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【道徳の教科化】あの人の生きたように / 先人の素晴らしい生き方を教えるのが道徳の目的

「昨年度から道徳の教科化がスタートしていますが、それは知っていましたか?」

女性

「小学校は2018年度から、中学校は2019年度から始まったと聞いています。ただ、教科化の意味が今一歩分からないのですが……」

「教科なので、当然評価をつけましょうということです」

女性

「5、4、3、という評価ですか?」

「そういう評価をしないで、記述式にしたのです」

女性

「それを、誰が書くのですか?」

「担任の先生しかいないと思います」

女性

「教科化なので、道徳科の教員がいないとおかしいと思いますが、……」

「当面は、クラス担任が授業をして、評価をするということです」

女性

「何かへんだと思います」

「私もそう思います。ただ、教科書を見ると、そういう前提で作られていないのではないかと思います」

女性

「どういうことですか?」

「私は中学校の道徳の教科書しか見ていないので、中学のことしか言えませんが、話し合いを前提にして教材が作られています」

女性

「担任の先生に負担が掛かっているということですね」

「教科書というのは、どういう態勢で授業をするのかということと深く関わることなのです。道徳科の教員を養成して、その人たちに授業をさせる前提で作られたような教科書になっています」

女性

「それなりに指導力が必要ということですね。ただ、すべての担任が道徳の授業をリードできる訳ではないですよね」

「誰が担当しても大丈夫なような教科書を作っておく必要があるのです」

女性

「具体的には、どういう教科書を考えていますか?」

「古今東西の偉人の話を集めたものであれば、誰も異論を唱えないのではないでしょうか。ページ数は当然分厚くなります」

女性

「分厚くして、貸与にすれば良いのではないでしょうか?」

「なるほど、道徳の教科書を欲しいという子はいないでしょうからね」

女性

「ここからが本論です。続きをどうぞ ↓」




 道徳教育では、先人の美談を語り、道徳的な行動をイメージさせることが重要

道徳の授業の教科化がスタートしました。がっかりするような教科書が作られています。なぜ、こういうことになったのか、原因を探ってみたいと思います。

道徳教育の一つの道は、私たちが『美しい』と感ずるような話を子供たちに伝えることではないかと思います。健全な少年少女にとって、美しい、ためになる話は、同時に面白いのです。教室で偉人の話をすれば、子供たちの目は輝くはずです。私たちは世界中の美しい話、いい話、そして特に日本人の行った素晴らしい話を子供たちに伝えるべきでしょう」(渡部昇一『13歳からの 道徳教科書』育鵬社.2012年)


道徳というのは、人の生き方を学ぶことです。まず、最初の導入は、日本の国の成り立ちを知り、その中で活躍した人を紹介することから始めるのが筋ではないでしょうか。表題にしたように、「あの人の生きたように」私も生きてみたい、「あの人が愛した国だから」私も役に立つように生きてみたい。まず、そう感じさせることが大事なのです

なぜ、そのように思わせたり、感じさせることが重要なのか。それは、道徳というのは、最終的には実践が求められる教科だからです。数学や英語のように、頭の中の理解ですべて完結する教科ではありません。だから実際に道徳のペーパーテストは満点で、普段の行いは全くダメということもあり得るのです。

最終的には、実践力・実行力が求められる道徳についての考え方は、スポーツと同じ様なアプローチの仕方が求められますスポーツの初心者に対して、最初はその分野の名プレーヤーの素晴らしいプレーを見せたりします。スポーツのイメージとある程度のルール、どういうプレーが良いプレーなのか、いろいろなことが分かるからです百聞は一見にしかず、なのです。そうすると、それらを見て、私もあの人のように上手くなりたい、プロとして活躍したい、それが一番最初に行う重要なことだと思います。心理学で言うところの「動機付け」です。

最初に言葉から入ると、大体が失敗をします。複雑な社会のありとあらゆる場面における「正しい」行動を、言葉だけで説明し尽くせるようなものではないからです。あの狭い空間でプレィするテニスですら、どのようなボールが飛んでくるか、正確に分類すればそれこそ天文学的なパターンがあります。それを説明し切れるものではないのです。

そういう発想ではなく、名プレーヤーのプレイを見せて、後は様々な場面においてどうするか、どういうショットをどこに打つかを自分で考えるようにするのです道徳も同じです。22項目にまとめ切れると考える方が間違っています。社会はテニスより、さらに複雑です。そして、子供たちが生きていく社会は国際社会です。様々な価値観が交錯します。その時に一番大事なのは、中心軸を真っすぐ定めることです。これもテニスと同じです。体軸さえぶれていなければ、あらゆるボールに対応できるようになります。道徳の中心軸、つまり生き方の中心軸を作るために、先人の素晴らしい生き方を学ぶ必要があるのです。

