「香港の『りんご日報』が26年の歴史に幕を引きましたね」
「ニュースを見ていましたが、ひどい話ですね」
「人権という感覚も概念も中国にはないので、結局こうなってしまうのです」
「中国の報道官は「法の外にある楽園はない」と言っていましたね」
「問題なのは、法の中に何を盛り込むことが出来るかなのです。中国の解釈だと、政府の考えていること、望んでいることすべて『法』の中に盛り込むことができると思っています」
「ということは、人民は人民服を着るべしと決まったとしたら、それに従わなければいけないということになりますよね」
「そういうことですね。それが中国の法の考え方なのです。韓非子が法家思想を唱えたのですが、その考えそのものです」
「ただ、韓非子という方はいつの時代の人なんですか?」
「彼は中国の戦国時代末期の方です。紀元前3世紀の人ですね」
「どうして、そんな古い考え方を採用するのですか?」
「そういうと、『温故知新』と言われて、中国の法の考え方に文句を言うのは内政干渉だといわれますよ」
「都合の良いところは、しっかりと現代の法論理を使うのですね」
「孫子の兵法の国ですからね。謀(はかりごと)と理屈にかけては、日本より2枚も3枚も上手(うわて)ですよ」
「孫子は何世紀の人ですか?」
「彼は古いですよ。紀元前6世紀ですね。逆に、その時点であのような書が出ているということは、大陸は3000年位前から戦乱や謀略が渦巻いていたということかなと思っています」
「ここからが本論です ↓」
孫子の兵法を使って中国は現代戦を考えている
『孫子』の中に「上兵は謀を伐(う)ち、其の次は交を伐ち、其の次は兵を伐ち、其の下は城を攻む」というのがあります。中国の戦略として現代においても使われています。意味は、1番の最善策は謀略戦、2番目は外交戦、3番目は様々な戦場で敵を撃つことだと言っています。そして、一番最低の戦い方は敵方の城を攻めることと言っています。謀略戦の中には、サイパー攻撃も入ってくると思います。そうすると、孫子の兵法は現代においても充分有効だということです。
日本人の感覚からすると、逆ではないかと思うかもしれません。正々堂々と勝負する。言ってみれば、それが武士の美しき生き方でした。勝っても、負けても正々堂々と勝負する。そして、勝った人は負けた相手の潔さを褒めたたえるというのが武士道だったのです。「道」というのは、生き方を意味しています。戦場においても、人間の生き方を究極まで追究しようとした先人たちの思いや考え方がそこにあります。
それはそれで良いのですが、現代の戦争の考え方は、孫子の考え方の方が正しいと思います。戦争には、お互い実弾で攻撃し合うという側面もありますが、むしろそれ以前の段階が重要です。日本人が持っている一昔前の戦争の感覚で戦争を考える時代ではないということです。9条は、かつての時代の戦争を想定して作られた条文です。そういう点でも時代遅れの条文になっていますし、現に有効に機能していません。
日中平和友好条約締結が謀略戦の始まりであった
中国には、武士道のような高尚な考え方はありません。結果を求め、その結果が出さえすれば手段は選ばないという考えです。
そして実は、中国は日本に対して、すでに謀略戦と外交戦を仕掛けています。尖閣周辺では第三段階に入りつつあると思っているでしょう。日本人は日中平和友好条約(1978年)を結んだのに、というかもしれません。すべて終わった後、あれは紙くずだと言われると思います。
日中平和友好条約は、両国の平和発展の第一歩というのが日本側の解釈です。中国は、全く別の解釈をしていたのです。彼らにとって日中平和友好条約は、謀略戦の始まりと位置づけていたようです。そのように考えると、すべて辻褄が合うからです。
中国側から見て日本の良からぬ行為については、両国の平和友好を傷つける行為と言えば良いわけです。「僕たち親友だよね」と言われれば、相手の我が儘をある程度は聞いてあげるかということになります。他国とは違ったパイプが繋がった瞬間だったのです。パンダを貰って、喜んでいる場合ではなかったのです。日本では、友好ムードが高まり、中国語ブームも起こります。実は、それを見て、大陸では別のことを考えていたということです。
(「NHK」)
日中平和友好条約を締結して以降、謀略戦が始まります。最初の一手は内政干渉でした。1985年の終戦記念日の日に中曽根康弘首相の靖国神社参拝に対して、突然中国側が苦情を言い出します。そんなものは、「内政干渉するな」の一言で終わるのに、それ以降参拝する首相、閣僚が年々減少し、2010年には首相、閣僚誰一人参拝しませんでした。
日中間は戦時に入っている、というのが中国の認識
私の伯父は靖国に祀られています。農家の跡取りの長男でした。当時は長男、次男関係なく赤紙一枚で召集されたのです。国のために貴い命を捧げた英霊に対して、国家の指導者が頭を下げるのは当たり前のことです。しかも、それを中国から言われたからといって取りやめるという腰抜けではどうしょうもありません。それを見て中国はますます自信をもって攻撃をすることになります。この程度のことで内閣の行動が変化するような国だと思えば、謀略戦はさらに続けられることになります。その様子を見て、半島の国も動くという連鎖反応を誘発することになります。
そしてこの年、2010年に中国のGDPが日本を上回り、日本は世界第二位から第三位に転落するのです。しかも、日本は抜かれてもなおODAで中国に資金提供をすることになります。そのお金が軍事費にも回され、中国の軍事費は30年間で40倍になり、その力を背景に外交的圧力をかけてくるようになります。
現在も日本に対して、謀略戦は続いています。ターゲットは権力機構なので、国会議員に対する工作は当然行われているでしょう。野党への工作も行われていると思います。野党が中国について殆ど話題にしたがらないのが気になります。マスコミへの工作も進んでいると見た方が良いと思います。日本での前線基地的な役割を果たしているのが、日中友好協会であったり、孔子学院であったりしていると思います。そのような工作を行いつつ、日本の主要な地域の土地の買い取りなどを行い、外堀りを埋めようとしているというのが今の現状だと思います。
日中間は戦時に入っているというのが中国の認識であることは間違いありません。だから連日、尖閣周辺海域に機関銃を装備させた海警局の船が出没するのです。日中平和友好条約は紙くずと思っていることでしょう。
(「海上保安庁」)
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