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小手先だけのコミュニティ・スクールの導入 / 教育権限を地方に移譲して、真のコミュニティ・スクールを追究する時代

女性

「臨教審と中教審、よく名前を聞きますが、両者はどう違うのですか?」

「臨教審というのは、総理大臣の諮問機関であり、中曽根首相の時に設置されました。中教審は文科大臣の諮問機関です」

女性

「どうして、2つ必要だったのですか?」

「文部行政に対する不満みたいなものが根底にあったと思います。結構、斬新な内容の答申を出したと思っています」

女性

「答申が出たからと言って、それを法案として提出し、政策に落とし込んでいかなければ現実は動きませんよね」

「全くその通りで、アイディアとして面白いものが提起されるのですが、結局そこで終わってしまったという印象です」

女性

「面白いと思ったものとしては、どのようなものがありますか?」

「民間フリースクールの認定とか、大学飛び入学制の導入、社会人向けの単位制大学や夜間大学院の開設などですね。まだ、ありますけど……」

女性

「そうですね、今でも通用するような内容ですよね。どうしてそれが、答申倒れで終わったのですか?」

「それを言ったら、中曽根氏の批判となりますが、総理大臣の諮問機関が上げた答申をコーディネートするのは総理の役割だと思いますけど……。ただ、答申は国会議員も読んでいるはずなので、立法化に向けてそこで動いても良かったと思います」

女性

「とにかく、そこで止まったということですね」

「物事はすべてバトンの渡し合いなのです。第一走者が良い走りをしても、それを次の段階に渡さなければ結果は出てきません」

女性

「昨夜の400mリレーのことを思い出しながら話をしてませんか?」

「メダルの期待をもって観ていましたので、……。ただ、あのレベルであういうことがあるんだなと驚きでした。すいません、話が横道にそれて」

女性

「政治の世界では日常茶飯事のような感じになっていますけどね」

「自分本位で考えている方が多いということでしょう」

女性

「ここからが本論です ↓」

 教育の地方分権が提起されるきっかけは財政問題

教育の地方分権に向けての動きが1990年代になってから起きた、と前回のブログで書きましたが、きっかけは財政問題であることに注意をして欲しいと思います。つまり、子供たちの教育のために、地方分権が必要ということではなく、中央の財政負担を少しでも減らしたいという思惑の中で、教育の地方分権が提起されたということです。乱暴な言葉で言えば「もののついで」だったのです。

明治期、維新政府が「国づくりは人づくり」の考えのもと、日本の近代化と発展のためには教育が必要と考え、いち早く文部省を創設して、翌年には教育政策(「学制」)を出した対応とは大違いです。そのスピーディーさや国の行く末を純粋に見据えるという当時の為政者の曇りなき真摯な態度を見習って欲しいと思っています

「もののついで」という発想、そういった教育軽視の考え方・態度が今日の教育荒廃を招き、人材育成の停滞を招いたのです。

(「きょうさい対策ブログ」)

 臨教審と中教審のせめぎ合いの中、「地域住民の学校運営の参画」の方針が出てくる

臨教審が1987年に第4次最終答申を出しているのですが、その中で「教育行政が画一的、硬直的となっており、教育の活性化を妨げている」「学校の運営への家庭・地域社会の建設的な意見の反映」、「国際的にも開かれた学校へとより広く発展していくための管理・運営の在り方が模索されなければならない」と、文科省にとっては耳の痛い指摘がなされます。

そういった動きに触発されたのかもしれません、文部省は中教審に「今後の地方教育行政の在り方について」諮問します。それに対する答申が1998年9月に出されているのですが、その第3章6「地域住民の学校運営の参画」の中で「学校が地域住民の信頼にこたえ、家庭や地域が連携協力して教育活動を展開するためには」、「学校評議員」を置くことを求め、それはすぐに立法化されます。2000年度に学校評議員が制度化(学校教育法施行規則等の一部を改正)され,2004年の時点で7割を超える公立学校で導入されることになります。

さらに続けて、学校運営協議会を導入します。今度は地教行法を改正(2004年)します。

(「北片町」/ 学校運営協議会)

「学校評議員」と「学校運営協議会」、紛らわしいのですが、学校評議員というのは、校長の求めに応じて、そのメンバーがあくまでも個人の立場で意見を述べる役割なのに対して、「学校運営協議会」は校長の他、学識経験者や地域の住民や保護者などで構成され、合議の上で様々なことを決定していくことができる会です。

この学校運営協議会ですが、(ⅰ)学校運営に関して、教育委員会や校長に意見を述べること、(ⅱ)校長の作成した方針等を承認すること、(ⅲ)当該校の教職員の任用に関して意見を述べることなどの権限が与えられ、学校評議員よりも強い権限を持ちますが、教育内容については意見を言うことは出来ません

学校運営協議会は各学校に設置され、その指定は学校を管理する教育委員会が行うものとしたのです。2017年4月には地教行法の一部改正により、教育委員会にコミュニティ・スクール導入が努力義務化されました。文科省の調査によると、 2019年5月現在、コミュニティ・スクール指定校は全国7,601校(導入率23.7%)までに増えたとのことです。

(「京都府教育委員会」)

 小手先だけのコミュニティ・スクールの導入

ただ、このままコミュニティ・スクールが増えたとしても、教育課程編成権が文科省のもとにある限り、それぞれの学校が地域の要望や特性を生かした教育課程を編成することはできません。例えば、地域の伝統行事や方言学習、地域の工場見学、ゴミ拾いなどのボランティア活動、老人ホーム訪問活動などを総合学習の内容に入れたとします。相手の都合もありますので、ある週だけ3時間取るといった柔軟な時間割を組むという対応は許してくれません。総合学習の標準時間が週2時間と決められているので、それは守らなければいけないのです。

また、英語重点校になりたいということで、特別な副教材を使って標準時間より1時間余分にカリキュラムを組むのもダメです。この地域は外国からの観光客も多いため、子供たちも英語に興味をもつ人が多いからという理由でも多分認められないでしょう。

要するに、定められた枠組みの中で教育活動をするしかないのですが、地域の実情に合ったコミュニティ・スクールを作るためには学校設置基準を地方別にする必要がありますし、設置認可権や教育課程編成権を地方に移行する必要があるのです。

多分、そういったことを考えてはいないと思います。小手先だけのコミュニティ・スクールの導入だと思っています。いじめ、不登校、ハレンチ教員の増大といった深刻な事態を小手先でかわすことはできません。スポーツと同じで、自分と相手を正面に見据えて、物事を真摯に捉える姿勢がなければ、教育荒廃をなくすことはできません。片手間、小手先ではオリンピック出場どころか、地方予選の1回戦です。効果が上がるか上がらないか、すべて現実の数字が示してくれると思っています。注目していて下さい。現在は生徒減にも関わらず、件数だけが伸びている状況です。

(「産経ニュース」)

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