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生きていくのが難しい時代だからこそ、パラリンピックの応援を / フォローの仕方が間近で見られるのがパラリンピック

女性

「パラリンピックの熱戦が続きますね。原則、無観客は仕方がないかなと思いますが、学校観戦を取りやめるところが増えているので、少し残念に思っています」

「無観客なので、感染リスクは殆どないし、パラリンピックを間近で観戦出来て応援できるのは、多分これが最後だと思うと、誤った判断かなと思っています」

女性

「アスリートたちが必死で追い求めているものを一緒の立場になって応援してあげる、もし子供たちが一瞬でもそういう気持ちで応援した時、そこから人生が変わる気がします」

「今日はどうしたのですか? 急に覚醒した様なセリフを吐きましたね」

女性

「私も開会式の阿合さんの演技を見て、悟りを開いたと思っています」

「あなたの悟りは冗談だと思いますが、そうなんですよ、一瞬の感動、一瞬の思いが大事なのです。それを得られれば、コロナのリスクを背負い、時間と交通費をかけて応援に来た価値があるのです。机上では、絶対に得られることはありません」

女性

「人生の貴重な経験をし損なったということですね」

「親御さんの中には、子供のことが心配で連れて行って欲しくないというようなことを言った人もいたと思います」

女性

「そういう方も結構いると思います。学校観戦そのものが必要なのかと言う人もいますからね」

「本当は観戦の教育的意義について、文科大臣あたりから説明があると良いと思いますけどね」

女性

「萩生田文科大臣は、高校野球に理解がある方と聞いていますので、応援の大切さと意義について語れるのではないかと思いますけどね」

「人間は小さな事と、大きな事で命を支えている存在です。小さな事は自分の目標です。それを、みんなで支える必要があります。大きな事は社会全体、国全体の目標です。それは個人の力ではどうにもならないものですが、思いだけは持つ必要があります。それが共生社会の神髄だと思います」

女性

「テレビ応援を通してでも、そんな気づきがあれば良いと思います。ここからが本論です ↓」

 

 人間は弱い、だけど「考える葦」とパスカルは言った

パスカルの『パンセ』の中の一節です――「人間は、自然のうちで最も弱い一本の葦にすぎない。 しかしそれは考える葦である」。「パンセ」というのは、思想という意味です。つまり、そこで書かれたパスカルの言葉を吟味して受け取る必要があるのです。

「自然のうちで最も弱い」と言っていますが、見方によっては人間は自然界の帝王です。異常気象は人間が引き起こしたものです。つまり、雄大な自然界の摂理を変えてしまうほどの力を持っているのです。他の生物には、そんなことは出来ません。なのに「自然のうちで最も弱い」というのは、どういう意味でしょうか。簡単に言えば、人間は一人で自然の中に追い出された瞬間に何も出来ず、あっという間に命を亡くしてしまう存在ということです。

それでは、その人の物理的な生活を集団で支えれば、その人間は誰もが満足して人間として生きていくことが出来るのでしょうか。その答えは、NOだと思います。そこが人間の難しいところです。人間は自分の生きがいと、社会への思いで命を支えている存在だからです。

自分の生きがいというものは、比較的簡単に発見できます。絵を描く、ピアノを弾くなど趣味レベルからプロレベルまで様々ですが、腕前に関係なく生きがいにすることができるからです。

社会への思いというのは、意識しないと永遠に無縁となりますので、どの国でも教育の中で程度の差こそあれ教え込んでいます日本は共生社会ということを厚労省が掲げていますが、言葉だけでなく現実社会の中に国民を参加させる、サルトルの言葉を使うならば「アンガージュマン」が必要なのです。

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(「勢川びきのX記(4コマblog)-はてなブログ」)

 フォローの仕方が間近で見られるのがパラリンピック

パラリンピックの観戦の意義は、フォローの方を様々な角度から直接見ることが出来るところにあります。パラリンピックに出場するすべての選手は、様々なサポートを受けて記録に挑戦しているからです。

陸上男子5000mの視覚障害の部で唐沢選手が銀、和田選手が銅メダルを取りましたが、ガイドランナーと言われる伴走者がいます。当然、伴走者にも相当な脚力が要求されますし、少なくとも2人は必要です。練習をする時は、彼らガイドランナーとのスケジュール調整が必要でしょうし、練習場の確保などマネージメント的な人も必要です。勝利者インタビューでは、彼ら2人は周りの人たちへの感謝を口にしていました。

トライアスロン男子PTS4(運動機能障害)に初出場した宇田秀生選手(34=NTT東日本・NTT西日本)が銀メダルに輝きました。ゴール直前、宇田選手は関係者が座るスタンドに向かって、手を振っていました。「これまでやってきたことを、見てもらう。発表会にしたい」という思いで、満面の笑みをみせました。その後、ゴール直後で天を仰いで号泣する姿が映し出されました。「いろいろな気持ちが込み上げて」と言っていましたが、彼は結婚したばかりの5日後に右腕を切断するという事故に遭っています。

さぞや絶望的な気持ちになったと思います。周りが支え、本人も前向きに生きるためにトライアスロン競技を目指すようになったのだと思います。我々もいつ何時(なんどき)障害を背負うかもしれません。というか、五体満足であっても老いていけば、必ず何らかの機能障害を抱えることになります。自分とは関係のないことという捉え方ではなく、彼らの生き方からの学びがあっても良いと思います。

(「タウンニュース」)

 生きていくのが難しい時代

現代は、偉大と言われる思想や信仰に安心して身を任せ、それに頼り切っていれば良いという時代ではありません。作家の五木寛之氏も「ひとりひとりが自分たちの感覚で、生きていく喜びを見つけて、それによって生かされていく。かつては自分のほかに頼りになるものを見つけて寄っかかっていれば絶望せずに生きていけたが、いまはそうではない」(『人はみな大河の一滴』語り下ろし)と言います。

人間は他の動物と違って、精神活動を行います。精神によって支えられている面が多分にあるのです。精神的な満足感が、人生の満足感になります。ただ、その中身は一人ひとりによって違います。

1万人いれば1万通りの生き方や拠り所があります。上から与えられたものを受け取る訳にはいきません。日々の感動を大切にする中で、「小さな事」と「大きな事」を見つけて、この「むつかしい時代」を生き抜いて欲しいと思います。

(「日本テレビ」)

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