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理由なき内閣不信任案の提出 / 共産主義者に引きずられる日本の政治 ―― 奇妙奇天烈な大企業、自国政府敵視論

女性

「野党4党は、内閣不信任案を出したみたいですね」

「共産党、立憲民主党、社民党、国民民主党の4党ですか。コロナ禍とオリンピック前で衆議院の解散は出来ないということを見透かしての提案です」

女性

「余り意味がないということですか?」

「殆ど、選挙に向けてのパフォーマンスのようなものです」

女性

「会期延長ということで、国会議員としての仕事をしたいということですよね」

「国会議員の仕事は、別に国会に通うだけが仕事ではありません。地元に帰って、国民の生活状況を知るために、商店街や学校、福祉施設や工場などを視察して、今の日本の現状を把握するということも大事な仕事です」

女性

「視点を変えるということですね」

「視点というか、やはり現場を大事にして欲しいと思います。あと、ずっと国会を開いていれば官公庁の国家公務員の人たちの休みがないことになります」

女性

「最近は中央省庁に勤める国家公務員の離職が多くなっているそうですね」

「20代、30代の離職者が多いので、少し話題になっています。それだけ負担を感じている人が多いということでしょう。給与面の条件は良いのですから、それでも離職するということは、考えないといけない問題でしょう」

女性

「要するに、自分の時間が全くないような職種ということで、辞めてしまうということなんですね」

「そういう方にとって、国会の休会は有難いことでしょう。ところで、国会延長が議員にとってプラスになることがありますが、何だかわかりますか?」

女性

「えっ、何ですか?」

「会期が延びればその分、歳費という形で手当てをもらえるのです。多分、マスコミは書き方が難しいので触れないと思いますが、そういったものを当然考えていると思います」

女性

「私なんかは、延長してまで仕事をしたいのかなと純粋に思っていましたが、そういうカラクリがあったのですね」

「本音と建て前ということです」

女性

「ここからが本論です ↓」

 

 日本の家族主義的な国家体制は、宇宙の原理に適っている

日本の国をどのように考えるのか、古くて新しい命題かもしれません。ただ、日本は古来の昔より、家族主義的国家観に基づいて統治がなされてきました。農耕民族である日本人は、土地さえあれば、それを父祖伝来の土地ということで家族というチームを組んで守っていけば、少なくとも食べることには事欠かないと考えたのです。

国と言うのは、その大元締めなので、大きな家族のようなもの。だから公は大宅が変化したものと考えられています。国の家長は天皇、ただ実際の政務は任命された大臣が行います。「臣」という言葉は、古代の昔から使っている言葉です。そこには、家族の一員という意味があるのです。明治の時代は、国民ではなく親しみを込めて臣民という言葉を使っています。

昨日のブログの話との関連で言いますと、ミクロの世界では、陽子と中性子が原子核をつくり、その周囲を電子が回っています。陽子と中性子が、天皇と大臣、電子にあたるものが国民です。日本は権威と権力を分けた上で、2人3脚の体制で国づくりをしてきました。その核をいかに作るかが大事なのです。殆どの国は、核は1つと考えたのですが、日本は2つと考えたのです。日本の組織づくり、それは言ってみれば自然の法則にも適っていたということです。

宇宙の原理に学び、それに習って組織をつくることが出来れば、その組織は永続します。人間の勝手な考えで、宇宙の原理に合わないようなものを作っても、いつかは廃れ滅びへの道を歩むことになります宇宙の原理から学んだという証左は『古事記』を読めば分かります。その冒頭に宇宙観が書かれています。だから、「古事記は宇宙第一の書」と評価する人もいるのです。実は、単なる神話ではなく、様々なメッセージが神話の話の中に込められている書なのです。それを解読することで、一つの王朝で2千年近く続いてきた秘密が分かります。大陸や半島においては、様々な王朝が勃興したのですが、宇宙の原理に学ぶことがなかったため滅びていったのです。

 

 階級国家観をもっている共産党に引きずられている野党3党

実は、そういった大陸での政治の歴史の中で生み出された原理が、共産主義であり、立憲主義です。特に、共産主義は国を2つの階級が対立し、それが同居している状態と考えます。彼らが、しきりに野党連合と言っているのは、そのためです。与党は敵なので、打ち倒すべき相手であり、話し合う相手ではないと考えます。ただ、よく考えれば奇妙奇天烈な考えです。同じ国の中で、どうしていがみ合う必要があるのかということです。共産主義の論理的結論が、自国企業敵視政策になり、自国政府敵論となります。自国の政府が敵なので、日本の政府と敵対する国は、場合によっては味方になります。共産党や立憲民主党が中国や韓国に対して殆ど批判しないのは、そういう考え方だからです。

