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中国がキバを剥き始めた時だからこそ、「古事記」を読もう / その中のメッセージを読み解く必要性あり

  • 2020年7月14日
  • 2020年7月15日
  • 歴史
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「再び、『古事記』のことについて話題にしたいと思います」

女性

「素朴な疑問なのですが、『日本書紀』の扱いが低い感じがします。その辺りを、少し説明していただけませんか」

「『古事記』は712年、『日本書紀』は720年にそれぞれ編纂されています」

女性

「ほぼ、同時期ですね」

「ただ、編集方針が明らかに違います」

女性

「中身と言うか、分量が違いますよね」

「『古事記』は全3巻、原稿用紙にすると150枚位のものです。一方、『日本書紀』は正式の漢文で書かれ全30巻あります」

女性

「両方とも歴史書ですよね」

「『日本書紀』は、特に中国を意識しての歴史書の性格が強いと思います」

女性

「ということは、『古事記』は違うということですか?」

「『古事記』は国内向けに、特に後世に伝えたいことをデフォルメするような文体で漢文とやまと言葉で書かれています」

女性

「デフォルメしているところが重要ということですね」

「そうですね。そのような仕掛けが入っているということは、何らかの意図があると思います」

女性

「『古事記』の中で重要場面を教えていただけませんか?」

「そこだけ読むつもりでしょ」

女性

「デフォルメ的な読み方をしたいと思いますので、アドバイスをお願いします」

「仕方がない人ですね。あくまでも私の主観ですので、含み置き下さい。①イザナギとイザナミが結婚のために於(お)能(の)碁(ご)呂(ろ)島(じま)に降りて、そこで「天(あま)の御柱(みはしら)」と広い寝殿を建てて、その柱の周りを回ってから声をかける場面 ②ウジ虫が体から湧いて出るという黄泉の国でのイザナミの様子を強烈に描写した場面 ③イザナギが黄泉(よみ)の国から帰ってきて禊(みそ)ぎを行い、三神を産み出す場面、です」

女性

「結構、私でも聞き覚えがある場面です」

「文章をどう読むかは、その人の感性の問題と関わってきます。あなた流の解釈を期待しています」

女性

「ありがとうございます。ここからが本論です ↓」


 『古事記』に意義を認めた内外の人たち

歴史学者の井上光貞氏 (1917-1983)は「日本人とはいったい何者なのか、日本人の歴史の底を流れているものはいったいどんなものか。古事記・日本書紀の神話や物語は、このような問題を引きだしてくるための貴重な古典」(井上光貞『日本の歴史』中公文庫.1973年/19ページ)と言います。


日本人のルーツを辿る旅は、まだ終わった訳ではありません。その解明に向けて、考古学、歴史学における文献研究、さらには近年著しく発展した遺伝子学などの学問成果を結集する必要があります。ただ、その際に一番行ってはいけないことは、あらかじめ神話は非科学的だから文献研究から排除するという態度です。

神話の中には、当然当時の人たちの価値観や自然観、社会観が反映されているはずなので、貴重な文化的資料なのです。非科学的だから排除するという考え自体が非科学的だということを湯川秀樹博士の言葉を引用しながら、昨日のブログにそのことを書きました

それから日本では、共産党系の反日学者たちによって「古事記」を排除する動きが強いため、教科書には題名程度の紹介で終わっていますが、海外では日本の神話を高く評価する傾向があります。例えば、『古事記』をポーランド語による全訳・出版(1981)させたという人が、ワルシャワ大学のコタンスキ名誉教授(1915-2005)です。彼は、生前、『古事記』に書かれた大宇宙観、人生観を超えるものは、地球上にいまだにあらわれていない、と言っていたのです

彼の日本語、古事記研究は実は戦前から始まっていて、ポーランドでは日本学の父と呼ばれていました。1983年には明治大学の招きで来日し、「文学作品としての古事記」というテーマで講演をしています

なお、古代の秘密の書である『古事記』を現代にまで受け継ぐという重要な役割を果たしたのが本居宣長(1730-1801)です。彼は30有余年にわたって漢文と万葉仮名が入り混じった『古事記』と格闘して『古事記伝』(44巻)を書き遺したのですが、彼の働きがなければ多分我々は『古事記』を読むことはできなかっただろう、と言われています


(本居宣長)

もちろん賀茂真淵との出会いがなければ、宣長が『古事記』に魅了されるということがなかったのかもしれませんが、宣長が特に魅力を感じたのは、「大和心」です。古代まで約1万年にわたって形成された日本民族のアイデンティティが凝縮されていることを直感的に感じ取り、それを後世に伝えることを自分の役目と思ったのだと思います。



 『古事記』の「祭り」について改めて考える

昨日のブログで、天照大神が天岩戸に隠れてしまい、高天原は闇夜に包まれてしまったという話を紹介しました。この時に、八百万の神々は困ってしまい、集まって相談をします。それでも良い考えが出なかったため、知恵の神に相談して、「祭り」を行うことを決めたという話を紹介しました。

天照大神というのは、日本を表わしています。天岩戸に隠れたというのは、日本のアイデンティティの喪失を言っていると思います。四方八方暗闇で、どちらに進んで行って良いのか分からない状態です。GDP、労働生産性など各種の経済指標を見ても、どれも良くありません。アメリカにつくのか、中国につくのか、与党内でも分かれている有り様です。チャイナマネーも政財界に流れこんでいることでしょう

まさに今の状況です。このような時には「祭り」をしなさいと言っています。「祭り」はオリンピックのことを言っているのかもしれませんし、別のイベントを言っているのかもしれません

そういうことではなく、別のことを示唆しているのかもしれません。一人ひとりが、角度を変えて考えてみて欲しいと思います。

「祭り」というものは地域の人たち、老若男女がそれぞれの役割を果たして心を一つにする行事です。

参加者の心を一つにして合わせなければ、上手く行きませんので、そのような気持ちをもつべく、国民が正面を向いて力を合わせて生きていくようにというメッセージなのかもしれません

日本という国は一つの王朝として見た場合、世界最古の王朝ですなぜ、そんなに長い歴史を刻むことができたのか。それは、権威(天皇)と権力を分離した上で、国民と権力者が手を合わせて国づくりをしてきたからです。つまり、和の国を目指したのです。そして、それが宇宙の原理にも適っていることを「古事記」は神話を題材にして明らかにしています。

変な階級史観、革命史観を持ち込んで日本の歴史を説明しようとする左翼学者がいます。大陸の国々と日本とでは地政学的にも違っていますので、当然国づくりの考え方も違って当然ですが、西洋史観を日本に当てはめて考えるのが常道のような状況です。そのため、多くの教科書がその立場から書かれてしまっているので、「古事記」が脇に追いやられている現状があります

先人が「古事記」を書き遺そうとした動機は、中国(唐)に対する警戒感からです。だから、例えばヤマトタケルの東征の話でも、「古事記」と「日本書記」では書き方が違います。その他、違うところが多くあります。その中国が最近になって突然キバを剥き始めました。本性を表わし始めたのです。こういう時こそ先人が遺した貴重な古典である「古事記」から学ぶ必要があると思います。

読んで頂きありがとうございました。

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