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「朝鮮通信使の真実 江戸から現代まで続く侮日・反日の原点」の書評、感想

本書はつい先日の11月10日に出版・発売されたが、内容が堅い割には売れ行きが好調とのことである。著者の石平(せきへい)氏は中国四川省の出身で、2007年に日本に帰化し、現在評論家として活躍されている方である。


 半島の人たちの異常なまでの反日感情の源流は、一体どこにあるのか。すぐさま「植民地支配」という声が返ってきそうであるが、同じように統治した台湾からは日本の統治に対して、感謝の言葉を多くもらっている。3.11の時も29億円の義援金を台湾から頂いた。アメリカとほぼ同額で世界で2番目に多かった。ちなみに韓国からは2億1千万(世界24位)である。

無題
(Tenki.jp)

半島には帝国大学(植民地に国立大学をつくった国はない)までつくり、インフラ整備も行い、工業発展の基礎まで行った。そのことは最近発行され、ちまたで話題の李栄薫編著の『反日種族主義』(文藝春秋.2019年)の中で「解放前の朝鮮経済は日本を中心にした地域統合体制に編入されており、そのため域内貿易が活性化され、産業構造も急速に変わっていきました」(63ページ)と明確に述べている。

それにもかかわらず、慰安婦、徴用工といった捏造話を作っていやがらせをする。その精神構造の起源は、一体どこにあるのか。その問題について、朝鮮史を丹念に調べる中で、資料も残っており実証しやすく、かつ分かりやすいということで「朝鮮通信使」に焦点を充てたということだろう。豊富な資料と巧みな論証、科学的な分析により説得力もあり、その試みは成功していると思われる。

朝鮮通信使(ちょうせんつうしんし)とは、室町時代から江戸時代にかけて李氏朝鮮から日本へ派遣された外交使節団である。正式名称を朝鮮聘礼使と言う。その名の通り江戸幕府はこれを事実上の朝貢使節として扱っていた。(wikipedia)

 この書の評価されるべきところは、朝鮮通信使という、従来見向きもしないようなことにスポットライトを当てて、半島の人たちの日本に対する心情(コンプレックスと猜疑心の混じり合ったもの)を明らかにしたことである

この書から、様々なことを学ぶことができた。①朝鮮通信使は対等外交ではなく、朝貢使節だったこと ②使節の派遣において、対馬藩の果たした役割が大きかったこと ③来日するたびにコンプレックスを増大させていたことなどが分かる。 その上で著者の石平氏は「一連の知的作業を通して本書の達した最後の結論はまさに

『あの国と関わるな!』

ということである」(「はじめに」)と言っている。そして最後に、こう結論付けている――「通信使の時代から現代に至っても、半島の人々は何も変わっていない。われわれは彼らとの付き合いには気をつけないといけない。あるいはそもそも、彼らと一切付き合わないのはわれわれにとってのもっとも賢明な選択肢であるかもしれない。歴史の教訓からみれば、彼らとはやはり、関わってはいけないのである」

日韓文化交流と言うが、歴史を調べてみると、先人は半島との付き合いを意識的に避けていたことが分かる。遣隋使、遣唐使の時は、陸路を使わず専ら海路を使ったし、江戸時代も含めて半島に使節を出したことはない。中国から漢字や元号、様々な思想、宗教を学び移入したが、半島からはこれといったものがない。せいぜいキムチくらいのものではないだろうか。

石平氏は著書の中で憤りをもって紹介しているのが、彼らの悪意に満ちた口撃の数々である。対馬藩に仕えた雨森芳洲(あめのもりほうしゅう)は、中国語、朝鮮語に通じた当時の日本を代表する儒学者の1人であるが、彼が通信使の来日にあたり世話役を務めたことがある。歓迎の宴などのおもてなしをしたりして、いよいよ通信使との別れの前夜に感極まって涙ながらに「皆様は国に帰ってさらに栄達することを願う」と挨拶しているが、それに対して申維翰(シンユハン)は自著の『海游録(かいゆうろく)』の中で「この人物は言葉は巧みであるが心の中は陰険、権力を握らせれば必ずや隣国に対して悪事を起こす。彼の涙は、この小さな島で老死する哀れな運命に対する弔いでないのか」と評している。

 屈折したDNAが世代を越えて受け継がれている。 福沢諭吉はそういうことを含めて「脱亜論」を説いたのであろう。「隣人とは遠く付き合え」というのが先人の教えである。まさに至言。後は実行するだけである       

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