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皇室典範改正から考える「シラス・ウシハク」と日本の国体 ―― 皇統の危機はなぜ生まれたのか / 皇位継承問題を歴史から考える

「皇室典範改正案が衆議院を通過したので、成立する目途がたちました」

女性

「ここまで来るのに、相当な年月がかかったような印象を持っています」

「皇位継承をめぐる議論は、小泉政権時代の2005年、野田民主党政権時代の2012年にあり、それぞれ有識者会議が設置されています」

女性

「なぜ、そこでまとまらなかったのですか?」

「私は「女系天皇」、「女性宮家」論が出てきたためだと思っています」

女性

「今回の議論の中にもあったと思います。愛子天皇を支持する方の中には、女性天皇ではダメなのかという率直な意見もあったと思います」

「皇位継承と言いますが、何を受け継ぐのかを考える必要があります。欧州の王室は地位や財産を受け継ぐのですが、日本の天皇は祭祀を受け継ぎます。皇祖神である天照大御神に国の平安を祈る祭主の地位を受け継ぎますので、男性である必要があります」

女性

「地位や財産であれば管理能力の問題なので、女性でも良いという話になってきますけど、そういう事情であれば男性に拘るのも分かります」

「天照大御神が女性神なので、祭主は男性が相応しいという宗教的なおきてのようなものがあると思いますし、陰陽の原理に則った定めでもあると思っています」

女性

「要するに、皇位継承というのは、神武天皇から始まった祈りの継承という考え方なのですね」

「ここからが本論です ↓ 表紙写真は「ダイヤ冷ケース」提供です」

 皇室典範改正で皇統は本当に安定するのか

国も一つの組織なので、その代表者を定め、中心軸を安定させる必要があります。ひいては、それが国の安定に繋がるからです。そして次に重要なのは、今まで歴史的に代表者をどのように決めてきたのかという「定め・きまり」です。それに則って行う必要があります。勝手な解釈や理屈によって今までとは異なった流れをつくれば、やがてはそれが国全体の不安定要因になって跳ね返ってくることになるからです。

「女性天皇」「女系天皇」といった意見があった中、今回の皇室典範の改正では、男系男子による皇位継承原則そのものに手を加えず、旧皇族の男系男子を養子として皇族に迎える道が開かれました。このことについて一定の評価を与えても良いと思いますが、今回の改正によって実際に皇統が本当に安定するかどうかは、関係者の今後の努力にかかっていると思います。

そもそも、このような皇統の危機がなぜ生じたのか、歴史を振り返ってみる必要があります今回の改正は、「皇位継承制度の改革」ではなく、「皇統を支える人的基盤の補修」です。言ってみれば、緊急の補修作業のようなものです当面は乗り越えるかもしれませんが、根本的な解決にはならないと見ているからです。そして、物事を根本的に解決するためには、全体を俯瞰した上で考察する必要があります。天皇という地位はどのような存在として始まったのか、それがどのように歴史の中で受け継がれてきたのか、何が原因で皇統の危機を招いたのかということを知る必要があります。それらを踏まえて初めて安定的な皇位継承の在り方や態勢をつくることができるからです。そのような問題意識から、歴史的な振り返りを以下の項でしたいと思います。

(「TBS NEWS DIG-TBSテレビ」)

 天武天皇が築いた「権威と権力」の統治構造

神武天皇と言いますが、実際に天皇の称号が制度的に定着したのは、一般に天武・持統期と考えられています。天皇は「中国の古典では北極星を指す言葉」(和歌森太郎編『大王から天皇へ』)ですが、天文学や暦制に強い関心を持っていた天武天皇が日本の歩むべき道を指し示す地位という意味を、この称号に込めたと思われます。皇帝の字を拝借するかたちになるので中国に敬意を表すことにもなりますし、朝鮮に対しても一定のプレッシャーになるという計算もあったのでしょう。このように、少なくとも天武朝は、天皇号が国家制度の中で明確な意味を持ち始めた重要な転換期であったことは確かでしょう。

大王(おおきみ)から天皇になり、国内政治に直接関わらないシラス者の地位になります。会社で言えば、社長から会長になったようなものです。それを制度に落とし込んだものが二官八省の律令制です。私は、この構造の中に「シラス者」と「ウシハク者」を分ける日本独自の統治思想を見ることができると思っています。祭祀を担う神祇官と行政を統括する太政官を並置し、天皇はその上位に位置しながら、自ら日常行政を執行するのではなく、太政官を通じて政治を行う仕組みが形成されました。権力と権威を分離して、二人三脚体制で国を統治するという日本のかたちがここで成立したのです。このかたち、つまり国体を維持さえすれば「千代に八千代に」永遠に輝く国であり続けることができるだろうと天武は考えたと思われます。そしてその理屈を『古事記』の中に記し、中国に対しては日本という国の自己紹介のために『日本書紀』を編纂したのです。

