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教育

現場を知らない一省庁の文科省に教育行政を任せる ―― 日本の教育の根源的過ちがそこにある

教育

「『ゆとり世代』という言葉があることを知っていますよね」

女性

「知っています。私はぎりぎり『ゆとり世代』ではないと思います。5日制の恩恵を受けていませんので……」

「恩恵なんですか?」

女性

「当時は、そう思いました」

「母親の立場としてはどうですか?」

女性

「冗談じゃアないわ、という感じです」

「随分、受け止め方が違いますね」

女性

「立場が変われば、それは仕方がないことだと思います。ところで、『ゆとり世代』というのは、具体的に何年から何年までの生まれなんですか?」

「ちょっと待って下さいね。調べてみますから。1987年4月2日生まれから2004年4月1日生まれだそうです」

女性

「10代の終わりから30代半ばまでの世代ですね。『ゆとり世代』は耐性が弱いということを聞いたことがあります」

「というか、国の教育方針を『ゆとり』という曖昧な言葉で定義づけて、教育課程を大幅に一省庁の判断で変えること自体がおかしいと思っています」

女性

「確かに、どうにでも解釈できますからね。心の『ゆとり』なら良いけど、単なる『ゆるみ』は駄目と言っていた人もいましたよね」

「そうなってくると、言葉遊びの類(たぐい)ですよね。不安を覚えた親は、私学に子供を預け始めたのです。ウチはそれで受験生が増えました」

女性

「学校5日制はしなかったのですか?」

「そんなことをしたら大学受験で泣かせてしまいますので、ウチはというか私学は6日制で教育課程を組んだところが殆どだと思います」

女性

「それが私学人気に繋がったということですね」

「『ゆとり教育』という馬鹿なことをしたために、公立不人気を生んだというのが事の本質だと思います」

女性

「ここからが本論です ↓」

 思いついたようにタブレット端末を配り始めた文科省

 

教育の権利主体者は子供なので、教育現場に何かを導入する場合は子供の状況をよく踏まえ、現場の教員の意見を吸い上げて判断する必要があります。こう書くと、何を当たり前のことを書いているのかと思われるかもしれないのですが、この当たり前のことが分からず、常に上流から水を流すように方針を垂れ流してきたのが文科省です

「ゆとり教育」の導入と同じように、今回も思いついたようにタブレット端末を全国の公立小・中学校に一挙に配る計画を立てたのです。そもそも2020年8月末の時点でタブレット端末を配布した自治体は36自治体、全体の2%に過ぎなかったのですが、2021年3月までに残りの98%の自治体に納品する計画とのことなので、現時点でほぼ100%配布されたと考えて良いと思います

今まで黒板とチョーク、漢字ドリル、計算ドリルで教育していたのに、殆ど何の前触れもなくデジタル教育元年と言われても現場の教員は戸惑うだけです。そもそも、どうして教員と子供に同時配布するのかと問いたいです。

物事には、順番があるはずです。まず、教員に向けてタブレット端末の使い方を含めて研修会を実施して、ある程度使いこなせるようになってから、どのような場面で使えるかを意見集約、教科、学年、学校全体というように話し合いを重ね、学校全体の方針が固まってから子ども達に配布して指導ということになるのです。タブレット端末はあくまでもツールであって、勉強ができるようになる魔法の機械ではありません。きちんとした指導がなく単純に渡せば、授業中ゲームをされたり、円盤のようにして投げたり、ふざけて盗撮で使うということも出てくると思います。

(「毎日新聞」)

 かつては「ゆとり教育」で大失敗

 

 1972年 日教組が「ゆとり教育」と「学校5日制」を提起
1980-82年 小学校/1980年度、中学校/1981年度、高等学校/1982年度から

「ゆとり教育」スタート

1992年 9月から第二土曜日が休日になる
2002-03年 学習内容3割削減。授業時数削減。

完全「学校5日制」の実施。絶対評価の導入。

2004年 OECDのPISA(学習到達度調査)
2007年 安倍首相の下、「教育再生会議」がスタートする
2011-13年 脱ゆとり教育…ゆとりでも詰め込みでもない生きる力を育む

 

文明が進展すればそれに比例して教育内容が難化するのは当たり前のことです。山の頂上が高くなるからです。日教組が提起した「ゆとり教育」は、単に労基法の改正による週40時間労働になるので、そこに教育課程を当てはめようという発想から生まれたものに過ぎません。そこには、高尚な理念はなく、「ゆとり」を単なる屁理屈として使っただけだったのです。ところが、文科省や学者の中の左翼グループがその提案に乗ってしまいます。

この世界は、完全な競争社会です。お花畑の中に住んでいる訳ではありません。それが証拠に、今日も突然、弾道弾ミサイルを発射する国が現われました。真のリーダー不在の「不安定な世界」を生き抜くために、国力を常に上げることを国の指導者は考えなければいけないのです。

「ゆとり」という変な言葉を掲げて、授業時間を削れば、人材育成に響くことになります。他の国も同じように授業時数を減らしてくれれば良いのですが、日本だけ勝手な考えで減らせば、やがては2流国に転落するだけです。

そして、公立は「5日制」で私立は「6日制」ということになれば、カネの力が学力の差を生むことになってしまいます。そもそも、2日も休みがあると、子供たちはペースを上手く作れなくなってしまいます。

 

(「奈良県PTA協議会」)

 

【主な国・地域の授業時数】

下の表は、2003年の時点で小学校4~6年生にあたる年齢の子供たちの年間の授業時数です。(OECD調査/単位は時間)

 

OECD平均 804
オランダ 1000
スコットランド 1000
ドイツ 780
日本 709
韓国 703

 

人間の能力は、国によってそんなに違いがある訳ではありません。教育の内容の問題がありますので、量さえ増やせば良いという訳ではありませんが、ある程度比例はすると思います。こういったものが今になって、日本の競争力の低下として現われ始めているのです。

政府が世界最先端のIT国家を目指したのが2001年、今から20年前です。ゆとり教育の時代です。練習をしないで世界大会で優勝を狙うことを考えるようなものです。「同じ時期に取り組み始めたデンマークは国連の電子政府ランキングでトップを走る。日本は14位に沈んでいる」(「日本は変われたか、大震災10年③」『日経』2021,3)のです。アドバルーンだけ上げても駄目だということです。

中央集権的な教育行政を日本はいまだに続けていますが、この態勢を続けている限り、このような失敗を何回でも繰り返し、人材育成は上手くいかないだろうと見ています。アメリカのような地方分権的な教育態勢にすべきだと思っています。

(「AKARI」)

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