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時代のターニングポイントに差し掛かった今、あらためて中国外交を考える

中国共産党とのつき合い方

女性

隣国の中国と今後どのように付き合っていくのかという問題を、前回に引き続いて話題にしたいと思います

手元に「毎日新聞」(2020.4.15日付)が「論点 日中関係の今後」ということで、お三方の意見を掲載しています。そのうちの一人である丹羽宇一郎氏については、昨日のブログで紹介しました。それとは正反対のような立場の意見が、青山繁晴氏(参議院議員)の「脱中国依存 目指すとき」です。2人の中間的な意見が、久保文明氏(東大大学院教授)の「関係改善は限定的範囲で」です

女性

日本と中国との関係は、古代から現代に至るまで約2000年の歴史があります。その歴史を踏まえた上で、日中関係を考えるべきだという意見があります

歴史学者が、そういう観点から日中関係はどうあるべきか、ということをよく言います。ただ、日本は古代から現代まで一つの王朝ですが、中国は王朝も民族も途切れています。どの時代のどの王朝の時に起きた問題なのか、その時の日本の政策ということで、個別具体的に見れば足りると思います

女性

例えばということで、何か具体的に話をして下さい

日本という国名が成立するのが7世紀頃なのですが、その頃の中国は唐の王朝が成立をしていました。当時の日本は、唐の軍事力に怯えながらも、その文化に憧れを抱きつつ、律令国家の建設を急いだのです。というように考えれば基本的には良いと思いますし、状況によっては、過去に遡って調べれば足りると思います

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だから、過去から現在まで、お互いの歩みを知る必要は……

基本的にはないでしょうね。実際に、国レベルで見ると、親しく付き合った時代というのは殆どないのです。敢えて見るとするならば、民間の文化交流かもしれません。例えば、国レベルの交流が途絶えた江戸時代でも茶、陶磁器、生糸、木綿といった中国由来の贅沢品や朱子学が日本の日常の中に受け入れられていきましたし、多くの影響を受けました。

女性

民間交流であれば、国の体制や王朝がどうあろうと、関係ないですからね

問題にしようとしているのは、外交関係なので、先方の国家体制が大いに関係があります。特に、政府と国民との関係が重要なのですが、政府が選挙の洗礼を受けていない場合は、峻別して考える必要があります

女性

中国という表記ではだめということですか

独裁政権の場合は、政権と国民が運命共同体とみなすことが出来ないので、中国という表記は不正確ですし、場合によっては問題の本質が分からなくなる可能性があります。だから、中国共産党政府、中国国民と分けて表記する必要があります。共産主義という極めて異質な思想によって国家が動いていることを、歴史家も政治家も過小評価するきらいがあります。深く認識し、用心する必要があります




 時代のターニングポイントに差し掛かっている

米中の覇権争いがヒートアップしている状況下、元号が令和となり、期せずして、今回の武漢ウイルス禍。まさに天が、今が時代のターニングポイントにあることを全世界に知らせようとしているように思えます。それを感じさせるようなタイミングです。しかもご丁寧に感染源が中国です。

ターニングポイントというのは別れ道なので、行先と方針をはっきりさせる必要があります。全方位外交をする時代ではないのです。世界の中に、大きな対立点がない場合は、全方位外交が正着だと思いますが、これからは米中が対立の基軸となって、周りの国々がどちらにつくかといった判断を迫られる時代です。判断が正確でなければいけないので、感覚的かつ情緒的な理由での判断を避ける必要があります。そして、独善的な決めつけや不正確な判断も避けなければいけません。

例えば、「すぐ隣の世界一の人口を有した国と付き合わないというのは、殆ど馬鹿げた考え」。財界の方がよく言う意見です。民間交流は続けて良いと思います。それと政府間交流、つまり外交は全く別です。だから、政府関係者が財界人を引き連れて、「中国詣で」をするのは駄目です。官は官、民間は民間、という大原則のもと民間交流を続ければ良いと思います。日中間の歴史を見ると、そういった歴史の方が長いことが分かります。

 共産主義は、科学のお面を被(かぶ)った究極の利己主義的思想

そのような厳密さを求める理由は、共産主義が社会科学的に極めて異質な思想であるし、中国がその思想に支配されてしまった国だからです。

まず、共産主義について、その問題点を指摘します。ゴール地点が最初から決まっている演繹的な思想という問題です。しかも、そのゴールが正しいかどうかが検証されていません。そこが大いに問題なのです

昨日のブログで話題にした連合赤軍事件。見方を変えれば、共産主義というトンデモナイ思想のお陰で、人生を狂わされた人たちということも言えます。世界同時革命、言葉が成立したからといって、それが正しいかどうかは別です。人は時々錯覚を起こすことがあります。プラカードを掲げた瞬間から、それが本当にあると思ってしまったのでしょう。

人間は神様ではないので、様々な試行錯誤の結果、一つの真理に到達します。つまり、「最初の真理」は帰納法的に導き出されるはずです。「最初の真理」が確定すれば、そこから論理的に導いたものも真理として認定されるというのが物事の道理です。ゴールが正しいかどうか検証もされていないものを、あたかも真のゴールだと思い込んで活動している人間たちがいます。その姿は、まるで共産主義という一種の宗教を信仰している信者です

