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コロナウイルス禍の中で「新しい教育」のあり方を考える/「遠隔授業」「飛び級制度」など

 コロナウイルス禍になり、改めて教育の問題について考える

女性

「感染者の数が、世界で200万人を突破してしまいましたね」

「数が大きいので比較をしないとピンと来ないと思うのですが、手元に3月23日付の「毎日新聞」があります。その1面に「感染者30万人超す」とあります」

女性

「この25日間で170万人増えたのですね。単純計算で、1日あたり7万人弱ですね。日本の感染者も増える一方です」

「そんなこともあり、緊急事態宣言を全国に拡大しましたが、あくまでも「要請」ですので、どの程度実効性があるのか、これからが問題となるでしょう。」

女性

「皆さん、普通に外を歩いていますよ」

「商店街によっては、普段よりも人手が多い所もあると言います。これでは、感染者の増加は抑えられないと思っています」

女性

「抑えられない場合は、どうするのですか?」

「どうにもならないですね。法律で権利を制限することはできないからです。現行憲法下では、これ以上バルブの栓を閉める法的手段がありません。国民の良心と自制心にひたすらお願いするしかないと思います」

女性

「国会議員の中にも遊びに行ってしまう人がいるんですよ。最初のうちは比較的言うことを聞いてくれると思います。ただ、せいぜい2、3週間が限度だと思います。」

「そうなってくると、これがズルズルと長くなるだけですね」

女性

「休校が長引きそうなので田舎にコロナ疎開をさせようか、と昨晩主人と言っていたところです。」

「コロナ疎開って、何ですか? 初めて聞きました」

女性

「主人の実家が岩手県で、感染者がゼロでしょ。主人が岩手支社に転勤願いを出したので、もしOKであれば子どもも連れて行こうかと……」

「そういうことを考えている人も出始めたということですね。私の職場では、午前中3時間、遠隔授業をしていますが、昨日はクラッシーがほぼ終日、今日はロイロノートが午前中パンクしました。」

女性

「それは何が原因なんですか?」

「多分、想定した以上の通信量が飛び交ったため、サーバーが裁き切れなかったのではないかと思います」

女性

「ウチの小学校はホームページを通して連絡が来るようになっています。そこに課題が書かれていて、それをこなすという感じですね。遠隔授業をして欲しいと思っています」

「テレワークの延長のような感覚で、気安く遠隔授業と新聞は書いたりしますが、教育現場はアナログの世界が基本なんです。生徒の顔と反応を見て、黒板とチョーク、ノート指導という世界から、急にデジタルの世界で勝負をしろと言われても、かなり無理があります。」

女性

「そんなこともあって、午前中3時間なんですね」

「実は当初の案は、通常授業と同じ様に6時間だったのです。ただ、そうなると教員の健康の問題もあるのでは、という話になり3時間に落ち着いたのです。実際にやってみて、我々も慣れていないということもあり、これで手一杯という感じです」

女性

「これが長引いたら、どうなるのですか?」

「その辺りは文科省が決めることですが、ちなみに遠隔授業は法的には認められていません。従って授業時数にカウントできないのです。その辺りの議論を国として始める必要があるのです。」




 学校統廃合を直ちにやめる

今回のコロナ騒ぎを踏まえて、教育の問題について何を改めなければいけないのか、考える必要があります。1人でも感染者が出れば、学校は休校となります。感染という危険の分散を考えるならば、学校は小規模ほど良いということになります。大規模になればなるほど、多くのリスクを抱え込むことになるからです。

まず、直ちに学校統廃合をやめる必要があります。文科省は、はるか昔のベビーブーム時代に作った「12-18学級」という基準に基づいて、学校統廃合を継続してきましたが、これを期にやめる必要がありますそもそも、「12-18学級」という基準は大規模校を作らないための予防的な基準です。いつの間にか、学校統廃合のための基準となってしまったということを重ね合わせれば、存続する理由は全くないのです。

 AI時代の人材育成は、イレギュラーバウンドの対応を

これからの時代は多くの子供たちを1箇所に集めて、少人数の教員が一斉授業をする時代ではありません。学校を保育園の延長のように考えているようでは、人材は育ちません。AI時代の人材育成は、イレギュラーバウンドの対応をする必要があります

どういうことか、今まではレギュラーバウンドの生徒を基準に教育を考えてきたと思いますが、これからはイレギュラーバウンドの生徒を基準に考える時代だということです。教育のコペルニクス的転回が必要ということです

不登校の生徒や発達障害の生徒をどうするか、そこからまず考える必要があります。それから、ギフテッドの生徒のことを考える必要があります。ギフテッドというのは、天から才能を授けられた人という意味です。中には、アインシュタインのように、発達障害だけれど、ギフテッドということもあります。日本は和の文化の国です。子供の中にも、そういったDNAが入っています。ギフテッドの子供の中には、目立ちたくない、知られたくないということで才能を隠しているうちに本人も親も周りも分からなくなり、埋もれてしまうということが結構あったのではないかと思います。

日本はそういったギフテッドの子たちの割合が、多いと言われています(才能が埋もれてしまっていることも含めて、統計的には明らかになっていませんが、現場の教員の感覚をまとめたものとしてご理解下さい)。その子たちに、スポットライトを当てる時代だと思っています。時代は、そのような才能を発掘せよと言っていると思います。



 遠隔授業はもちろんのこと、飛び級制の導入、国内外の大学へのオンライン入学

何か疑問に思った時、大学の教員や専門家に相談できる、日本にいながら海外の大学の講義に参加できる、中学卒業と同時に大学に入学する。教育で考えることは、イレギュラーの少数者を何とかすること、それが第一。次に、残りの大多数の子供たちのことを考える。

順番が従来と異なっているということです。

そのようなシステムを作る必要があります。何故か、それは才能ある者をいかに見つけて、育てるかが日本、いや世界にとって必要な時代になっているからです。例えば、今のコロナ禍、現在ワクチンの開発のために必死の努力がなされていると思いますが、天才的な研究者の手にかかれば、短期間でワクチンを作ってしまうかもしれません。そうなれば、人類の救世主でしょう。

 スポーツの場合は、特別な才能があれば這い上がることができます。それは、公式試合があり、そこで分かるからです。ただ、知的能力については、そのような大会がありません。たまに、コンテストがありますが、スポーツと比べればかなり少ないと思います。そのため、ある程度のレベルまで周りが押し上げる必要がありますが「変人」と見られ「いじめ」に遭いつぶされてしまうこともあります。才能があるために、周りの子と少し変わっているということが本人も周りにも分かるのが、

「飛び級」制度です。

戦前の日本にはありました。スポーツ、芸能、芸術の世界は実力勝負です。その考え方を教育の分野に適用するだけです。アメリカにはあります。日本は、戦後になってやめてしまったのですが、新たな制度として復活を検討する時代になったと思います。

読んで頂きありがとうございました



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