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「子どもファーストの時代」にまだ学校統廃合計画を立てる自治体の愚 / 2kmの通学距離は現代では非常識――バス停5駅分

「東京都町田市が大規模な学校統廃合を行うみたいです」

女性

「そうなんですか!大規模と言われましたが、具体的には何校を統廃合する予定ですか?」

「今後20年間かけて、小学校16校、中学校5校を廃校にするみたいです」

女性

「結構な数ですね。理由は何ですか?」

「根本的な理由は、教育予算がないということでしょう。全部建て替えするお金がないので、例えば小学校であれば、町田市全体で42校あるのですが、26校を建替えて大きな新校舎にして、16校を廃校にするということみたいです」

女性

「もともと42校で収容していたのを26校にするので、かなり詰めるようなイメージをもつのですが……」

「町田市の子供の人口が3割減るだろうという前提と、24学級の小学校を11校にして対応しようという方針のようです」

女性

「学校数は4割減らしていますよ。16/42=0.385なので、約4割ですよね」

「確かに、そうですね。中学が5/20=0.25なので2割、2つを足して割れば3割ということなんじゃあないでしょうか」

女性

「それじゃあ、殆ど数合わせじゃあないですか」

「最初の出発点が数合わせですからね」

女性

「町田市の子供の人口が3割減るというのは、確定した未来ですか?」

「もちろん、確定した未来ではありません。小田急の唐木田からの延線計画、多摩モノレールの町田への誘致計画もあり、実現すれば逆に人口が増える可能性があります」

女性

「東京都心にも、横浜にも行きやすい場所にあるので、3割も減るというのは、現実的な数字ではないと思います」

「私もそう思うのですが、現実に行政は9月から動き始めようとしています」

女性

「ここからが本論です ↓」

 

 「子どもファースト」の時代――学校統廃合の時代ではない

少子高齢化が進行しています。生まれる子供の数が年々減って、2020年の出生数は約84万人でした。その数は統計史上最少です。子供の数が減ったならば、それに見合うように教育態勢を変える必要があるのですが、官僚による教育行政一元化の悪影響のため、何も考えずにかつてのベビーブーム時代の思考を続けて「行政ファースト」、「財政ファースト」の教育行政になっています

ヨーロッパの初級学校(小学校)は、100~200人の規模、1学年1学級というのが、彼らにとっての常識ラインであり、それが社会の常識です。下のデータを見てもらえば分かると思いますが、小さな学校、小さなクラスにして、よりきめ細かくその子の才能や特性を発見して育てていくというのが世界の流れです。教育は本来的に、その子どもの個性に合わせてオーダーメードの教育を提供するというのが大原則なので、その原点に少しでも近づけようとしているのがヨーロッパ各国の動きです。

ところが、日本では少子化が進行している現在においても、相も変わらず大規模な学校を目指しています。その際の理屈が、ある程度の集団でなければ、教育効果が上がらないというものですが、1クラス30人でも立派な集団です。


(「学校統廃合、学校再編問題」)

 学校統廃合は、「最後の切り札」として使うもの

どんなに努力しても地域に人がいなくなり、学校から子どもがいなくなり、学年によっては生徒が誰もいないという事態に陥った時に、初めて学校統廃合を考えるものです。その場合でも、地域の人や子供たちに「ゴメンナサイ」ということで、彼らの今までの思いを母校に遺し、別れを告げてもらいます。そうしたことにより、人は新しい学校に気持ちが向かうのだと思います。

人間は感情の動物です。本人たちが望まないことに対して、一つひとつのステップを踏むことによって、彼らの中に納得、または諦めの気持ちをもってもらいます。そのための「式」を日本人は各種用意し、それを大切にしてきた民族です。そのため、それがDNAのレベルにおいて染みついています。ちなみに、アメリカの小学校には入学式や始業式はありません。

本当は、いつまでもこの古い学び舎(や)で友と学び、遊びたいのです。その気持ちを吹っ切るための理由と儀式が必要です。一番分かりやすいのが卒業式です。友といつまでも学んでいたい、それを吹っ切らせるために、教育課程をすべて修了したという現実と卒業式を挙行して感情的に納得させます。それが上手くいくと、子供たちは次のステップに心の閊(つか)えがなく、次の段階に胸を張って進むことができます。

ところが、町田の統廃合計画を見ると、まだ充分学校として存続する機能があるにも関わらず、行政の都合による統廃合になっています。子供たちを納得させるためには、どうして今の学び舎で学び続けることが出来ないのか、どうしてわざわざ遠い隣の学区の学校に通わなければいけないのか、それらを論理的に説明する必要がありますが、説明する材料がありません。敢えて言えば「老朽化」ですが、これは逆に反論を喰らう恐れがあります。つまり、それだけ地域の中で歴史を刻んできた学校を、建物が古くなったという理由だけで、どうして廃校にしなければいけないのかという反論です。住民や子供たちの中で、ある程度の納得を得た上での統廃合でなければ、形の上で統廃合をしたところで、その後、様々な摩擦が生じる可能性が高いのです。いじめや不登校の原因ともなります。

 通学路の問題――2kmという距離と歩道が整備されているかどうかという問題

通学距離の基準は、法令上、小学校は4km以内、中学校は6km以内とされています(義務教育諸学校等の施設費の国庫負担等に関する法律施行令第4条)。現代においては、全く非常識な数字ですが、これを定めたのは1957(昭和32)年のことです。終戦からまだ12年しか経っていません。傷痍軍人が街頭で物乞いをする姿もありました。つまり、戦後の焼け野原の傷跡がようやく癒え始めたような状況下の応急処置的な取り決めだったのです。

 1957年というのは、終戦直後のベビーブームの世代が小学生の頃です。自動車などは殆ど走っておらず、オートバイが珍しかった時代、野山を駆け巡って幼児期を過ごしていた子供たち、田舎のあぜ道や農道が通学路となっていた時代の規準をそのまま現代において適用できないのは当たり前のことです。その後、日本建築学会が、最大でも小学校低学年は2kmという規準を出したので、それ以降2kmという数字が慣例的に定着しています。

ただ、2kmという距離も現実的な距離ではありませんかつての時代と比べて交通事情が全く違っているということと、犯罪に巻き込まれないような配慮という2つのことを考慮しなければいけません。子供を狙う輩も出始めたからです。そして、2kmというのは、およそ鉄道で1駅分、バスの停留所で5区間分です。実際に歩いてみれば実感できると思いますが、小学校の低学年の子供に歩かせるような距離ではありません。

ましてや、往来が激しい都会の交通状況を考えると、せいぜい1 km、無理をすれば1.2  kmといったところだと思います。炎天下など厳しい天候の中、重いランドセルを背負った6、7歳の子供が1日1往復歩けるのは、その程度だと思います。

地域に住む子供たち全てが、安心して通学できるような場所に校舎を用意するのが行政の仕事です。せっかく、その条件で教育が受けられるのに、学校統廃合をしてわざわざ行政がその条件を奪おうとしているのです。見方によれば、犯罪的な行為だと思っています。

(「E-LIFE」)

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