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問われる『朝日』の戦争責任と歴史観 / 首相と閣僚は靖国神社に参拝をされたし

女性

「どうしたのですか、少し表情が険しいですよ」

「あのね、『問われる政権の歴史観』(8/16日付)というのが『朝日』の社説の題ですが、こういう題の付け方はどうかなと思ってね」

女性

「どこが、問題だと思っているのですか?」

「歴史観とあるので、いろいろな歴史観があっても良いのではと思ったのです」

女性

「そういう題を付けるということは、こうあるべきだという歴史観があるということですよね」

「なるほど、『朝日』的な歴史観ね。演繹法的な歴史観ですね」

女性

「一つの枠組みに入れて、歴史を解釈するという手法ですね」

「唯物史観の影響を受けていると思います。高度に発達した資本主義国は侵略主義をとるはず。戦前の日本は、まさにそれであった。戦後、また再び暴走しないために、たえず権力の動向をチェックしなければいけないという考え方ですね」

女性

「マスコミは権力のチェックの役割があるということですか?」

「そう思っているのでしょうね、多分」

女性

「法的に言うと、立憲主義ということですか」

「『朝日』の立ち位置と立憲民主党の立ち位置は同じだと思っています」

女性

「どうしても政権批判という傾向が強くなりますよね」

「そのため、中国や韓国、北朝鮮に対する批判的な視点が弱くなる傾向がでます」

女性

「テーマによっては、中国と同じことを言うことになってしまうということですね」

「今回の靖国問題はその典型です。まず、自分たちの『歴史観』を検証したらいかがかと思います」

女性

「ここからが本論です ↓」

 中国共産党と一体となって政権を攻撃する「朝日新聞」

「朝日」は16日付の「社説」で靖国神社の閣僚参拝について「問われる政権の歴史観」という社説を掲載しています。4人の閣僚参拝と首相の玉串料奉納をしたことが、「政権全体の歴史観が問われる事態」と批判しています。

「歴史観が問われる」とありますが、人は様々な歴史観をもちます。いつ、どこで、何がという客観的な歴史的事実はありますが、それをどう解釈するかはその人の歴史観によるところとなります。ただ、個人には思想信条の自由がありますので、もっている歴史観の故に断罪されることはありませんし、政権がどのような歴史観をもっていても問題はありません。多くの国民が不適切と思うならば、次の選挙で信任されないだけの話です。

そして、そもそも靖国神社を「軍国主義を支えた国家神道の中心的施設」という書き方をしていますが、それはGHQ史観そのものであり、中国史観そのものです。どこの国の新聞かと思います。前回のブログで説明した通り、靖国神社は明治時代以降、公の軍務の中で命を落とした人の慰霊をするための施設として創建されたものです。別に軍国主義的な考え方を流布または広めるために創建された神社ではありません。

どこの国でも、そのような施設があると思います。アメリカのワシントンにはアーリントン国立墓地という大きな規模の墓地があります。独立戦争からイラク戦争に至るまでアメリカが関わった戦争で亡くなった兵士30万人以上が埋葬されている歴史ある墓地です。そこに、歴代の大統領は敬意を払って献花します。社会問題にする人は誰もいません

 

 A級、B級というのは連合国側の規準によるもの

靖国神社はその性質上国が管理していたのですが、その性格は戦後大きく変わらざるを得なくなりました1945年12月にGHQが神道指令を発して、政教分離の原則と国家神道廃止を打ち出したからです。そして、日本政府に、宗教色を薄めて国の慰霊施設として残すか、国から切り離すかという2つの選択肢が提示されるのですが、結局後者が選ばれます

