多すぎると、港に行くはずの船が山に登ってしまうという意味でしょ。そんなに多くの『船頭さん』を集めたのですか?」

 

「有識者委員11人、教育団体委員7人、オブザーバー参加として1人、それぞれ、いわゆる「肩書き」をもった方たちを集めて検討会議を行ったのだけど、どうしてこういうふうに各界の長クラスを多く集めて会議を開いてしまうのでしょうか、大いに疑問です」

 

「その中で現場を直接知っている人は?」

 

「高校の校長先生が2人だけです。ただ、授業をもってはいないと思われるので、生徒の実態についてはどうでしょうか。後は、大学教授、外郭団体の長といった錚々(そうそう)たるメンバーです。予備校の講師を、メンバーとして入れることを考えたら良いのにと思いました。

現場を直接知らないので、それぞれが頭の中で勝手な生徒像を描きながら、持論を展開すると思いますので、まとまらないと思います」

トヨタやIBMといったグローバルに展開している企業でも、取締役のメンバーは7から8人位でしょう。人数を集めれば良いというものではありません。三人寄れば文殊の知恵という言葉があるように、三人が協力して考えれば良いアイデアが生まれると先人は言っています。18人も集めたら、諺のように変な結論になったり、空中分解したりすることになりかねません。文科省の役人が最後に、意見をまとめることになると思うのですが、総花的な書き方になることが予想されます。

議題は報道によれば、 ①「白紙」から議論をスタートするのか ②入試改革によって高校教育を変える手法の是非 ③格差をどう小さくするか ④大学入試のどこまでを共通試験に担わせるか、の4つでした。

①については、これは文科大臣が決めるべきことです。どこから始めるか、というのは陸上のスタートラインなので、これを選手に決めさせようとしたら大変なことになります。主催者である文科大臣が決めることです。

②大学入試と高校教育は別物です。高校は大学の下請け機関ではありません。それぞれの高校で判断して教育の中身を考えていると思います。大学入試を意識することもあれば、しないこともあります。そして、そういう発想で大学入試を考えられると現場は迷惑をするし、受験生を戸惑わせることもあります。そんなことから、議題として成り立たないと思います。

③これも議題として成り立たないと思います。資本主義社会というのは、そもそも格差が生ずる社会なので、それを考えるのは政治もしくは経済政策の分野のことなので、大学入試で考える問題ではないと思いますし、考え切れないと思います。

④についてですが、高校は勉強をするところです。勉強というのは、すでに社会では常識とされたような事柄について学び、場合によってはそれを暗記して、自由に使えるようにすることです。だから、勉強の世界では答えは一つです。

大学では、その基礎の上に立って様々な学問分野に分かれて、研究します。学問というのは、まだ答えがない、もしくは答えが複数あることについて研究することです。そして、専門性は時代の進展とともに、細分化する傾向にあります。大学が受験生や入学生に求めるものが、当然各大学によって違うはずです。共通試験はマークシートの選択問題が多くならざるを得ません。当然、見極められる能力はある程度限られます。共通試験という発想自体が間違っていると考えます。大学入試というのは、各大学が個別に実施するもので、文科省が関与することではないと考えます。

以上が私なりの答えですが、敢えて議論する価値があるのは④だけですが、有識者を20人近く全国から集めて行うような議題ではありません。

日本の教育の全体像を俯瞰した時に、今一番考えなければいけないことは、文科省そのものの組織の在り方と小学校教育、そして教員養成、以上の3つです。大学入試は2の次、3の次の問題だと思います。センター試験から敢えて大学共通テストに移行する必然性もありません。

人間は自分の全身の姿を直接見ることができないため、自分のことが一番分からない存在だと思います。だから多分、文科省自身も自らの組織について、何が問題なのか分からないと思います。

最大の問題は、トップの文科省大臣が猫の目のように変わってしまうことです。この10年で10人の文科大臣が着任しています。組織のレベルはトップの力量や問題意識のレベルに正比例します。猫の目のように変わる組織は安定しませんし、何かプロジェクトを成し遂げることは、まず不可能です。ゆとり教育の失敗、今回の共通テストをめぐる失態の組織的原因は、ここにあります。

大企業のトップ人事が分かりやすいと思いますが、余程のことがなければ変わりません。死んでしまった、不祥事があった、無能ということが証明された、そのような場合は交代しますが、それ以外の交代は原則ありません。

それに対して、実際には事務次官が取り仕切っているので、大丈夫という答えが返ってきそうですが、教育という将来の国のあり方に関わる行政を、国家試験に合格してキャリアを積んだだけという方に任せる危険性がそこにはあります。つまり、国民から選挙によって信任を得た内閣とは違う考え方の人間が、教育行政を動かしてしまうという危険です。実際に2017年に事務次官を辞めてから、全国各地で反日活動をしている人もいます。

教員免許をもたず、教育現場を知らない文部官僚が、教育政策を担うという組織的矛盾を抱えています。その矛盾解消のために、教員を経験した人間を採用するルートを作ることを提案します。5年以上経験した人で、教育行政に関心がある人から試験によって採用するルートを考えられると良いと思っています。

文科省には初等中等教育局と高等教育局があります。一番重要なのは、小学校教育です。不登校、いじめ、落ちこぼしや超過勤務の問題に加えて、道徳の教科化、英語、プログラミング学習の導入など現場は悲鳴を上げています。

初等と中等を引っ付けて1つの部局としていますが、ここに文科省の問題意識の希薄さが表れています。切り離して、それぞれ独立した局として再構築して、問題解決に全力を尽くして欲しいと思っています。

読んでいただき有難うございました

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