自国企業敵視政策はさらに奇妙奇天烈です。すべての企業を敵視すると働く場所が無くなると思っているのか、大企業を敵とし、中小企業を味方と考えます。何故、中小企業が味方なのかの説明はありません。敢えて言えば、独占企業体ではないからというものです。中小企業が成長して大企業になる、あるいは中小企業の中には大企業のグループ企業という場合もあります。その場合は、どう考えるのでしょうか。説明し切れないと思いますが、論理が破綻しているということは、そういうところからも明らかです。その程度のレベルの政党に野党3党は引きずられているのです。

共産党の考え方というのは、人口プールのような世界を理想世界と宣伝し、それに向けて人々を誘導しようとするようなものです。波も風雨もない理想の社会においでと手招きをしているので、自然の海や山の厳しさを知っている者は、そちらの方が良いのではないかと一瞬思うかもしれません。

ところで、両者の大きな違いは、何でしょうか。自然界は循環型社会ですが、人口プールの世界は循環についても人が行う必要があるということです。余力がある間は、何とかプールを運営できますが、ひとたび歯車が狂うと循環しなくなります。

何を例えているのか分かると思いますが、人間の経済活動は自然の活動です。それは人類の誕生とほぼ同時に開始したことを見れば明らかです。その経済活動の結果、自由競争市場が形成され、そのもとで人や組織が活動するのは、極めて自然な姿なのです。

社会主義・共産主義の考え方は、自由競争市場を止めてしまうところから出発します。いわゆる生産手段の公有化(国有化)ということで、人工のプールを造ろうという発想です。すべてを国家の計画の範囲内においてコントロールしようと考えるのです。それが無理なことは、ソ連や北朝鮮の例を見れば明らかですし、実証済みということです。北朝鮮では、外の風景すら見させないように外国旅行はおろかインターネットの閲覧、韓国がばら撒いたビラさえも満足に読めません。自国の統治に自信がないことの表れです。東京オリンピックへの不参加を早々と決定しましたが、選手たちに日本の現実、世界の現実を見せたら大変なことになってしまうという判断があったのでしょう。

(独裁の象徴スターリン像の撤去/「多言語翻訳SamuraiGlobal~多言語のススメ」)

 共産党の理論の破綻を防いでいるのが立憲民主党

共産主義の考え方は、今から170年くらい前に生み出された考えです。人間の見方が、皮相的です。そこが根本的な欠点です。つまり、人間という生き物が複雑怪奇な生き物であることを充分に認識していないのです。人間は様々なことを考えながら経済活動をします。安いから買う訳ではありませんし、高くなったから買う人も出て来ます。女心と秋の空と言った人がいましたが、女性だけに限らず、人の心は複雑で、その行動はさらに複雑なので、それをすべて計算づくで経済政策を立てられると考える方が間違っているということです。

人間の一人ひとりがもっている幸福感もそれぞれ違います。家畜であれば、狭い空間の中でもエサを与えておけば幸せ感を享受するでしょう。人間の場合は、そういう訳にはいきません。人工プールでは満足できない人が必ずいるのです。米だけではなく、パンを食べたい、旅行をしたいと思う人間がいるのです。多様な要求に応えきれる社会を、人工的に造ることは不可能なのです。

そのような考え方をもつ共産党に、立憲民主党は親しみを感じているようです。それは何故なのかというと、両者は演繹的思考をする点が似ているからです。演繹的思考というのは、ゴールポストを予め決めておき、それに向けて行動するあり方です。共産主義が典型です。共産主義社会を目標として定め、そこに向けて行動するというものです。立憲主義も権力に対するチエックが政治の役割と考えていますので、そこから出発します。共産主義も立憲主義も、権力に対する不信と反政府的な考え方の点においては共通しています。そのため、これからも両者は共に行動することが多いと思われます。

21世紀の激動の時代を乗り越えるためには、古来よりの家族主義的国家観に立ち返って、すべての政党が日本のために手を携える時代だとは思いますが、現状を見る限り無理な注文かもしれません。

読んでいただき、ありがとうございました。

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