翌年に靖国神社は民間の宗教法人として再スタートをすることになります。宗教法人となった後も、総理の多くは当たり前のように参拝し、問題視されることはありませんでした

ところがある時、突然に政治問題化したのが『朝日』です。その理屈は、「社説」(8/16)の中でも使っています――「靖国神社には、東京裁判で戦争責任を問われたA級戦犯も合祀されている。侵略の被害を受けた国々を中心に、日本が過去の過ちを忘れ、戦前の歴史を正当化しようとしていると受け止められても当然だ」。屁理屈満載の文章です。この屁理屈を中国に伝えたのが社会党訪中団だったということを昨日のブログで書きました。「朝日」と社会党のコラボによる反日作戦に中国が乗り込みます。今年も相変わらず、朝日と中国のコラボで政権批判をしています

まず、A級とかB級というのは連合国側の規準によるものなので、死者に対して平等に扱うという日本の従来の考え方とは合いませんし、彼らの規準に合わせて物事を考える必要はありません。例えば、伊藤博文をハンピン駅で暗殺した安重根は死刑となりましたが、韓国内では英雄扱いです。

論理的な飛躍が一番あるのは、合祀すると、どうして「戦前の歴史を正当化」することになるのかということです。その辺りについて靖国神社は「見解」(2004年)を発表しています――「所謂(いわゆる)A級戦犯の方々の神霊の合祀は、昭和二十八年五月の第十六回国会決議により、すべての戦犯の方々が赦免されたことに基づきなされたものです。過去の歴史認識に対しては、夫々のお気持ちがあると思いますが、靖國神社は国家のために尊い生命を捧げられた神霊をひたすらお慰めし、顕彰する神社であります」。

「合祀」は慰霊のあり方です。靖国神社に限らず、日本は伝統的に同じ戦場で命を失くした人たちを敵味方関係なく平等に弔うという考え方です。指導的立場の者、多く敵兵を殺した者、単に犠牲になった者というように区別して慰霊をする訳にはいかないし、そんなことをすればおかしな話になってきます。そういった慰霊の仕方と戦争をどう評価するかは別次元の話なのに、それを引っつけようとしているだけです。

そもそも、合祀は神道の用語ですが、その意味は祭神を合わせて祀ることを言い、英霊たちを祀ること自体を合祀とは言わないので、当然分けるという考えもありません。だから、靖国神社は「分祀」という言葉はないと言っています。A級戦犯だけを横に除けて別のところでお祀りして、というように観念的に思うかもしれないのですが、そういうことはできないし不遜であるということです

意味を捻じ曲げた上に、「分祀」という言葉を作り出して、そこに侵略戦争というキーワードを結び付けて一つの理屈を作って、政権攻撃の材料としているだけの話です。

  対外的な戦後処理はすべて終わっている

75年前に終わった戦争について、関係国との戦争処理は国際法的にはすべて終わっています1951年(発効は1952年)のサンフランシスコ条約で日本国と連合国48ヶ国との講和が成立しています。この条約の発効により、日本国は主権を回復しました。

講和条約というのは、簡単に言えば仲直り条約です。戦争の後、結ばれるものです。その後、ソ連と日ソ共同宣言(1956)、韓国と日韓基本条約(1965)を結び、中国とは日中平和友好条約(1978)を結んでいます。中国とは、仲良し条約まで結んでいます。周辺各国との戦後処理はすべて終わっているのです

「首相式辞『歴史と向き合う』消える」(『東京』)、「首相の式辞から『歴史』という言葉が消えた」(『朝日』)と大騒ぎをしていますが、何を問題にしているのかと思います。戦後処理は基本的にすべて終わっているのです。

もう時代は21世紀、令和の時代です。新しい地球環境の中で、他国とはどのような協力関係を築けるかを論じる時代だと思います。そして、国内においては新たな飛躍を求めて国民の総力を結集して、教育、科学技術の発展、経済の発展をはかるべきですが、ここ30年すべての面において停滞しています

日本の発展をひたすら願い、その尊い命をこの国に捧げた人たちがいることを忘れないで欲しいと思います。英霊の死を無駄にしない、英霊に感謝するのは当たり前のこと。閣僚だけではなく、国会議員全員が靖国神社に参拝に行くのが当たり前です。

