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ドグマで覆われた社会は、共産主義ウイルスがはびこりやすい/科挙によりドグマ主義に覆われ弱体化した中国と同じ道を辿っている日本

「緊急事態宣言が全国的に解除される見通しが立ってきましたね」

女性

「感染者数や死者の数の出方を見て、つくづく手洗い、うがい、マスクといった予防、日ごろ身体を清潔にしておくという心掛けがウイルスの感染予防にとって重要ということを思い知らされました」

「実は、別のウイルスが、組織や学会、さらには国家にもはびこることがあります」

女性

「えっ、ウイルスですか? どういうことですか?」

「最初のうちは様々な意見が出ます。ある意味、当たり前です。そのうち2つか3つの学説に分かれます。多数説、通説、少数説に分類されるようになります」

女性

「グループが形成されていくわけですね」

「時を経て通説だけになり、それが常識となって権威を持ち始め、忖度が働き、それがドグマとなります」

女性

「ドグマ(dogma)というのは、何ですか?余り良い響きではありませんね」

「ブリタニカ国際大百科事典によりますと、教義、教説などと訳され,固定された堅固な信条をいう。したがって、時には柔軟性を欠く無批判な信念という侮蔑的意味で使われることが多い、とのことです」

女性

「一つの価値観が社会を支配してしまうのでしょうか」

「社会全体ということもありますが、その前段階で一つの組織・団体という小さなグループで起こります」

女性

「段々、広がるというイメージですね。宗教団体だと起こりやすそうですね」

「宗教法人に限らず、学校や会社、学会など何か目指すものが一つ、あるいは一緒に行うという組織には起こりがちです」

女性

「ただ、まとまることは良いことですよね。その場合、組織目標とか、きまりがあるはずなので、それとドグマはどう違うのですか?」

「指標としては2つあります。ドグマというのは、人為的で自然ではないということ。そして、真理性は要求されません」

女性

「出まかせでも良いということですね」

「出まかせと言うと言葉が悪いですが、皆が信じやすそうな教説です。だから、共産主義ウイルスを呼び込むことになるのです」

女性

「最初に言っていたウイルスというのは、このことだったのですね」




 古代中国は魅力的であった――隋、唐からも多くの文物を移入

ドグマがはびこり始めると、それを信じない者を時には狂人扱いをし始め、仲間外れにするようになります。そうすると、そういう「土壌」が好きな共産主義ウイルスが入り込んできます。共産主義は、マルクスが考案した国家破壊のために造られた巧妙なウイルスですので、とりつかれた場合は段々組織が解体していきます。

その例として一番分かりやすいのは、中国だと思います。中国という国は、その名称を含めて、常に意識して、時にはお手本、時には反面教師として歩みなさいということで、もしかしたら神が日本に対してプレゼントしたのかもしれません。そのように思う位、分かりやすい国です。無警戒に近づいて巻き込まれる人がいますが、やっかいな国なので、注意をする必要があります。

古代中国は魅力的な思想を生み出します。春秋戦国時代に生み出した儒教、道教を始め多くの思想は、現代においても充分通用する量と内容を兼ね備えています。当時の世界においても、最先端だったと思います。その頃の日本は、まだ縄文時代です。

ちなみに、世界三大発明といわれているのが、火薬、羅針盤、活版印刷です。これらの基礎的な原理の発明はすべて中国です。科学の分野でも世界をリードしていたのです

しかし、この500年間、中国は大発明がゼロです。イギリスのある学者の研究によりますと、人類の重大な発明1001個のうち中国人の発明は30個で、その最後の30番目の発明は明(1368~1644)の時代の歯ブラシだそうです時代が経つにつれて、社会全体が硬直化していったのだと思います。新しいアイディアや技術を産み出せないため、社会や経済を発展させるためには真似をする、盗む、カネの力で買い取るといったことを考えるようになります。中国でコピー商品が氾濫したり、サイバー攻撃により技術情報を盗む、技術移転を強要するのは、ある意味必然的なのです。

