
今日は、安全保障関連法が施行されてから丸4年経ちます

もう、そんなになるのですね。当時は、「戦争法」とか言われていましたよね

よく覚えていますね。意外と、女性の方はこういう問題に疎い方が多いのに……

私も疎い方だと思いますよ。覚えていたのは、クラス会という名の食事会があって、宴たけなわの頃に、突然、安保法制反対の署名が回ってきたからです。

それで、どうしたの?

殆どの人がよく分からないので、ポケタンとしていたら、一人の子が立ち上がって、戦争や徴兵制をさせないためにお願いしますと演説をぶったのです

それで、署名したのですか?

しないといけないような雰囲気になって、みんなで協力しましょう、なんていうことで全員署名しました。だから、よく覚えているのです。

署名の集め方や、書き方が極めて日本人的ですね

それは、褒めているのですか、呆(あき)れているのですか?

どちらかというと、後者ですね

平和憲法に違反する法律だとか、公聴会に出席した憲法学者全員が反対した、という話を聞けば、反対しないといけないかな、みたいな感じになったのです。だけど、あれから自分なりに平和のことや自衛隊のことを考えるようになったのは確かです。

そこが唯一の収穫ということですね。ところで、『八重山日報』という沖縄の地方紙があるのですが、つい先日の3月22日付の紙面に、沖縄県石垣島から出撃した特攻隊の一員であった石垣仁中尉の遺書が発見されたという記事を今日は持ってきたのです。

遺書を書いたのは、何年前ですか。

彼の命日が1945年の3月22日なので、75年前ですね。戦死をされる2か月前に、山形県のご両親に宛てて書かれています

立派な字ですよね

靖国神社の境内にある遊就館に、軍人さんが書いた遺書が多く展示されていますが、どれも立派な字ですね

昔は、そういった教育がきちんとしていたのでしょうね。達筆すぎて読めないのですが、辞世の句もありますね

「たぐいなき幸 吾(われ)選まれて 今南海の雲と散り征(ゆ)く」「身はたとえ南海の果てに砕くとも み霊は永久(とわ)に み国護(まも)らむ」とありますね。

何か、泣けてきますね

彼が遺書を書いたのは、わずか23歳です。戦争がなければ、まだまだ輝かしい人生が続いたと思うとやり切れない思いですね。私の伯父も若くして戦死していますので、他人事とは思えません。こういう人たちの思いを胸に、生きていかなければいけないと思います。

辞世の句の後、読んでいただけますか

身は死しても魂は七生の恩に燃ゆ。後に残る弟妹又私の身代わりとなりて皇国を護持せられん事を。最後に皆様の御健康を御祈り致します、ですね。泣いて頂ければ有難いと思います。それが供養になります。