少なくとも、内閣総理大臣と閣僚全員が靖国神社に参拝に行くべきだと思います。そういうことをきちんとしないから、いろいろな厄災がこの国を襲うし、停滞するのです。中国や朝鮮半島、外部の国の意見を聞く必要は全くありません。誰をどのように祀るのかは、純粋に国内の問題だからです

 

 『朝日』こそ戦争責任をとるべき

第二次世界大戦の開戦時の日米の経済規模を調べると、アメリカは日本の約4倍です。もともと無謀な戦いを始めてしまったので、どの時点で講和に持ち込んで終わらせるかを絶えず考える必要があったのです。ところが、陸軍と海軍がバラバラに動いてしまっています。太平洋で戦いたいのか、中国大陸で戦いたいのか、分からないような戦争を続け、無駄に兵力を失くしてしまっています。

この状況をある程度離れて分析的、かつ客観的に見る事が出来たのは、新聞社だと思います。戦況を総合的に判断して、場合によっては戦争中止の世論を喚起する記事を書く使命があったと思います

ところが、常に戦意を高めることだけを考えて記事を書いていたのが『朝日新聞』です

今は、白々しく、歴史に向き合えと言っていますが、実は70数年前の戦争中、「過激」な記事を書いていたのです

『朝日新聞の戦争責任』(太田出版.1995年)という本があります。この本は、戦時中の朝日の記事を集めて編集した本です。いくつか紹介します。

サイパン、硫黄島、ルソン島を攻略され、制空権を握られ段々日本が米軍に追い詰められてきます。昭和20年3月10日に東京大空襲があり、何十万人という人が犠牲になりますがその2日前の『朝日』の社説です―ー「……本土決戦こそは大東亜戦争の勝敗を決すべき神機といえよう。しかし、本土決戦においては第一戦に戦うものは皇軍勇士のみではなく、銃後国民も第一線将士とともに文字通り銃をとって戦わねばならぬことももちろんであるが、何をおいても本土防衛態勢の確立に全幅の協力を払い、本土を鉄壁の要塞化たらしめることが最大の責務である……」(1945.3.8)。

「沖縄決戦に総進撃せん」(1945.5.15)という社説が出ます―ー「沖縄決戦は九州のそれ(決戦)でもある。西部日本の、否、ひいては全日本の勝敗の岐路である。……いまして起(た)たずんば、機を失するの危惧なしとしない。天の時、人の和、地の利ともに我に有る。物は遺憾ながら敵に比較して乏しいであろう。しかし少ない物でも使いようである。……」。

広島に原爆が投下された後に書かれた記事です―ー「敵は新型爆弾使用開始とともに各種の誇大なる宣伝を行い、既にトルーマンのごときも新型爆弾使用に関する声明を発表しているが、これに迷うことなく各自はそれぞれ強い敵愾心をもって防空対策を強化せねばならぬ」(1945.8.8)

原爆投下後も戦えと言っています。このことに対して、戦時下の言論統制のため仕方がなかったのではないかという意見がありますが、「この見方は一面的である。なぜなら当時の紙面を読むと、朝日新聞には積極的に戦争を讃美し、自ら進んで戦争を推進した事実があるからである。戦争を讃美し、煽る行為は言論統制だけでは説明できない」(「はじめに」『朝日新聞の戦争責任』)

確かに、朝日の戦争報道でよく使われる言葉が「玉砕」という言葉です。この言葉の語源は中国ですが、中国では玉は価値ある物の代名詞です。意味的には全滅ということですが、死を美化しているのです――「苟(いやしく)も日本人たる以上、例外なく『玉砕』の精神がその血管内に脈打っている事実がここに立証せられたといえる」。アッツ島全滅の報道の際の「朝日」のコラム記事です。

『朝日』の狙いは昔も今も変わっていません。日本壊滅だと思っています

読んでいただき、ありがとうございました。

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