話を古代に戻します。隋、唐といった統一王朝ができて、日本は使節を派遣して多くの文物を吸収しました。その辺りの日本人の嗅覚は、誠に鋭いものがあったと思います。ちなみに、その嗅覚の鋭さは、少なくとも明治時代までは保たれていると思います

 科挙により中国はドグマ主義に覆われ弱体化した 

お手本にしていた中国が、儒教というドグマに覆われるようになっていきますその原因は、ずばり科挙だと思っています科挙というのは、中国の官僚採用試験ですが、隋王朝の6世紀から始まって、1904年の清朝末期に廃止されるまで、1300年以上続いた制度です。優秀な人間を選抜するとともに、皇帝の権力を強化するのが目的でした。

試験の点数さえ良ければ高級官僚として採用されるというシステムは、その時代においては画期的なことだったと思います。封建の身分制社会において、そういうことをシステムとして始めることができた位に、隋の時代は考え方が柔軟だったと思います

そのような柔軟なシステムを導入することが出来た国が、どうしてドグマに覆われたのでしょうかそれは、中国の賄賂の慣行にあります。実は、現在もそうですが、賄賂がいけないことという概念がないのだと思います。古代の中国では伝統的に公金と私財の区別はありません。賄賂も当然でした。官僚は、税やつけ届けで集めたお金や供物の中から一定額(一説には、集めたお金の1%位と言われています)を皇帝に上納すれば、あとは私財とすることが可能だったのです。

ということは、集めたお金の99%が自分のものになるような公務員であれば、誰もが目指すようになると思いますし、人の流れはそうなってしまったのです。ただ、本来は、公務員は公僕、つまり「全体の奉仕者」(日本国憲法 第15条)でなければいけないのですが、科挙により高級官僚となった彼らは蓄財に勤(いそ)しみます。というか、中にはそのために勉強をした人もいるのです。

ちなみに、今の日本の金銭価値にすると、ウン兆円くらいの蓄財をした官僚も数多くいたとのことです。百億円程度の蓄財しかしなかった高級官僚が「清廉な人物」とされていたとのことですから、あとは推して知るべしだと思います。出自を問わず、ペーパーテストに合格さえすれば良いのですから、一攫千金を狙って科挙合格を狙うようになるのです。歪みの始まりです

この科挙が、最も効果的に機能したのは宋(960年-1279年)の時代だと言われています。科挙の首席合格者が有能な宰相になったという例もあったからです。南宋の三忠臣の1人とされる文天祥などがその例です。その理由には諸説ありますが、宋の頃まではペーパーテストとはいえ出題範囲も広く、また「志」を育むような文章も勉強しなくてはならなかったからです

雲行きが怪しくなるのが明(1368年-1644年)の時代です。この頃になると朱子学の影響が強くなり、出題範囲は四書五行(論語、孟子、大学、中庸、易経、詩経、書経、礼記、春秋)に限定されますひたすらこれを暗記したものが科挙に合格するようになったのです。ここから、儒教のドグマが蔓延(はびこ)るようになります。

出題範囲が決まっていますので、後はそれを隅から隅まで覚えれば勝ちです。段々、今の日本の受験と近くなります。そして、どのような人間が科挙に合格するかというと、記憶力が良く、親がお金持ちで、子どものころからひたすら科挙合格に時間を使った人間です。時代によって制度も変わるのですが、科挙にはいくつかのステップがあり、概ね30代後半で最終試験に合格するというのが、合格者の一般的なパターンでした。子供のころからカウントすると、30年以上ひたすら科挙合格に向けて頑張った人間が合格するわけです。合格できない人間は、60歳、70歳まで試験を受け続けたとも言われます。一族からの期待があまりに高かったため、期待に応えられずに発狂、自殺した人もいたそうです。

しかし、ひたすら儒学関連の古典を記憶した人間が、国家にとって有用な人材かと言えばそんなことはありません。大事なことは、まさに公僕、つまり世のため、人のためという意識です。そういう意識が殆どなく、自分の蓄財のために全力を尽くすような記憶力の良い人間ばかりを集める結果になっていったのです。そのような人間で固めた国や組織が、強いはずがありません

