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日大問題を単なる三面記事に終わらせないために ―― 独裁者は法制度の中から出現する / 大学新法の制定を!

女性

「日大の田中理事長がついに逮捕されましたね」

「Xデーは何時なのか、あるいは無いのではないかと言われていましたからね」

女性

「2億円の現金が自宅から出てきても、逮捕されないという可能性もあったのですね」

「特捜部の事情聴取の際に、検事さん、日大を舐めてもらっては困ると言っていたそうですからね(『THEMIS』12月号より)」

女性

「すごい自信ですね。震度5強という感じですね」

「??(一息おいて)。特捜部もそれなりの人間を充てています。日産ゴーンの時に主任検事をしていた剛腕検事と言われている廣田副部長を担当者にして盤石の態勢を敷きました」

女性

「挑発したことが却って火をつけてしまったのではないでしょうか」

「それはあるでしょうね。これは裏情報ですが、ある付属校に地検からの問い合わせもあったということです」

女性

「どういう件であったのですか?」

「詳しいことは教えてくれなかったのですが、人事の件と事業部との絡みみたいですね。付属校に対して、なるべく日大事業部を使えというお達しが来ているらしいのです」

女性

「そういったことを含めて、マスコミがいろいろ書くでしょうね。これから……」

「ただ、この問題の一番の根底には、国会の怠慢があると思っています。私立学校法を読めば分かりますが、「独裁者」容認の法律なのです。時代にそぐわない内容のものをいつまでも使っているので、日大の田中理事長のような人物が君臨することになるのです」

女性

「どういったところが、時代にそぐわないのですか?」

「理事長に人事と財務の権限をすべて付与しています。規模が大きい大学であろうと、私立の小規模小学校であろうと関係なく同じ組織で運営すれば良いと考えることが乱暴だと思います」

女性

「そして、モンスターを出現させてしまったということですね。逮捕されたので、一件落着ですか」

「そう思うのは、甘いです。独裁者は「制度」の中から出現します。きちんとした法を作って仕切り直しをしなければ、第二、第三の「田中」が現われます」

女性

「仕切り直しですか。上手いこと引っ掛けましたね。今日も昨日に引き続いて日大問題を取り上げます。ここからが本論です ↓」

 独裁者は法制度の中から出現する

人類の歴史の中で、多くの独裁者が出現しました。もちろん、個人の特性という面がありつつも、独裁者を生み出してきたのは、その時代の法と制度、そしてそれを支えた国民大衆なのです。多くの原因は法制度です。

日大の田中理事長というワンマンを産み出したのも「私立学校法」に規定された制度と仕組みが生み出したものです。どういうことか。簡単に言うと、権力分立の考え方がこの法律にはありません。というか、戦後すぐの混乱期に性善説をベースに急遽作ったような法律ですが、すべて理事長に権限をすべて付与しています――「理事長は、学校法人を代表し、その業務を総理する」(第37条)。そして、理事長は理事会の議長となることも、評議員会の招集者でもあることも規定があります。

さらに、評議員会については、それぞれの法人で決めてよい(第30条)となっているので理事長もしくは理事会で選任できるようして、監事は「評議員会の同意を得て、理事長が選任する」(第38条)とあります。つまり、何のことはない評議員と監事メンバーは理事長もしくは理事会で気に入った人間を充てることができます。そして、理事の人選は理事長の意向が強く働きますので、要するに経営陣は理事長の顔色を見て業務を遂行するようになります。

「いや、俺は」と気骨がある人もいるでしょう。そういった人を頼もしく可愛がってくれる理事長であれば良いですが、場合によっては左遷です。要するに生殺与奪の権限は、すべて理事長に与えられているということです。ただ、それは本来はおかしいということです。

(「アマゾン」)

 大学は学校ではない

私立学校法の最大の過ちは、大学を学校の中に入れてしまっていることです。そこは、根本的に認識が違います。学校というのは、小学校から高等学校までを言い、大学はそこには含みません。明治時代にUniversityやCollegeを大学と翻訳し、それを大学校と表現をしたところから誤解の連鎖が続いたのではないかと思っていますが、Universityの語源はラテン語のUniversitas(ウニベルシタス)から来ています。つまり、宇宙や世界の法則を発見するために学問・研究する場所というのが元々の意味です。

大学は人類がまだ分かっていない未知の分野の研究をして、新たな法則や従来の学説が正しいかどうかを検証する場であり、学校というのは、そういった成果を子供たちが理解したり記憶したりして学ぶ場です。大学は学問を修める場、学校は勉強する場です。その辺りの区別がよく理解出来ていない学校関係者も多いと推察します。余談ですが、「お勉強」とは言いますが「お学問」とは言わないのは、そういった理由からです。私立学校法では、そのことが区別されることなく、大学も学校として扱われてしまっています。その第4条に唐突に「私立大学及び私立高等専門学校」とあるので、ここで初めて私立大学のことを定めた法律なのだということが分かる仕組みになっています。

こういうのを見ると、考え方が定まっていないまま作られたということがよく分かります。本来は切り離して、「私立大学法」を作らなければいけないのです。これは国会の怠慢だと思っています。国会議員が何百人もいるのに、誰もこういった問題意識を持たないのかと呆れています。

(「ニューズウィーク」)

 私立中・高校と大学はなぜ規模が違うのか

私立中・高校と大学は、勉強、学問の違いもありますが、そもそも規模が違います今回話題になっている日大の学生数は日本一の約7万人です。例えば、私立高校で全校生徒2000人と言うと大規模校という評価を受けると思います。そのように、大学と他の教育機関は規模そのものが違います。それは目的そのものが違うので当たり前のことなのです。宇宙の法則、社会の法則といった難解な問題は、多くの人間の知恵を結集して、多くのお金をかけなければ解明できません。学校はそれを習う場所なので、子供たちが理解しやすい環境を整えるということに重きが置かれますので、小規模であっても懇切丁寧であれば全く問題がないのです。

総合大学であれば、多くの学部・学科が存立することになります。その教授陣と職員の人事と財務に関する権限を一人の理事長に掌握させようというのが「私立学校法」の考えですが、そこには無理がありますし、本当に有能な方が理事長職に就けばよいのですが、大学を舞台に自分の懐を膨らませるような人間が就いてしまうと、その大学にとって悲劇がそこから始まることになります。

トップの人間性と能力によってすべてが左右されてしまうような仕組みを規定した「私立学校法」を適用することを止めないと、第二、第三の「田中」が現われます大学の未来像を示しつつ、独裁者が2度と現われないような権力分立の考え方を盛り込んだ「私立大学法」(仮称)を国会の責任において制定するべきだと思います。

(「静岡私学ネット」)

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