「今日のニュースを見たのですが、韓国側からプランが示されたので、これで徴用工の問題は決着しそうですか?」
「韓国内の内政問題にしてしまったのですね。政治問題にしたいと思っている連中は、不満でしょうけど、そこをクリアすれば解決の目途が立つと思います」
「見込みは、どうですか?」
「大統領の威信にかけて、これで決着を図りたいという意気込みを感じますので、取り敢えず決着すると見ています。いろんな縁で隣国になったのですから、関係修復は良いことだと思います。古代には、多くの渡来人が日本に来たという記録もあります」
「教科書には、どこからとは書いていないのですが、中国と朝鮮半島、どちらが多いのですか?」
「日本海の荒波を考えると、中国からと言うより、半島の方が多かったでしょうね。だけど、彼らは朝鮮半島から来たという人は少なかったようです。だから、教科書もぼかした記述になっていると思います」
「なぜ、半島出身と名乗らなかったのですか?」
「中華思想の影響を受けている彼らからすれば、中国の国名を出した方が箔が付くと思ったのでしょうね。そして、当時は中国文明に接していれば、中国人だったのです」
「住民票やパスポートがある訳でもないということですね」
「例えば、漢という国は朝鮮半島に楽浪郡という出張所を設けて、半島を管理していました。管理をしつつ、そこから半島に絵を描く、文章の書き方、機織り、建築技術などがもたらされ、それが渡来人を通して日本に伝わったと言われています」
「それが飛鳥文化として日本で花開いたのですね」
「そうですね。漢人と呼ばれ、飛鳥地方周辺に住みます」
「住む土地はどうしたのですか?」
「渡来人は学のある人が多く、字が書ければ日本では役人になれるという情報が流れたようで、それを聞いて日本に来たようです。朝廷も気前よく土地を分け与えたようです」
「土地をもらえて、就職できる。気候は日本の方が温暖なので、結構希望者がいたのでしょうね」
「京都の伏見稲荷が秦氏ゆかりの神社です。だから、あの辺りの土地を上げたのだと思います。百済の人には、大和盆地の葛城山麓を上げたのです。そういう情報を聞きつけて、新羅や高句麗の人も来たようです」
「新羅、高句麗は日本の敵国ですよね」
「関係なく、上げたみたいですね。日本人は、その頃から大らかだったのでしょう。頭を下げてくると、何でもその気になって面倒を見るというところがあります」
「ここからが本論です ↓ 表紙写真は Yahoo!ニュースです」
半島との交流は、古代に遡(さかのぼ)る
朝鮮半島に関する記述は『古事記』や『日本書紀』にもありますので、多くの交流があったことと推測できます。『日本書紀』の応神天皇14年条には、弓月君(ゆづきのきみ)が百済から来朝しようとしたものの、途中新羅人に妨害をされ、加羅国(任那)に留まっているいることを天皇に奏上します。天皇は使いを遣わして、彼らを日本に連れてきた、そして、彼らは機織りや養蚕の技術を伝えたとあります。この弓月君の子孫が秦氏です。
この秦氏がその後勢力を伸ばし、長岡京、平安京の遷都において影響力があったと言われています。遷都をするためには、政務や居住用の建物、道路の整備などインフラ整備に莫大な費用が掛かります。それを推進するだけの経済力があったと言われています。
これは付け足しですが、初代の征夷大将軍の坂上田村麻呂は教科書に掲載されている有名人ですが、彼は渡来人であり、はじめて公卿(閣僚)になった人です。能力さえあれば、出自は余り問わないという大らかさがあったのです。
(「歴史人」)
時代の進展の中で、半島や大陸とは疎遠になっていった
中国ともそうですが、半島の国とは、時代が経つにつれて、余り良い交流が出来なくなります。その原因の一つは、国家意識の芽生えだと思います。二つ目は、中華思想による、日本に対する蔑視観でしょう。そして、三つ目が母音文化と子音文化の違いや価値観の違いだと思います。色の使い方や料理、建物の建て方や自然観など日本とは違います。そういったことが様々な形で影響を与えたと思います。
国と国の付き合いは人間同士と同じで、子どもの頃は何のわだかまりもなく付き合うことが出来たのが、大人になり様々なものを背中に背負いこんだり、考え方の違いが気になり始めたりということで、付き合い方も難しくなるということでしょう。
(「キョーワシステム株式会社」)
慰安婦、徴用工問題の根底には、日本の戦後教育の問題がある
慰安婦、徴用工問題がこじれた最大の原因は、日本の対応です。韓国とは1965年の日韓請求権協定があり、そこですべて法的に決着しています。そこが原点でそこが全てなので、それを守ってさえいれば、ここまでこじれることはなかったのです。
変な談話が出たり、半島まで行って土下座をした首相がいたり、それを煽る新聞があったりということで、日韓関係がこじれたのです。韓国から見れば、何かを言えば反応してくれるというある程度の確信があれば、騒ごうと思うのはある意味自然なのかもしれません。
政治家は長いスパンで物事が上手くいくようにしなければいけないのに、中には真逆のことをする人がいるということです。これもまた、戦後民主主義の「欠陥」と言えるのかもしれません。
(「Yahoo ! ニュース」)
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