
「サナエノミクスについて勉強させてもらいました。370兆円プロジェクトについてですが、財源を示していないということですね……」

「そのような質問をするということは、「財源のない政策は認められないはずだ」と思っているからでしょ?」

「何か新しい提案がでるたびに「財源はどうするのか」ということが言われています。だから、そうなのかなと……」

「法案の提出自体に財源の明示義務はありませんが、実際にお金を動かすには「予算」を通す必要があるため、結局、国会審議の中で「財源をどうするのか」が追及されることになります」

「ただ、よく考えてみるとおかしな話だと思っています。国会は立法府なので法案を提出し、財源を考えるのは財務省の仕事だと思います」

「なるほど、非常に本質的な意見だと思います。国会議員は立法府の議員なので、予算が具体的にどのように使われているか知る立場にありません。財源はどこかと聞かれても困るということですね」

「その通りです。現実の国会審議で「財源をどうするのか」が提案者に対して追及されることに、前々から違和感を持っていました」

「そのように追及するのは、日本の政治・財政の仕組みにおける「壁」があるためです」

「「壁」というのは……?」

「「立法権」は国会にありますが、実は「予算案を作って国会に提出する権利」は、憲法第73条および第86条により「内閣(政府・財務省)」にしか与えられていないのです」

「要するに、どんなに有益な法律案を提案したとしても、内閣が首を縦に振らないものは絶対に国会を通過しないということですね」

「そういった構造上の問題があるのです」

「ここからが本論です ↓表紙写真は「読売新聞」提供です」
国会は「最高機関」なのに、なぜ財務省を動かせないのか
2人の会話にあるように、国会議員は法律案を提出できますが、その実施に新たな財政支出を伴う場合には、政府が予算案を提出しなければ実現できません。憲法第41条で「国会は国権の最高機関」と定められているにもかかわらず、実際には財務省との調整が不可欠であり、政治の意思だけでは政策が実現しにくい場面が少なくありません。そして、財務省は内閣の提案ですら財源を理由に渋ることがあります。各省庁は本来、内閣府の指示に従って行動すべきですが、ベクトルが逆方向になる時があります。まさに日本の政治構造が抱える最大の矛盾(ねじれ)だと思っています。この矛盾は、中央集権国家であるにも関わらず、議院内閣制というシステムを採用しているところから起きています。
中央集権国家と大統領制は相性が良いのですが、議院内閣制とは相性が悪いと思います。実際に世界の中に、日本のような中央集権国家でありながら議院内閣制を採用している国があるのでしょうか。G7の中には、ありません。議院内閣制は立法と行政が一体化して国政を担うシステムですが、行政の長は議会の多数派の中から選ばれますので、国会議員を兼ねます。議会で討議し、そこで可決したものしか政策として提案できませんので、首相が考えた国家プランが採用されるかどうかは分かりません。ただ、それでは、中央集権国家をつくった意味があまりないのではないでしょうか。
「中央集権」によって情報と権力を独占した官僚機構(財務省)と、「議院内閣制」によって内閣の意向に従いがちな国会という2つのシステムが組み合わさった結果、憲法41条の理想とは裏腹に、国会が財務省をコントロールできないという歪んだ力関係が生まれています。つまり、国民は様々なことを考えて国会議員選挙に臨むのですが、ある政党が仮に多数派を形成したとしても、選挙で掲げた公約が実現するかどうか分からないということです。ただ、それでは、民主主義国家と言えないと思うのですが……。

(「みんなの政治ナビ」)
帝国議会はなぜ「協賛機関」として設計されたのか
そのような歪みとも言うべき構造的な問題を解くために、帝国憲法を紐解いてみました。天皇を含めて三権についての条文数を見てみると、帝国議会に関する条文が一番多いことが分かります。帝国憲法は全部で76条しかありませんが、帝国議会についての条文は22条分、つまり1/3弱あります。行政に関する条文は2条しかありません。これをどう見るかということです。
そして、行政についての規定の中に、首相、総理大臣、内閣、枢密院、元老といった言葉が全くない事に気付きます――第55条:国務各大臣ハ天皇ヲ輔弼シ其ノ責ニ任ス。第56条:枢密顧問ハ枢密院管制ノ定ムル所ニ依リ天皇ノ諮詢(しじゅん)ニ応ヘ重要ノ国務ヲ審議ス。なぜ、規定がないのか。簡単に言えば、憲法の規定に拘束されることなく、自分たちの裁量で政局を動かしたいと思ったからでしょう。そのことを理解するためには、帝国憲法制定までの前史を理解する必要があります。
1875年に元老院が誕生していますが、これは国会を開設するための準備・仮の立法機関として設置されたものです。1885年に内閣制度はスタートしますが、この時にそれまで使用した太政官制を廃止しています。そして1888年に枢密院を設置しますが、ここで憲法や皇室典範の草案が審議されます。憲法が制定された後は、枢密院は「天皇の最高諮問機関」として正式に国家の仕組みの中に組み込まれ、天皇も臨席する中、総理大臣も含めて内閣のメンバーは実質的にここで決定されることになります。このようにその時々の情勢の変化の中で、ある程度自由に組織を作ってきました。基本的にそれを続けたいという願望が、行政に関する規定が2条しかなく、重要な機関である枢密院についての組織的な規定が全くないということに帰着したのです。
1890年に第1回帝国議会が開催されますが、その時の総理大臣は3代目の山縣有朋でした。つまり、帝国憲法制定前に内閣制度が発足し、そのメンバーは枢密院の議で決定されていたのです。そして実は内務省、大蔵省、文部省といった省庁は内閣制度の発足前に設立されていたのです。日本の場合は、官僚組織を先に作って、それを追いかけるかたちで内閣制度が発足し、その後議会が設立されたという順番です。一番後発の議会は協賛機関であり、あくまでも中央集権国家を下から支える一組織という位置付けでした。民衆の選挙によって選出される代議士で構成される衆議院を設立するため、その動きを警戒しつつ、予め規制する必要がありました。条文数が多いというのは、そういう理由からです。