この頃の中国に、ドグマが完全に覆っていたようです。エピソードを一つ。江戸時代に日本で解剖が行われたそうです。被験者は罪人です。解剖をしたところ、漢方の解剖図と全然違っていたそうです。その時、中国の漢方医は「解剖図が正しく、死体が間違っている。この人は罪人なので、普通の人とは違っている」と言ったそうです。これがドグマです。常に自分が信じたものを優先して考えます。それ以外は認めないし、嘘偽りと考えるのです。

清はドグマ主義に覆われます。図体は大きいのですが、気持ちがなく、一面的な見方しかできない人が試合に勝てるはずがありません。1840年のアヘン戦争は当然のようにあっさり負けます。それを見て大したことはないと欧米列強の国々が次から次へと侵略していきます。とどめのように、日清戦争(1894)で破れます。その約10年後の20世紀初頭に、康有為は科挙の廃止を西太后に提案します。「科挙のない日本にも優秀な人は多い」と言ったとされています。こうして科挙は1300年超の歴史に幕を下ろします。

(参考 / 嶋田毅「科挙とは何か――あらゆる制度は自己目的化し、腐敗する」)



 中国と同じ道を辿っている日本

その後もドグマ主義が進行し、そしてついに共産主義に支配されてしまいました共産主義は組織破壊の理論です。一つの学問体系だと思って研究している人がいますが、見当はずれです。マルクス自身がそういうつもりで書いていません。

中国の場合は、経済は資本主義ですが、政治的には共産主義の独裁体制を採用しています。今、ちょうど全人代が開催されています。独善的で硬直したメッセージが次々と発せられると思いますので、見ていて欲しいと思います。欧米の価値観とは真逆の国家体制が世界の中でどういうポジションで、どう振る舞っていくのか学問的には興味あるところです。

振り返って日本の状況を見ると、ドグマ主義が進行しています何で判断するのかということですが、社会や組織がそれをまるで絶対的に正しいかのように捉えている言葉や用語、概念がいくつあるかという頻度で見るのです別の言い方をするならば、社会や組織の中で「切り札」的に使われている言葉が、いくつあるかということです「切り札」なので、人々はそこで思考を停止してしまいます。多くなると、社会全体が柔軟な考えができず、硬直化します。「社会の脳梗塞現象」です。例えば、平和主義、自由、平等などです。試験などでその言葉を棒暗記させると、さらに「脳梗塞」が進行します。新聞、マスコミがある特定の主義、主張を繰り返すようになると、重症化が進みます。最近では、グローバル化が切り札的に使われています。野党で言えば、立憲主義でしょうか。

全国で一斉に行われているものとして何があるかを見て欲しいと思います。現代版「科挙」と言われる国家公務員試験、教科書、全国一斉授業などです。今年度より全国一斉大学共通テストが始まります。そうすると、子供たちは教科書で書かれていることを棒暗記し始めます。社会科学関係の教科書がドグマを生み出します。ドグマ主義が日本で確実に進行することになるでしょう

5/17日公開のブログを参照して下さい。「全国大学共通テストの実施により亡国の二元論的思考法が日本に拡散」)

中国が辿った道を確実に辿っています。憶力という能力はあるけれど、自分のことしか考えない官僚が、今のままでは増えていくと思います。象徴的な事件が、つい最近ありました。賭けマージャンで検事長が失職しました。国家の要職にある人間が、自分を律することができていないということです。逆に、そういう人が事務方のトップになることができる国になってしまったということです。「辞任では済まない」(『日経社説』2020.5.22日付)といった感情的なレベルではなく、制度的なレベルから分析し、採用や育成システムを考える必要があるのです。ただ、それを考える力が無くなってきているのではないかと心配しています。全体を俯瞰できる有能な政治家の出現が待たれるところです。ドラマではありませんが、「麒麟よ出でよ」の気持ちです。

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