「前回は韓非子の性悪説の話でしたね。哲学的な話もたまには良いものだなと思いました」
「現象面の裏には、必ずそれを動かしている因果関係の流れがあります。そこに人間行動が関わっているのですが、その大元の価値観がどういう行動をするかに影響を与えます」
「すいません、難しいことをいっぺんに言われても、そんなに賢くないので、嚙み砕いて言ってもらえませんか」
「大元の価値観と言ったから、分かりにくかったのかもしれません。性善説と性悪説です」
「そう言われると分かります。ところで、大陸ではどうして性善説よりも性悪説優位の状況が作られてしまったのですか?」
「それは彼らの元々の生活形態から来ているものだと思います」
「狩猟生活と農耕生活ですか?」
「そうですね。食料の安定調達という点からすると、狩猟生活の方が劣ります。時には、全く食料調達が不可能という事態にも遭遇します」
「農耕生活をしていても飢饉がありますので、そういう事態に陥ることがあると思いますけど……」
「穀物は保存がききますよね。狩猟で採取した獲物は、生ものなので保存がしにくいです」
「緊急事態に陥るのは狩猟生活の方なので、食糧を調達するためなら何をしても構わないのではないかという考えに向かいがちということですね」
「そういった生活を多分何万年も重ねたのだと思います。そういう中で、厳しい自然界を生き抜く知恵みたいなものがDNAレベルで蓄積されていったのではないかと思います」
「成る程、結構説得力がありますね。だから、ロシアのような極寒の地に拠点をもっていた民族は、性悪説的な考えに染まりがちということなんですね」
「皆がみんなそういう訳ではありません。民族的な傾向ということで理解してもらえればと思います」
「今回も性善説と性悪説についての話題でいきたいと思います。ここからが本論です ↓」
性善説か、性悪説なのかという命題の立て方は誤っている
人間は本来的に善なのか、悪なのか、という問い掛けがよくなされます。善にもなるし、悪にもなる存在と答えるのが正解だと思います。だから、人間だと言うことが出来ますし、人間というものは、そういうものなのです。
だから、すべての人間を性悪説的に見ることも、逆に性善説的に捉えることも誤りです。そして、もともと韓非子の性悪説は統治のための理論として構築されたものです。韓非子は中国の古代の戦国時代末期の思想家(B.C.280?- B.C.233)です。広大な大地を舞台に、諸国が覇を競っていた時代です。そういった時代状況の中で書かれたものだということを、まず深く理解する必要があります。
というのは、思想家が書いたものは普遍的なものなので、すべての時代、すべての社会に適用できると思う人が意外に多いからです。しかし、人間である限り、時代と国境を超越して思考を巡らすことは出来ません。常に、限定的に有効なものと考えるべきなのです。社会科学という言い方をしますが、自然科学とは違うのです。
(「sunrain.jp」)
国内統治をどうするのか
日本を想定して、考えてみたいと思います。国内統治は性善説と性悪説の2つの考え方を使い分けます。韓非子が生きた時代ではありませんし、国内問題でも国際的な動向を踏まえて考えなければならず、単純にはいかないということです。
制定される法を例にとって考えてみたいと思います。例えば、憲法とか教育基本法は、国家にとって総則的な内容を規定することになります。この場合は、性善説をベースにします。取締りに重点が置かれた法律を策定する場合は、性悪説がベースとなります。
3歳児の女の子が保育園バスに取り残されて熱中症で亡くなった事件を受けて、国がマニュアルの策定を各関係団体に要請しました。このマニュアルは過ちが絶対に発生しないようにしたいというのが目的のため、性悪説の観点から作られる必要があります。要するに、法律やきまりの目的が何なのか、それを見定めた上で、どちらをベースにするかを決めることになります。
(「アマゾン」)
「韓非子」は国際社会の時代に蘇る書
ロシアのウクライナ侵攻によって、国際社会は新たな時代に入ったという表現がなされます。性善説、性悪説という論議に引き寄せると、国際法規を性悪説によって考える時代に突入したということです。
どういうことか。国連が機能不全になっていて、歯止めが掛からなくなっています。国際法があって無きが如きとなっていて、強い者が幅を利かす、幅を利かすために強者を演じるために核をちらつかせるということまで起きています。まさに、世界は無法地帯が広がる戦国時代に突入したと言えるかもしれません。
世界的な規模の戦争を防ぐ目的で作られた国際連合です。一つの組織としてまとまることによって世界平和を実現していこうというのが出発点だったはずです。一つの高き理想に向かって組織が動いている場合は、性善説の立場からの議論の進め方が有効だったでしょう。
ロシアのウクライナ侵攻は典型的ですが、世界平和というベクトルの動きが逆方向に振れ始めています。ミサイルを他国にめがけて撃つ国、勝手な理屈を付けて相手国の四方を取り囲んで軍事演習する国などが出てきました。悪しきことは連鎖するということです。
こういう時代にこそ、「韓非子」の書が役に立ちます。無法国家がどういうことを考え、どのように行動するのかという心理分析の一助になると思います。悪しきことは、自らの欲望が呼び寄せます。悪しきことを考える国が増えれば、国際社会は「性悪説モード」で対処するのが正着となります。
そして、日本で言えば、近隣諸国に対しては、性善説で対応する国と性悪説で対応する国を分けなければいけません。人の国に向かってミサイルを撃つような国に、微笑み外交をしていたら国民から頭は大丈夫かと言われるでしょう。相手の出方を見て、対応する時代に入ったということです。ただ、北朝鮮は、ある意味分かりやすい反応をしているのですが、中国が分かりづらいと思います。今年が日中国交50年という節目の年でもあります。
次回は、中国のことを話題にしたいと思います。
(「ロイター」)
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