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革命を考えるしかなかった時代から革命無用の時代に / 日本共産党の解党を勧める

女性

「たまたま知ったのですが、マルクスの資本論講座がNHKのEテレで始まります」

「もう、マルクスの時代ではないと思いますけどね」

女性

「今回の放送は、アンコール放送ということで、今年の1月に放送した内容を流すみたいです」

「アンコールということは、要望があったということですね」

女性

「そうだと思います。『資本論』は難しいと言われていますので、何とか読みたいと思う人が多いということでしょうね」

「純粋に古典の書として読むのは良いかもしれませんが、マルクスの場合は、それをそのまま使う政党や国がありますからね」

女性

「最近では、中国の習近平の演説ですよね。あれは何でしたっけ?」

「6中全会のコミュニケですよね。やたら、マルクスを使っていましたよね。折角なので紹介しましょう。「習近平の新時代の中国の特色ある社会主義思想は、現代中国のマルクス主義、21世紀のマルクス主義であり、中華文化と中国精神の時代的真髄であり、マルクス主義の中国化における新たな飛躍を遂げた」

女性

「凄いですね。マルクス主義をやたらと多用していますね」

「まあ、一つの切り札のようなものとして考えているのでしょ」

女性

「ただ、切り札というのは、原則1回ですよ。何回も使うのは、切り札とは言わないと思います」

「成る程、それはもっともな指摘だと思いますが、構わず使っています――「党の100年の奮闘はマルクス主義の巨大な生命力を示し、マルクス主義の科学性と真理性は中国で十分に検証され、マルクス主義の人民性と実践性は中国で十分に貫徹され、マルクス主義の開放性と時代性は中国で十分に示された」。こんな調子です」

女性

「私は聞けば聞くほどシラケますけど、言っている方は真剣ですよね」

「まあ、そうでしょうね。マルクス教といわれる所以が多少は理解できましたか」

女性

「充分、理解できました。ここからが本論です ↓」

 ユダヤ人マルクスの大きな願いは祖国復興

中国共産党はマルクス(1818-83)を天まで持ち上げていますが、彼は今頃くしゃみをしていると思います。マルクスの業績を考える時は、2つのことを考える必要があります。一つは、彼がユダヤ人であるということです。彼の友人のエンゲルス、ついでに言うとレーニンも彼の妻のクルプスカヤもユダヤ人です。何故、それを考えなければいけないのかと言うと、彼が生きていた時代のユダヤ人の大きな願いは祖国再建・祖国復興だからです。

ユダヤ人は、亡国の民として2000年以上にわたる苦難の歴史を歩んできた民族です。祖国を失ってからの年月が長くなればなるほど、祖国再建への思いは彼らの中で強く燃え滾(たぎ)るものがあったと思います。それを汲み取った上で、彼らの言動を読み解かないと間違った解釈をすることになります。

つまり、ユダヤ人国家を再建するための革命理論の構築が必要であり、革命の機運が盛り上がれば、そこから祖国再建に有利な状況を作り出した上で、いかに現実の動きに繋げるかが彼らの重大関心事だったのです。そのようなことから、ヨーロッパ大陸で革命の機運をまず盛り上げることが大事と考えたのでしょう。革命の動きがあれば、それに乗じて祖国を再建できると考えたのです。若きマルクスは友人エンゲルスと共に祖国復興運動に邁進します。『共産党宣言』は、その延長線で捉えるべきことです。純粋無垢にユートピア建設を唱えた訳ではないのです。

(「ハーク」)

 革命を考えるしかなかった時代――封建の残滓がある時代

二つ目は、彼が生きた19世紀という時代をよく理解する必要があるということです。市民革命、そしてイギリス産業革命が終わった直後の時代ですヨーロッパは中世の身分制議会の残滓(ざんし)をまだ引きずっていました。民主政治の先進国と言われたイギリスでは議会政治が行われていましたが、庶民院と貴族院の2院制でした。ちなみに、イギリスで普通選挙制度が成立するのは、1928(昭和3)年です。マルクスの死後、約50年後のことです。つまり、彼の生きた時代は、人間らしい社会を実現する、さらには民族の悲願を実現するためには、革命しか方法がないと彼が考える最もな理由がそこにあったのです。

