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A I 時代の教育を考える(その1) ―― 偏差値教育の先にある、新しい学びの形 / 転換点に来ている日本の教育

女性

「前回はサルの子育てに学ぶという話だったと思います。話を聞いて、忘れていたものを思い出したような気がしてきました」

「動物たちは長い時間をかけて習得したものを忠実に守ろうとします」

女性

「人間はかたちを崩そうとしますよね。あれは、どうしてですか?」

「様々な子育て情報が入ってきますので、それを実践する人も出てきてしまうのです。私の時代には「抱きぐせ」という言葉が出てきて、抱きぐせが付くから抱っこをしないのが良いという考えが流行りました」

女性

「なぜ、「抱っこ」をしてはいけないのですか?」

「自立心を養うために、敢えて「抱っこ」をしない方が良いと言われたのです。泣いても、そのままにした方が良いと言われました」

女性

「完全な育児放棄じゃあないですか!?」

「今は「抱きぐせ」ということを言う人はいないと思います。むしろ、たくさん抱っこをしてあげなさいと言われるような時代だと思います」

女性

「私は極めて自然に接してきたように思います。というか、子育て本を殆ど読まなかったですね。もう少し、教育ママでいた方が良かったのかなと思うことがありますけどね」

「シンプル・イズ・ベストの考え方で良いと思います」

女性

「ここからが本論です ↓表紙は「JB press」提供です」

 「早ければ良い」という時代 ― 早期教育ブームの光と影

幼児教育には、時流があります。1980~90年代は「早期開発型」の教育観が流行っていた時代でした。「脳は早く刺激するほど伸びる」という脳科学の断片的理解が広がり、カードフラッシュや先取り学習が流行したのです。その象徴的人物が、ソニー名誉会長の井深大氏でした。氏は『幼稚園では遅すぎる』(ごま書房)を出版し、「幼児開発協会」を設立して幼児教育の分野で積極的に持論を発信し始めたのです。

なぜ、そのような実践をされるようになったのか。バイオリンの早期教育で名を馳せた鈴木鎮一氏の「鈴木メソッド」との出会いがあったのです。4、5歳児が大人でも演奏が難しいメンデルスゾーンのコンチェルトを弾きこなしてしまう姿を目の当たりにし、「教育は1日でも早くしなければいけない」と考えるようになったと言われています。そして全国各地に幼児教室を設け、早期教育の実践を進めていったのです。

その頃の日本は高度経済成長期の只中にあり、社会全体が強烈な上昇志向に包まれていた時代でした。「より良い学校に進めば、より良い人生が待っている」という価値観が共有され、親たちは“未来から逆算” して子どもたちの現在を設計しようとしました。

いい大学、いい高校、そこに入れるためにはいい中学、いい小学校、そしていい幼稚園に入らなければいけない。その発想が、「幼稚園では遅すぎる」という刺激的な言葉と結び付き、多くの親を早期教育の信奉者に仕立て上げたのです。しかし、それは同時に、子ども本来の発達リズムや遊びの時間を犠牲にする危険性も孕んでいました。大人の不安や競争意識が、幼い子供たちに過度な期待として降り注いでいた面もあったでしょう。

(「Apple books」)

 

 非認知能力の時代 ― 「心の土台」が見直され始めた

2000年代以降は、過度な詰め込み教育の反動から、シュタイナー教育や「森のようちえん」など、子供の自主性と親子の関わりを重視する「自然派教育」が注目されるようになります。興味深いのは、かつて早期教育を推進した井深氏自身が、大きく考え方を修正していることです――「幼児開発協会でいろいろやってみた結果、母親の愛情によって育まれる赤ちゃんの温かい心づくりと、生まれた時からの体づくりが、なによりも重要で、知的教育は言葉が分かるようになってから、ゆっくりでよい、という結論になった」(『朝日新聞』1990.4.28日夕刊)。そこに至るまで、21年を要した計算になります。

現在の教育トレンドは、「IQよりも非認知能力が重要である」という方向に大きく舵を切っています非認知能力とは、やり抜く力、感情制御、協調性など、数値では測れない力のことです。どんなにIQが高くても、社会で認められなければ、意味がありません。というか、元々人間の能力は、他者との関係性の中で初めて発揮されるものだからです。誰もいない公園で壁に向かって160kmのボールを投げても意味がないということです。

現在、幼児教育で最も重視されていることは、主に3つです。①アタッチメント(安全基地): 子供と親との信頼関係(アタッチメント)の意味。チンパンジーも子育てで一番大事にしていたことです。それを築くことによって、初めて外の世界への好奇心が生まれ、挑戦できるようになります。②プレイフル・ラーニング(遊びながら学ぶ): 遊びの中にSTEAM教育(科学・数学など)の要素をさり気なく取り入れる手法のことです。③レジリエンス(立ち直る力): 失敗しても折れない心や、自分の感情を調整する力(マインドフルネスなど)を幼児期か意識して付けさせます。親の力量が試されている分野だと思います。管理者ではなく、子どもの応援団長として、激励したり、褒めたりします。

(「知育Labo」)

 国家のための教育から、子どものための教育へ

子育ての歴史は、人類の歴史とともに遡ることができます。そして、その歴史は常に国家の教育政策との密接な関わりの中で展開してきました。日本の教育史が大きく転換を余儀なくされたのは、明治維新以降です。それまでは地域ごとに行われていた教育が、国家の求める人材を作るための教育になります。日本の子どもたちにとっての不幸が、この時代から始まることになります。幕末に来日した多くの外国人は、日本の子どもたちの明るさと笑顔に驚きの目を向けています。地域共同体の中で自由に遊び、その人間関係の中で育まれていた当時の子どもたちは、極めて生き生きとしていたのでしょう。ところが、明治維新を境に暗転します。

明治政府の「富国強兵」政策に合わせた教育政策が文部省を通して行われます。強い軍隊による強い国家を作るための全国一斉一律教育が始まります。戦前は教育勅語、戦後は教育基本法によって理念が示されました。その内容が良いとか悪いではなく、国家が一律に目標を提示すること自体が教育学的に間違っています。というのは、子どもは一人ひとり個性を持っていますので、その子に合った教育を施し、その子が社会で生きていく目標を個々に設定させることが教育の目標でなければならないからです。「人格の完成」(教育基本法/第1条)は、本人が社会生活を送る過程で追及すべきことです。子どもの前に崇高な目標を掲げても何の意味もありません。単なる、大人の自己満足です。それが証拠に、教育基本法を改正(2006年)して以降も、教育状況は悪くなるばかりです。子どもの自殺者はついに年間500人台になりました。

今の偏差値教育の愚かさに日本社会は、いつ気付くのでしょうか全国一律教育を子どもたちに提供し、共通テストの数値で進路を決める。こんな愚策を一体いつまで続けるつもりなのでしょうか。その子の適性にあった進路があるはずです。それを様々な学びや体験、さらには多くの人との関わりの中で見出すのが10代の教育における課題です。それを全くせずに、与えられた教科書を機械的に学んでいくだけ。しかも現在では、AIが大学入試で人間を上回る得点を取る時代に入りました。暗記型教育の優位性は急速に失われています。これから求められるのは、「考える力」「創造する力」「他者と協働する力」、そして「人生を自分なりに構築する力」です。そのような“人財”を輩出できるような制度を早急につくる時代となりました。

(「西日本新聞」)

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