「昨日のブログは、志教育をテーマにした話でした」
「志と目標の違いがよく分かりました。そして志を持つことの重要性が何となく分かりました」
「今日は、その志を企業や国がもつことの重要性について話をしようと思います」
「企業ですか? 国ですか? 企業の志ですか?」
「ピンと来ませんか?」
「企業や国は人ではありませんからね」
「企業は法人なので、それは法律によって人格を与えられています。国も同じです。国家法人説という説もありますし、国家有機体説というのは、国を一つの生き物として考えようというものです。そもそも組織を動かしているのは人間ですからね」
「であれば、志という言葉は別におかしなことではない、ということですね」
「そうですね。逆に、今はSDGsとかESGといった指標が主流になってしまっていて、それに合わせて企業活動をすれば、理想的な企業になるかのような錯覚も生まれています」
「それについては、どう思われますか」
「いつも日本人はどうして、こんなに横文字に弱いのかなと思っています。そして、日本の歴史を調べれば、良い実例があるのにと思っています」
「良いことに同調するのは、悪い事ではないと思いますけど……」
「自分の生き方が定まっていれば、そこに協調が成り立ちます。定まっていなければ、単なる迎合になります。迎合する者は、まず最初に権威者によって示された指標を見ます。自立した企業は、自身の生き方が指標から大きく外れているかいないかだけを見ます」
「指標の受け止め方が違うということですね」
「まず、大事なのは、自分の進む方向、志です。言い方を変えれば、コーポレート・アイデンティティです。何をする会社で、社会にどのような形で貢献しているのか、それをはっきりさせることです」
「分かりました。ここからが本論です ↓」
ESG投資とは利益だけ追究しないで、社会全体のことを考えようというもの
最近、SDGsとの絡みで言われ始めたのがESG投資ということです。Enveronment (環境)Social(社会) Governance(統治)の頭文字をとってESGと言っているのです。そういった面に配慮をした投資や経営をESG投資とかESG経営と言うようになったのです。
SDGsがもてはやされているので、何となくこちらが先みたいな錯覚を持つかもしれませんが、ESGという言葉が確立したのは2006年、SDGsは2015年ですので、9年早い計算になります。もともとは、投資家に対して、この3つの指標に配慮をしていないような企業は、投資をしたとしても損をするかもしれませんよ、といった警告の意味で編み出されたものです。
そのような指標が生み出された直接のきっかけはリーマン・ショックです。リーマン・ショックというのは、2008年9月にアメリカの投資銀行リーマン・ブラザーズが経営破綻をしたことをきっかけに世界に信用不安が広がった事件です。
少し横道に逸れます。高校でこのリーマン・ショックを教えていた時に、ある生徒が「どうして一企業の経営破綻が全世界に広がったのか」と質問したことがありました。その生徒の問題意識は、「巨大企業の経営破綻なら分かる、余り聞いたことがない企業が一つ潰れただけで、どうして……」というものでした。成る程と思いました。そういう疑問を未だに持っている人がいるかもしれませんが、これは要するに世界経済の破綻の大洪水は、時にはほんの小さなきっかけで起きることもあるということです。
例えて言えば、自然災害と同じなのです。「大きな堤も蟻の一穴から」という諺もあります。ほんの小さな蟻が通るような穴が、どんどん拡大して、ついには堤防を破壊したてしまう、つまり経済恐慌というのは、バランスの崩れから起きるので、均衡状態の時ほど小さなきっかけで大きなことが起きることもあるということです。
話を戻します。ESGというのは、簡単に言えば、利益だけ追求しないで社会全体のことを考えよう、そして経営者は組織の原則を守り社員の福利厚生について充分配慮しましょうということです。ある意味、当たり前のことを言っています。
(「アセットマネジメントOne」)
渋沢栄一は、「持続可能な社会」のことを考えていた