宗教というのは、教祖と経典があって、それを信じるという行為によって成立します。共産主義もマルクスという教祖がいて、資本論という経典があり、共産主義社会の到来という科学的に実証されていないゴールを信じているということで、宗教と考えることもできるのです。宗教でないと言うならば、その先がなければおかしいと思います。共産主義社会の次の社会は何ですか? そこで終わりというのが、この考えのおかしなところです共産主義社会は永遠なのですか? 何故、永遠に続くのですか? 根本的なことについて、殆ど何も説明されていません。

 共産主義社会というありもしないゴールをあるかのように見せかけて、実は国家、最終的には世界を我がものにしてしまおうという極めて利己主義的な思想です。それが分からないようにするために、党内は徹底した官僚主義で統制し、情報を隠蔽しようとします。その辺りは、北朝鮮や中国を見ればよく分かると思います。そのような国とまともに付き合おうとすれば、場合によっては呑み込まれ、国ごと拉致されるでしょう。香港の人たちは、その危険性を感じ必死で抵抗しているのです。

日本共産党の綱領を少し書き直してみましょう。「資本主義が高度に発達した日本では、民主主義と自由の成果をはじめ、今までの時代の価値ある成果のすべてが、受けつがれ、いっそう発展させられる。「搾取の自由」は制限され、改革の前進のなかで廃止をめざす。搾取の廃止によって、人間が、ほんとうの意味で、社会の主人公となる道が開かれ、「国民が主人公」という民主主義の理念は、政治・経済・文化・社会の全体にわたって、社会的な現実となる。

さまざまな思想・信条の自由、反対政党を含む政治活動の自由は厳格に保障される。 資本主義社会がさらに高度な発展をとげ、搾取や抑圧を知らない世代が多数を占めるようになったとき、原則としていっさいの強制のない、人間による人間の搾取もなく、抑圧も戦争もない、真に平等で自由な人間関係からなる共同社会への本格的な展望が開かれる」

社会主義、共産主義という文言を資本主義に直して、それに合わせて文章を直してみました。いかがでしょうか。言葉を入れ替えただけで通用するような文章ですし、革命など入る余地がないことが分かると思います。日本共産党が考えていることは、2000年以上続いた老舗の商店を建物ごと全部取り壊して、全く新しい建物を建てて、自分が新しい社長として君臨したいと考えているだけです。その新しい商店で何を売るのか。特に目新しいものは何もありません。上の文章を見れば分かると思います。それから、搾取という言葉自体、産業資本主義の時代の言葉です。GAFAが巨大企業になったように、データがより多くの価値を生む時代です。やがては死語になる言葉です。

そして、今の世界を見渡すと世界の平和をかき乱しているのは、共産主義国です。今回の武漢ウイルス禍が象徴的です。その隣の国は、世界がウイルス対策でまとまらなければいけないのに、気が狂ったようにミサイルを撃っています。

 中国の多面的な攻撃を分析して対処する必要あり

最初の2人の会話の中で、「毎日新聞」のお三方の記事について紹介しました。なぜ、3つの意見に分かれているのかというと、「群盲象を評す」現象が起きているからです。

つまり、目が不自由な人が象を触わって、象とは何かを論じているようなものということです。

中国共産党の3つの攻撃、これについては昨日のブログで紹介しました。ほほ笑み、握手しか見てない方は、丹羽氏の意見―—「平和の価値観共有したい」ということになりますし、尖閣など武力的圧力を知っている人は――「関係改善は限定的範囲で」となり、すべて俯瞰的に知っている方は――「脱中国依存目指すとき」となります。要するに、それぞれの立ち位置の違いによって意見が分かれているだけなのです。

政府と国民が一体となっているような国であれば、何も分けて考える必要がないのですが、中国の場合は、共産党政府が共産主義という特殊な思想によって国民を統制している国ですので、分けて考え、最後に総合することにより相手の戦略が分かり、そこから日本の行くべき道を考える必要があるからです。

何故そのようなことをしてくるのか。テニスに例えます。相手が手ごわい場合は、ハードショット1本やりでは攻略できません。ドロップショットを打ったり、ゆるいロブを打つ、サーブ&ボレーを仕掛ける、様々なテクニックを駆使して相手を攻略しようとしています。ありとあらゆる方向から、粘り強く攻撃を仕掛けています。

部分的にしか見ていない人は、理解不能になっているのではないでしょうか。尖閣での威圧的態度と習近平の笑顔の握手、どちらが本当の中国なのか。そのように部分的に見てはいけないのです。彼らは、総合戦略で日本という国に対峙しているのです。日本は試合ではなく、単なる仲良し練習のつもりでいます。だから、相手が時々強く打ったり、ドロップショットをしたりするのを見て、何をやっているのかと思っているのです。日本側に認識の甘さがあります。向こうの国は、日本のバックにアメリカがいるし、一応経済力は世界三位の実力です。シード選手相手なので、様々なテクニックを駆使しなければいけないと思っているのです。

中国は自分の力と日本の力を冷静に分析し、対処しています。そこが怖いところです。日本は殆ど分析していないからです。それから、日本の近くにあるもう一つの共産主義国の北朝鮮。この「プレイヤー」は、ハードショット1本やりです。すべてコートに入ればそれなりに脅威ですが、殆どアウトボールです。ゲームセットも間近いでしょう

読んで頂きありがとうございました




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