権威と政治権力を長期間にわたって分離しながら、同一王朝を維持した統治態勢は日本独自のものであり、それによる千百年間の統治の中で、多くの日本的な建築物や文化が産み出されました。そういう中で、中国の古典が初出の「国体」が江戸時代の後期になると水戸学や国学の影響もあり、「万世一系の天皇が統治する、他国にはない日本固有の素晴らしい国柄」という意味が吹き込まれて重要ワードになります。

(「www.amazon.co.jp」)

 なぜ皇統の危機は生まれたのか――壊された「シラス・ウシハク」

「シラスーウシハク」の権威と権力を分離する体制をシステムに落とし込んだのが二官八省の律令制であることを説明しましたが、「国体(国のかたち)」とは、このシステムを指すのであって、天皇が統治するという意味ではありません世界中の多くの国では、革命や政権交代が起きると国家そのものの形(主権のあり方)が崩壊します。しかし日本では、源頼朝が幕府を開こうが、徳川家康が政権を握ろうが、「天皇から大政(政治権力)を委任されて統治する」というシステム(シラスの構造)を維持し続けました。この“不変のシステム”こそが国体です。そして重要なのは、このシステムが明治以降に受け継がれたのかどうか、それを検証する必要があります

その視点で大日本帝国憲法を見ると、第4条で「天皇は国の元首にして統治権を総攬(そうらん)す」と規定し、あたかも天皇が「シラス者」であり「ウシハク者」でもあるという、西洋の絶対君主のような形がとられています。本来ならば、大日本帝国憲法(以下「帝国憲法」)に「シラス・ウシハク」の概念を導入して、その制度化を図らなければいけないのに、シラス者の天皇だけを記して、ウシハク者が一体誰なのか分からないような憲法を制定したのです帝国憲法には「内閣」という言葉も、「内閣総理大臣」という言葉も見当たりません。枢密顧問については第56条に規定がありますが、枢密院そのものの制度上の仕組みや権限については何の記載もありません。そして、首相選定などで大きな影響力を持った元老については、憲法上の規定がまったくありません。つまり、“誰もが天皇の命令(権威)を代行していると言い張りながら、誰も政治の結果に全責任を負わない”という、「無責任の体系」が帝国憲法によって出来上がってしまっていたのです

「シラス」とは、天皇が利害関係から超越した清らかな存在として国民を「宝」(おおみたから)と見なす、権力闘争とは無縁の精神的権威でした。ウシハク者が「空白」だったため、その時々において強い勢力が実際の政治を動かすことになります。昭和に入って実権を持った軍部によって日本が一気に無謀な戦争に傾いていくことになったのは、そのためです。そして敗戦となり、GHQは「皇族の財産上その他の特権廃止に関する指令」を出します。「実に申しにくき事なれども、何とぞこの深き事情をおくみとりくだされたい」と昭和天皇は皇族方にお言葉を発せられたと言われています。皇統を支える宮家に対して占領軍の命令が下ったのです。宮家というのは皇位継承権を有する者を当主とする、皇族ご一家のことを指しますが、1947(昭和22)年10月14日、昭和天皇の弟である三直宮(秩父宮、高松宮、三笠宮)を除く11宮家(男女51方)が皇籍を離れることになります。このようにして11宮家がなくなってしまったことが、今日の皇統の危機を招いている直接の原因です。皇統の危機を根本的に解消するためには、旧宮家の男系男子の皇籍復帰を考えるべきだと思われます。

そして、皇統の危機を根本的に解消するためには、今回の養子制度を第一歩として、旧皇族の男系男子を皇族として迎える仕組みを長期的に整備する必要があると思います。皇統の問題は、単に「次の天皇を誰にするか」という問題ではありません。日本という国が、権威と権力をどのように配置し、誰が政治の責任を負うのかという統治構造そのものの問題です。日本のかたちである「シラス―ウシハク」の構造をもう一度見つめ直さなければ、皇統の安定も、国家の安定も取り戻すことはできないと思っています。

(「ライブドアニュース-Livedoor」)

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