実は、そのような視点で明治の時代に企業のあり方、商業のあり方について説いた人がいます。今、NHKの大河ドラマの「青天を衝け」の主人公の渋沢栄一です。渋沢栄一は、幕末から昭和初期まで激動の生涯を過ごした人です。尊王攘夷運動から幕臣、さらには明治政府の役人から実業家に転身した人です。日本資本主義の父とも言われ、社会貢献活動にも取り組んだ人です。彼の頭の中には、常に世のため、人のためということがあったと思います。
彼が83歳の時の講演録が遺っています。1923(大正12)年に赤坂の日本蓄音機商会にて録音されたものです。講演の肉声は、東京都北区の渋沢資料館で聴くことが出来るそうです。CDも販売しているとのことです。
その講演録の一節を紹介します――「仁義道徳と生産殖利とはまったく合体するものであるということを確信し、かつ事実においてもこれを証拠立て得られるに思うのであります。が、これは、決して今日になっていうのではありませぬ。第一、自分の祈念が、真正の国家の隆盛を望むならば、国を富ますということを努めなければならぬ。国を富ますには、科学を進めて、商工業の活動によらねばならない。商工業によるには、どうしても合本組織が必要である。しこうして合本組織をもって会社を経営するには、完全にして強固なる道理によらなければならぬ」(渋沢栄一『徳育と実業』国書刊行会、2010年/263-264ページ)
特に読み取って欲しいのは、最後の箇所です。「完全にして強固なる道理」と言っているのですが、彼が大切にしていた考えは道徳、仁義です。利益さえ得られれば良いという考えに陥りがちですが、それでは駄目と言い、「道徳経済合一説」を説きます。この考え方は、何のことはない、ESGやSDGsの考え方を根底に於いて支えている原理と共通するものがあるのです。
そして、ESGやSDGの指標は「持続可能な社会」を実現するためのものです。社会が発展し続けるためには、科学を発達させ商工業を活発にする必要があります。そのためには、どうしても「合本組織が必要」と渋沢は言います。一人の力では限界があるからです。資金と人材を集めるために、人は組織を作ることを学びました。この組織を搾取機関であり諸悪の根源みたいに捉えるのが共産主義の考えですが、歴史的に見るとそうではないことが分かります。
渋沢が説いた「合本」の言葉に彼の気持ちが込められている
渋沢が「合本」という表現を使ったのは、人の和、資金、人々の支持と賛同それらをすべて合わせる必要があるとの判断があったからだと思います。そして、そういったものが上手くあった場合、その会社は持続的に発展するであろうし、そのような会社が多く存在する国も持続的に発展し、国民も幸せを享受できると考えたようです。
渋沢栄一は資本主義の父と言われ、その生涯で設立や経営に関わった会社は500以上にも上ると言われています。さぞや大富豪と思うかもしれませんが、彼は明確に「私は実業家でありながら大金持ちになることを好まない」(渋沢栄一 前掲書、54ページ)と言い、「もし一国の財産をすべて一人の所有にしたら、どんな結果になるのだろう。これはやがて国家最大の不祥事になるのではないか。このように極まりない欲望に向かって虎や狼のように貪婪(どんらん)な欲をむき出しにするような人々が続出するよりも、働きのある人々を多く輩出して国家の利益を計るほうが万全の策だろうと思う」(同上)としています。そして、実際に事業で得たお金を昌平坂学問所の修復や下田の玉泉寺の碑文の建立など各地で文化財の復興のために使っているのです。
社会の発展のために会社を必要に応じて作る必要があったということです。ただ、それは現在も同じです。別に、金持ちになる目的で会社を興した訳ではないとしています。実は、渋沢は韓国電力の前身の会社組織を半島に作っています。電力がなければ、近代化は無理だったからです。そのような思いで会社を作ったものの、韓国では「経済侵奪の張本人」(ハンギョレ新聞)となっています。共産主義者のように、何事も悪意で捉える韓国らしいと思っていますが、これからの外交は好意を素直に受け止めてくれる国かどうかで判断することも必要でしょう。
(渋沢資料館/東京都北区エリアガイドマップ)
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