「佐渡島の金山」の世界文化遺産への推薦を日本政府は決めたみたいですね」
「先送りするというニュースが流れましたが、様々な経緯(いきさつ)の中で今回の決定に至ったようです」
「『ようやく』というのは、どういうことですか?」
「地元の新潟県では、もうすでに15年以上前から国に対して要望を出していたのです」
「なのに、どこで止まっていたのですか?」
「外務省が及び腰だったようです。ただ、今回のように政府の強い決意があれば関係がありません。要は、やる気の問題です」
「「産経」が『韓国と歴史戦 足りぬ準備』(1/29日)と報道していますが、見通しはいかがでしょうか」
「ちょっと、その前に、どのような理由で世界文化遺産への推薦をするかを確認したいと思います。佐渡島には4つの主要な金銀山があり、中でも相川金銀山が規模が大きく、今から約400年前の江戸時代から採掘、開発され、現在は国の史跡や重要文化財に指定されています」
「日本が開発した佐渡島の文化遺産の推薦について、なぜ韓国が横やりを入れるのですか?」
「朝鮮半島出身者による戦時徴用があったからというものです」
「戦時中ということは、日本の統治下ですよね」
「戦時徴用であろうと一般の徴用であろうと、その時点で韓国という国は建国されていませんので、純粋な日本国内の問題だと言えます」
「なのに、何を問題視しようとしているのですか?」
「狙いは、『揺さぶり』でしょう。南京問題や慰安婦問題で日本に『揺さぶり』をかけると、面白いように日本側が反応しました。一種の宣伝戦と考えていると思います」
「お金がそれ程掛からない上に、日本に対して優位に立てるということですね。ここからが本論です ↓」
目次
佐渡金山の本格的な開発は江戸時代から
『ウィキペディア』によりますと、『今昔物語集』の中に「佐渡の国に行きて金を掘る語り」という下りがあり、『今昔物語集』が出された11世紀には砂金などといった形ですでに金が産出されていたのではないかと言います。佐渡島が徳川氏の所領になったのが1601年ですが、この年に北山で金鉱脈が発見され本格的な採掘が始まったそうです。
明治初期からは官営、明治後期からは民営となり採掘が続けられ、1940年には年間1500キロの金と約25トンの銀を生産したそうです。その後は生産が徐々に縮小する中で、1967年に佐渡金山遺跡が国の史跡に指定され、2012年には 建造物3基4棟1所が「旧佐渡鉱山採鉱施設」として国の重要文化財に指定されます。1989年に休山になっています。
佐渡金山の本格的な開発は江戸時代からですが、「採掘から精錬まで伝統的な手工業で行われていた貴重な産業遺産」(「産経社説」2022.1.29)なので、文化的、学術的価値が高いものを純粋に世界遺産として登録したいということです。
(「You Tube」)
佐渡金山の登録申請妨害は内政干渉にあたる
韓国が言っているのは、戦時中において強制労働があったということですが、仮にあったとしても労働基準法のない時代であることと、その当時の半島は日本の統治下にあったので、純粋な日本国内の問題です。登録申請妨害は内政干渉にあたりますし、それを戦後建国された韓国が、70数年経ってから文句を言うことができないというのが国際法の常識でしょう。
そもそも、どうして世界遺産登録申請に合わせて、そういう話が韓国側から出てくるのか。本当に許しがたき奴隷のような強制労働があったことが客観的な資料とともに明らかであるならば、はるか前に、それこそ戦後の建国の頃から言ってしかるべきでしょう。それを全くせずに、世界遺産登録の申請に合わせて横やりを突くやり方、陰湿そのものですし、露骨な妨害行為だということが分かります。
(「gooニュース」)
日韓関係がおかしくなったのは、慰安婦問題での対応を誤ったため
日韓関係がおかしくなったのは、慰安婦問題で日本政府が対応を間違えたからです。火をつけたのが朝日新聞です、吉田清治という男が書いたデマ話を紙面で再三再四取り上げ、それが韓国に知られることとなり、この問題が日韓の政治問題に発展します。
1992年1月11日の朝刊1面で「慰安所 軍関与示す資料」との見出しで報じた朝日新聞の記事がでます。記事は、防衛庁防衛研究所図書館所蔵の公文書に、旧日本軍が現地部隊に慰安所の設置を命じたことを示す文書などが見つかったという内容です。政府は当時、国会答弁で国の関与を認めていませんでした。この記事の掲載は宮沢喜一首相が同月16日から訪韓する直前で、前文(リード)でも「政府として新たな対応を迫られるとともに、宮沢首相の16日からの訪韓でも深刻な課題を背負わされたことになる」と書いていました。
わざわざ韓国側が反応を示しそうな内容の記事を首相の訪韓前のタイミングを見計らって掲載するという。どこの国の新聞かと思います。慰安所が設置されて、その設置についてどこが命令をしたのか別に大きな問題ではありません。
半島は終戦まで日本が統治をしていたのは歴史的事実。慰安所や慰安婦の問題は、日本の内政問題と言っていればすべて終わるのに、わざわざ文章を作って謝るからもつれてしまうのです。向こうからすれば、鬼の首を取ったということでしょう。一つ取れたので、二つ、三つと欲しがるということです。果てしなく続いていくと思います。
最悪だったのは、「河野談話」(1993.8.4日発表)です。この全文はインターネットで検索すれば、簡単に入手できますが、問題の箇所は「本件は、当時の軍の関与の下に、多数の女性の名誉と尊厳を深く傷つけた問題である。政府は、この機会に、改めて、その出身地のいかんを問わず、いわゆる従軍慰安婦として数多の苦痛を経験され、心身にわたり癒やしがたい傷を負われたすべての方々に対し心からおわびと反省の気持ちを申し上げる。」
(「ニコニコ」)
「河野談話」以降、日本叩きはさらにヒートアップする
この談話が出されて、日本叩きはヒートアップしていきます。特に近年は、その度合が激しさを増しています。2011年には韓国日本大使館前に慰安婦像が設置されます。それから約10年経ちますが、世界には160体の慰安婦像が建てられています。
こうなってくると、どこに落しどころを持ってくるかということですが、それが全く考えることが出来ません。お互いサプライチェーンで結びついている鎖を官民ともに一つひとつ解きほぐして、断交に向かって努力するべきなのかなと思っています。今の状況を考え、お互いの国民性を鑑みた時に、それしか途はないような気がします。
そこで困った時は歴史に聞こうということで、半島との交流史を調べてみました。すると、約2000年間、実はまともに交流していた歴史が殆どないことが分かります。友好的であったのは、唯一百済の時くらいのものです。日本はその時に仏像や経典とともに仏教を移入しています。それ以外の国同士の公的交流は、実は戦後の韓国と結んだ日韓基本条約(1965)まで全くないのです。
もしかしたら先人は、心穏やかな日々を送るために、そのような途(みち)を選んだのではないかと、最近思うようになりました。
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