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この宇宙は未知にあふれた世界 ―― 異次元世界を科学者が語る時代

女性

「村山斉先生の最終講義の模様が先日(6/13)のNHKで放送されていましたね」

「ほう、そーう」

女性

「つまらないダジャレは止めましょう」

「すいません、つい。だけど、使って下さい。ところで、私も見てましたよ。車の中で。非常に歯切れの良い講義でしたよね。専門外の人間が聞いても、よく分かりました」

女性

「一昨日のブログで自然や宇宙の話がありましたので、あの話がなければ、多分見なかったと思います」

「興味深い話はありましたか?」

女性

「ビッグバンの直後の宇宙の姿はわかっているけれど、その前が全く分かっていないという話はある意味ショックでした」

「実はそうなんですね。ビッグバン直後の1/100000000秒後の世界は分かっているけれど、ビッグバンの瞬間とその前は全く何も分かっていないのです」

女性

「その差はほんのわずかですよね。何か凄い話ですね」

「時間にすれば、ほんのわずか、だけど学問的にはかなり大きく重い壁になっているようです」

女性

「そのメカニズムを解明したらノーベル賞ですか?」

「間違いなくもらえると思います」

女性

「そういうレベルの話なのですね。あと、ダークマター(暗黒物質)の話を興味深く聞きました。それに絡めて、宇宙のすべてが原子・分子で成り立っている訳ではないとおっしゃっていました」

「要するに、よく分かっていないのですよ。だから、ダークマターというアニメで使うようなネーミングになっているのです。半ば、やけくそ気味につけたネーミングなんです」

女性

「あと、宇宙の終わりについて質問していた人がいましたよね」

「それについても、いろいろな説があるんだなと少し驚きました。ただ、まだ膨張している途中というのが多数説だと思います。インフレーション理論と言います」

女性

「やはり、宇宙の最後はあるのでしょうか?」

「始めがあれば、必ず終わりがあります。ただ、ビッグバンを始めとして認定して良いかという問題があります。要するに、人類はまだ「座標軸」の原点すら解明できていない段階なのです」

女性

「ここからが本論です ↓」

 

 原点に戻ることの大切さ

現代において様々な情報が行き交い、ともすると自分自身の立ち位置が分からなくなることがあります。実は、それは個人や企業、国においてもよくあることです。Aをするつもりで企業を立ち上げたのに、Bをめざすことになり、そのために企業が弱体化した。

本来のあるべき姿、実はそれを見出すこと自体が難しいのですが、時には視点を変えてみるということが必要かもしれません。近くにあるパソコンの画面を見続けていると目が疲れます。その時、ふと視線を外の風景にそらして、しばらく遠くのものを見ていると目が休まります。脳も同じだと思います。海が良いか、プールが良いかというその葛藤の中で頭を使っていると、混乱してしまうこともあります。そういう時は、原点に戻るということだと思います。

(「123RF」)

 異次元の存在を科学者が語る時代

原点とは何か。すべての学問は自然哲学から始まっています自然への探求が今の様々な学問体系への第一歩となっています。つまり、身の回りの自然や宇宙についての探求と社会の在り方、人間の生き方は究極のところでは繋がるはずなので、全く別のものと考えないで、自然の法則から、人間社会の在り方、あるいはその法則の発見のプロセスから学ぶことがあっても良いのではないかと考えます。

「宇宙という書物は数学の言葉で書かれている」と言ったのは、地動説を唱えたガリレオです。そして、ニュートンは「万有引力の法則」を発見し、それを数式で表わしました。そして、その法則が地上世界でも宇宙の惑星にも適用されることが分かっています。ただ、もともとはこの宇宙はただの一点から始まったことを考えれば、それは不思議なことではないと言うのがその後の解釈でした。

ところが、そこから不思議なことが起きます。ニュートン力学の法則が原子、分子といったミクロの世界には当てはまらないことが分かるからです。つまり、この宇宙には大きく分けて2つの法則が存在することになります。そんなことから、明在系、暗在系という用語が誕生し、異次元の存在が物理学者の間で普通に語られるようになります

冒頭で紹介した村山斉氏は自著の『宇宙は本当にひとつなのか』(講談社、2011年)の中で「異次元の存在」という章立てをした上で「異次元の大きさは髪の毛の太さよりも小さいということが実験からもわかってきた」、「異次元を運動している粒子が宇宙の暗黒物質、ダークマターではないか」、「異次元を運動している粒子は、私たちの目からは止まっているのに大きなエネルギーをもっている」などと言っています。研究の到達点を紹介する言葉の中で、異次元については当然あるだろうという判断がそこにはあるのです

実は、異次元の存在を最初に唱えたのは数学者のテオドール・カルーツァです。ちょうど今から100年前の1921年のことでした。異次元を巡る科学の旅は、多くの人が思っている以上に古くて、長いのです。


 この宇宙は「3」がキーとなっている

ビッグバンが現在の宇宙の始まりとするのが現在の定説ですが、その「宇宙誕生から1分後には原子番号1から3までの元素(水素、ヘリウム、リチウム)ができていたことがわかっています」(『宇宙は何でできているのか』幻冬舎新書、2010年/85ベージ)。そして、「100種類以上もある原子が、実はすべて陽子・中性子・電子の3種類でできている」(村山斉 前掲書、89ページ)こともわかっているそうです。

そんなことから、人間は3次元の現実世界に生きているのかもしれません。ただ、仮に異次元があったとしてもそれを認識することはできません。2次元世界しか認識できないアリが3次元世界を認識できないのと同じです。そして、3次元世界は、アリが生活している世界に隣接して存在しています。ということは、異次元世界も、我々の身近に背中合わせのようにして存在しているのではないかと思っています。

 村山氏も「異次元は特別な場所にあるわけではなく、実は私たちのすぐそばにも、宇宙のかなたにもあります。宇宙のどこにでも異次元はあるのですが、ただ、私たちが気づかないだけなのです」(『宇宙は本当にひとつなのか』142ページ)。そして、ここからは私の推測ですが、この現実の3次元世界は異次元世界に包まれて存在していると思います。1対3、3が1つの大きなものによって包まれているという図式です。バランス的にも良いと思うからです。

天皇制のもとでの三権分立、言葉を換えれば「シラス」と「ウシハク」ということです。そう考えれば、宇宙の原理に合っていたということですし、だから2千有余年の王朝の歴史を刻むことができたのです。

そのように、物理学と政治制度を強引に結び付けるものではないという批判も当然出てくるでしょう。その点について、最後にまた村山氏の言葉を紹介します――「現代の素粒子物理学は、研究室や実験室の中だけで意味を持つような狭い学問ではありません。そこで取り扱われる根源的な問題は、私たち1人1人の人生や生活と深いところでつながっています。だからこそ、多くの人々の好奇心を強く刺激するのではないでしょうか」(『宇宙は何でできているのか』222ページ)。

すべてがどのように繋がっているか、その鎖の環の解明は、実はまだ始まったばかりです。突拍子もないところに真理が転がっていることがあるのです。実は、ビッグバンもその一つなのです。発表された時は、余りにも馬鹿げているということで冷やかし半分でつけたネーミングだったのです。

(「異次元世界からのメッセージ-blog.jp」)

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