翻って、今の時代を考えてみます。人権を規定した憲法はすでにあります。共産党の志位委員長もよく出来た憲法と言っています。だから、「このままでいいだろう、だから我が党は護憲」といっています。自由権、平等権を規定した憲法がすでに存在し、2院制の議会政治が行われています。参議院は戦前は貴族院でしたが、今は公選の議員によって構成されています。このような状況で革命を叫ぶ意義は全くありません。

真の平等社会になっていないではないかという反論があるかもしれません。気を付けなければいけないのは、言葉として成り立っても必ずしもそれに対応した現実がある訳ではないということです。例えば、「月まで届く大高層マンション」と言葉として作れてしまいますが、現実には無理です。まあ、だからこそファンタジー小説が成り立つ訳ですけどね……。

話が回りくどくなりましが、要するに「真の平等社会」というのは、一つの目標として目指すことは出来ても、実際に実現することは不可能ということです人間はすべて顔かたちが違い、一人ひとり個性があり感覚がそれぞれ違います。そのため、平等の捉え方が一人ひとり違い、それをすべて一つに合わせることが出来ないからです。

むしろ、すべて一つに合わせることを考えるのではなく、自由権、平等権を規定した憲法がすでにあり、方向性が定まっていることが重要であり、それで由と考えるべきなのです。戦前の憲法には、平等権の規定はありませんでした。平等権、そして自由権の規定があるということは、革命の根拠はもうないということを意味しているのです。日本の共産党は、まだ革命の旗を降ろしてないようですが、降ろすことを考える時代だということです。

(「ホンシェルジュ」)

 歴史的無知の連鎖を断ち切っての解党を勧める

日本共産党は99年前の1922年に「コミンテルン日本支部」としてスタートしています。つまり、世界革命の一翼を担う考えのもとでの組織が日本で作られ、綱領の素案が作られています。それが「22年テーゼ」です。項目を紹介すると、天皇制の廃止、貴族院の廃止、現在の軍隊、警察、憲兵、秘密警察の廃止、労働者の武装、朝鮮,支那、台湾、樺太からの軍隊の撤退、天皇および大地主の土地の没収とその国有化です。

天皇制の廃止以外は、すべて現在問題にするようなことはありません逆に言うと、今の共産党は皇統を弱体化させるというだけの目的のために活動している政党だということです。彼らが女系天皇ということを言い出しているのは、いずれは無くそうという企みのもとでの発言だということです。

彼らは、平等権と天皇制は矛盾すると言っていますが、そもそも平等権概念が西洋で成立したのは18世紀です。歴史の重みが全く違います。そして、形式論理的にすべて「平等」でこの社会を理解する必要はありません「真の平等社会」というのは、先にも言ったように画餅だからです。その証拠に、仮に天皇制がなくなったからと言って、平等社会が実現する訳ではありません。例えば、伝統ある会社には会長職という名誉職のようなポストがあることがあります。それを無くしたからと言って、会社が急に素晴らしい会社に変身する訳ではありません。理屈は同じです。逆に、会長職によって会社の重みが増しているという面があるのです。

8世紀という古代の時代に現在の象徴天皇制が確立をして、権威と権力を分離するという日本独特の統治システムが完成します。この辺りについては、今谷明氏の研究が詳しいので、そちらに譲りたいと思いますが、多くの先人たちの努力によって2000年近くにわたって一つの王朝の歴史が日本列島を舞台に連綿と続いています。その史実に対する無知が約100年前の「コミンテルン日本支部」の発足だったのです。その当時の、方針の殆どは解決しています。歴史的無知の連鎖をここで断ち切って、100周年を期に解党されんことをお勧めします。

(「楽天市場」)

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