 子供たちの道徳感情をくすぐるような題材が求められる

道徳の学問体系があるわけではありません。ということは、子供たちの道徳感情をくすぐるような題材が求められます。題材が良ければ、伝える人間の力量が多少低くても子供たちは道徳的に高まります。逆に、力量がある教師であれば、歴史や公民の教科書を使って、道徳の授業をすることができます。

 教科書に求められるのは、仮に「標準的」な教員が教えたとしても、充分な成果が得られるような教科書が作成されていることなのです。そのためには、それぞれの時代をどのように捉え、どう受け止め、具体的にどう生きたのかを知ることが出来れば、最大の学びとなります

実話に優る物語なし、なのです。私事で恐縮ですが、小学校1年生の時の話です。担任の鈴木あさを先生は1年生松組の子供たちを連れて、校内を案内してくれました。玄関脇の池の片隅にあった二宮金次郎の薪を担ぎながら本を読んでいる石像を指さしながら、私たちにどういう人なのかを説明してくれました。今でも印象深く覚えているということは、結構インパクトがあったのではないかと思っています。

小学校2年生の時には岩田先生というお年を召した先生が、週に1回の道徳の時間にクラスに来て豊臣秀吉の話をしてくれました。日吉丸から木下藤吉郎、羽柴秀吉と位が上がっていきます。話はシリーズになっていて、ずっと繋がっているのです。クラスの皆んなは、その後どうなっていくのか楽しみにしていたことを覚えています。実際に、この国の大地に立ち、ここで一生を終えたことは紛れもない事実なので、それが聞いている子供たちに迫力を感じさせるのだと思います

 文科省は、人間をロボットのように考えている

スポーツの手ほどきを受けている段階で、初心者に、どういうプレーが良いプレーか、ということを普通は聞きません。まだ、何もよく分かっていないからです。ところが、学習指導要領解説「特別の教科 道徳編」(平成29年告示)の中に「内容項目の指導の観点」というのがあり、「善悪の判断、自律、自由と責任」という項目があり「小1と小2」は「よいと思うことを進んで行うこと」、「小3と小4」は「正しいと判断したことは、自信をもって行うこと」とあります。

まだ生まれて10年位しか経っていない子供に対して、頭の中で「正しい」と思ったことを「自信をもって実行しろ」と教育して良いのでしょうか? 甚だ疑問です

相模原の障害者施設やまゆり園での大量殺人事件の犯人植松聖被告は、「意思疎通の出来ない障害者は社会に役に立っていない」と思い、本人は抹殺することを「正しい」判断と思い、「自信をもって実行して」殺したのです道徳のプログラム通り実行したと言えなくもありません。子供たちの中に、きちんとした「ものさし」が出来ていないうちに行動させたり、討論させることの怖さがあるのです。植松聖被告は、家や学校でそのように育てられたのではないかと思っています。

テニスで言うと、いきなりラケットを持たせて、正しい打ち方や技術(テクニック)、試合について、言葉だけの説明をした後、ラケットを持たせて自信をもって振りぬきなさい、と指導するようなものです。周りは全然テニスの形になっていないと分かるのですが、本人はこれで良いと思い込んでしまうことがあるのです。

教科書の作り方を見てみると、内容項目を細切れにして、それに見合った話を載せるという形になっています。項目として例えば、「親切、思いやり」、「感謝」、「礼儀」、「友情、信頼」、「勤労、公共の精神」というように全部で22項目ありますその項目に合わせて、多くのつくり話が載っています。22の項目は間違っていません。項目自体は正しいと思います。しかし、ここが人間教育の難しさなのです。

 正しいからと言って、それを呪文のように唱えて、注入してもそうはならないのです。そこが人間と機械の大きな違いなのです。実際に、「いじめはダメ」と指導しても、いじめは減りません。逆に増えています。それは、何故なのかを考えなければいけないのです。

 人間をAIロボットのようなものと捉えているところに、大きな誤りと勘違いがあるのです。プログラミングをしてあげれば、「道徳人間」ができると思い込んでしまっています。そういう皮相的な人間観の人たちには、まともな教科書は作れないと思っています

「母国を誇る民は幸せである。日本人は、そのような思いを持てる幸せな民族である」(大隅洋『日本人のためのイスラエル入門』ちくま新書.2020年/18ページ)。何も小細工をする必要はないのです。歴史的に評価が高い人たちを次から次へと登場させれば良いだけの話です。

日本には、他国にない約2000年の雄大な歴史の積み重ねがあります。この国のことを思い、無私の精神で汗を流した人が多くいます。多くの感動秘話を子供たちにプレゼントするという気持ちで道徳の教科書を作成して欲しいと思います。へたくそな作り話を読んでも、道徳力は高まりません。子供も一人前の人間なので、中身のない話に共感することはありません。

変にいじるので、何が何だか分からないような教科書になっていますし、場合によっては、「いじめはダメだぞ」と生徒に説教して終わるような授業になりがちです。抜本的な改善を求めたいと思います。

読んで頂きありがとうございました

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