(アイキャッチ画像はニコニコニュースより。この記事は3/11日に書きました)
先日、帰還困難区域の住民の方へのアンケートの調査結果が出ていました。戻りたい8%、戻りたいが戻れない22%、戻らない49%です。この数字をどう見るかです。
9年間に及ぶ避難先での生活で、新しい生き方を見つけたり様々な人間関係を作ったりした人がいると思います。
その中の人たちが、戻れないだろうと考えているのでしょうね。
「富岡町災害復興計画」が出されています。復興に向けての青写真が描かれていますので、後はそれを最初から最後まで責任をもってコーディネートできるかどうかだと思います。実は、現場で仕切る人が一番大変だと思います。
都市構想(「シテイ構想」)は地に足が着いたものにする必要あり
21世紀の街づくりはどうあるべきか、という議論の中で生み出された構想として、スマートシティ、コンパクトシティ、スーパーシティ(以下「シティ構想」)という様々な言葉が生まれました。都市づくりの構想に絡んでの言葉です。スマートシティとコンパクトシティは、ほぼ同じ意味として使われていると思います。簡単に言えば、生活の利便性を高めるために、都市機能を駅周辺や中心部にまとめた街づくりをしようという構想です。
スーパーシティについては、およそ1年前(2019年2月)に「『スーパーシティ』構想の実現に向けた有識者懇談会」が最終報告を出しています。これはネットで見ることができます。その中で、「これまで日本国内において、スマートシティや近未来技術実証特区などの取組があった。…(略)…『スーパーシティ』は、これらとは次元が異なり、『丸ごと未来都市を作る』ことを目指す」とのことです。簡単に言えば、データとネットワークを活用した高機能の街づくり構想です。ドバイやシンガポールで、先進的に取り組み始めているそうです。そのため、「世界に先駆けて『スーパーシティ』を実現し、世界にモデルを示すため、早急に取り組む必要がある」と、論理が飛躍してますが、かなり前のめりになっていることは確かです。
それはともかくとして、そういった街づくり構想と都市の災害復興計画が離れたところで議論し、それぞれ勝手に動いています。構想にどのような名称をつけても構わないと思うのですが、その構想が現実の社会の中で役に立たなければ意味がありません。構想自体に普遍性があるかどうかを試す意味でも、時には災害復興計画の中にあてはめて考える必要があると思います。
シティ構想の最大の問題点は、「土と緑と曲線」そして、「コミュニケーションと文化」の視点が欠落していること
シティ構想の最大の問題点は、「土」と「緑」と「曲線」がないことです。日本人は農耕民族なので、土と緑と曲線を無意識のうちに追い求め、それらに囲まれることにより精神的な安定を得ています。「曲線」が分かりにくいかもしれませんが、城の内外に曲輪(くるわ)と言って曲線で囲んだ区域を意識的に作りました。
そのように、日本民族の特性を充分踏まえた街づくりをしないと、上物とシステムは作ったものの都市が老朽化した後は、誰もいないゴーストタウンになってしまいます。
シティ構想の根底には、都市機能を高め、すべてのものとネットワークで繋いで利便性を高めれば人は集まって来るという一種の思い込みがあります。その発想で行ったのが市町村合併です。戦後の「昭和の大合併」に続く「平成の大合併」の狙いは行政の効率化をはかって財政を再建し、機能を集積化して魅力的な街づくりをして周辺から人を呼び込もうと考えたのです。それと同時並行で公立小、中学校の統廃合を行いました。どこかの時点で、その総括をする必要があると思っていますが、私の掴んでいるデータを見る限りは、目論見は上手く行っていません。
不自然な地区割りや学区割りをすることによって、住民の心が離れ、人口減が進んだ地域が多く出ています。それが、日本全体に及んで、人口減が加速しています。昨年度の東京都の合計特殊出生率は、1.2です。人を集積しても、ラブストーリーは生まれませんし、人口減は解消しません。日本人は、結構デリケートな民族なので、単純な発想による街づくりは失敗するだけです。
③地域独自の発想を生かした街づくりに企業も参画を
「地方分権一括法」がスタートして20年が経ちます。この法律により、地域独自の発想と工夫により、特色ある街づくりも可能となりました。それまでは、全国一律の規制のため、土地利用において例外は認められませんでしたが、条例を制定することにより地域主導の街づくりの展望が出てきました。企業もそういった復興事業に参画できる途も開かれていますし、まさに今流行(はやり)のSDGsで掲げられた理念に適った事業だと思います。
日本人は農耕民族のDNAを背負っていますので、基本的にはコンクリートジャングルとは相性が悪いと思います。農耕民族に必要なものは、「土と緑と曲線」そして、「コミュニケーションと文化」です。これらが共同体に揃った時に、そこを故郷と感じるようになります。「ウサギ追いしかの山」の世界なのです。ビル街には、カラスはいてもウサギはいません。3.11から9年。津波の悲しい記憶や放射能の恐怖がありつつも、それでも帰りたいと思うのは、そこを故郷と感じているからです。
地震発生時刻の14時46分に、宮城県名取市の震災メモリアル公園上空に大きな虹がかかりました。
真の復興を天も応援していると思います。
読んで頂きありがとうございました