明治の「学制」発布(1872年)から現在まで、日本の教育は中央集権的に行われてきた。日本の教育行政の特徴を一言で言えば、殆どそれに尽きる。
そこには、開国期の日本が西欧列強に追いつき追い越すためには、近代的教育制度の導入を急がなければいけないという事情があり、戦後も憲法、教育基本法のもとで新たな教育制度を進める必要があり、そのためには文部省(現在の文科省)に多くの権限を与えた方が良いという判断がそれぞれあったからであろう。ただ、民主主義的な政治体制と中央主権的な教育行政は理念的に矛盾するので、どこかのタイミングで教育行政の在り方を指導・援助行政もしくは地方分権体制に変える必要がある。
そもそも教育学について専門的に学んだ訳でもない行政官僚が、国の教育行政全般の方針を定めるのは、おかしな話である。だから、「ゆとり教育」というトンチンカンなスローガンを掲げて教育内容を削減し、公立学校不人気となる大失敗をする。
今回の共通テストに向けてのいくつかの失態も、結局現場が分からない官僚が手探りでコトを進めるからである。
1999年に地方分権一括法が成立し、国から地方へ様々な分野について権限移譲が行われ、2001年には1府22省庁から1府12省庁へと中央省庁再編が行われた。文部省は科学技術庁と統合して文科省となった。その際に教育課程編成権を地方に移譲するという話もあったが、結局それは実現せずに現在に至っている。
しかし、社会が高度に進展すればするほど個別対応を求める教育への要望は高まっていくだろう。また、外国人労働者の子弟の教育についても今後はきめ細かい対応が必要だろう。
アメリカには、文科省のような教育を統括的に行う省庁はなく、義務教育年限やカリキュラムも州によって異なっている。教育は個別具体性が求められるので、州の実情や子供たちの実態を踏まえて自由に科目の設定や内容の変更を行うことができる。アメリカの方が理にかなっているし、時代の流れに柔軟に対応することができる。
とにかく、全国一斉に同じ教育課程、同じシステムで教育するという発想をやめる時期に来ていることは確かである。大学入試の記述試験を全国共通という発想で行うこと自体無理があるし、ほとんど馬鹿げている。
今の組織体制のままならば、この先さらに迷走するだろう。迷走しないためには、一般行政組織と切り離して教育省を作るか、地方に教育権限を移譲するか。どちらかの対応をとった方が良いだろう。