(「枢密院/Wikipedia」)
国家の「司令塔」を取り戻す闘い
前置きが少し長くなりました。要するに、元々は協賛機関という名の「付属機関」としてスタートをした議会(国会)ですが、敗戦を境に憲法上は「最高機関」(41条)になったものの、中央集権制という基本的なシステムも含めて、戦前からの統治システムを変えなかったため、様々な矛盾と歪みがそこで生じることになったのです。
戦前において枢密院は国家意思決定の中枢であり、法的には「最高機関」といっても良いと思われます。枢密院の定員は24~28人で、元首相、元大臣、元大将など官僚や軍人のトップ経験者、帝国大学の著名な教授など法学や政治学の最高権威者、国家に功績のあった有力者などによって構成されていました。枢密院のメンバーは天皇の任命(勅命)によって選ばれるため、任期はなく、基本的に終身制でした。その枢密院と内務省が敗戦を経てGHQによって解散させられます。権力部分が完全に空洞となった瞬間でした。
もし仮に、地方分権制が導入されていれば、「最高機関」は枢密院から国会にすんなり移ったのかもしれません。しかし、中央集権制を維持したため、確たる「司令塔」が必要です。内務省の解体によって肥大化した特定の省庁が、政・官・財の強固な「鉄の三角形(影の権力機構)」の主役として立ち現れることになります。三つの集団はそれぞれ、ある時には、驚くほどの力を示し、またある時には、思わぬ弱さを露呈してしまう。これらの集団が、互いにどのように関係し合い、権力を分け合うのかを明確に示す図式をつくるのは不可能だ」とのこと(カレル・ヴァン・ウォルフレン『日本/権力構造の謎』早川書房、1994)。なぜ、不可能なのか。それは、その時々の力関係によって定まってくるからです。つまり、日本では制度よりも、その時々の政治勢力や官僚組織の力学によって権力構造が形成される傾向が強いという指摘です。
内務省に代わって官僚機構の頂点に君臨し、圧倒的な力を得たのが大蔵省(現・財務省)と通商産業省(現・経済産業省)です。戦前の大蔵省は内務省や軍部に圧迫されていましたが、戦後は「予算の編成権」と「税金の徴収権」を独占する最強の官僚組織となりました。そして、通産省は、戦後復興と高度経済成長のシナリオを書いた「司令塔」です。どの産業を支援し、どの企業に補助金を出すかという「許認可権」を握ることで、民間企業に対して絶対的な影響力を持ちました。
そして戦後、財閥解体を経て、経営者たちは経団連や経済同友会といった経済団体を設立して主に政権政党に対して政治献金など、その関係性を深める中で政府への政策提言をするようになりました。そのような政・官・財の集団的な力関係を核とした権力が日本を動かしています。
このような歴史的経緯を踏まえると、現在の高市政権の取り組みは、単なる経済政策ではなく、日本の統治構造そのものをめぐる挑戦として位置付けることができます。高市政権(政治側)は「社会に必要な日本の成長のために、2040年までに370兆円の枠組みが必要だ。細かな予算枠(シーリング)を外すから、財務省はこれに合わせて複数年度の予算枠を作れ」とトップダウンで命令している状態です。財務省を中心とする「財政再建派」と対立し、積極財政を掲げています。官僚組織(特に財務省など)の抵抗に負けないよう、党内最大の議連という「政治力(数の論理)」を示す必要性から麻生氏や茂木外相といった党内の重鎮の全面的なバックアップを受けて5月21日に「国力研究会」(通称「JIB」)を発足させました。高市首相は長く無派閥で活動しており、党内の強固な支持基盤を持っていません。背後から政権を支える枠組みとして作られたのですが、国政の主導権をめぐる闘いでもあるのです。
本来、国家の目標を定めるのは国民の負託を受けた政治の役割であり、それを具体的な予算や制度として実現するのが行政の役割です。政治と行政の役割分担が本来の姿に戻るかどうか──それこそが、現在の政権が直面している最大の課題なのではないでしょうか。

(「西日本新聞」)
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