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終わろうとしているのは「資本主義」なのか ――『資本主義の終焉』という問いを問い直す / 限界を迎えているのは「資本主義」ではなく「中央集権」

「『資本主義の終焉と歴史の危機』という書について、もう少し深堀りしたいと思います」

女性

「資本主義終焉の理由は何だと言っているのですか?」

「資本主義が終焉を迎えている最大の根拠として挙げられているのは「超長期にわたるゼロ金利(利子率の極端な低下))です」

女性

「ゼロ金利どころか、今は日本も含めて、世界的に金利が上昇する局面にあります。私なんかは、金利が上がって困ったなと思っている一人です」

「そもそも、金利というのは上がったり、下がったりするものです。それが一時的に下がったからと言って、「終焉」というのは、おかしいと思います」

女性

「そうですよね。それ以外に「終焉」の原因として、どのようなことを挙げているのですか?」

「グローバライゼーションが地球全体に行き渡った結果による地理的・物的に新しく開拓できるフロンティアの消失です」

女性

「フロンティアというのは、どういう意味ですか?」

「古くはアメリカ大陸、近年では中国、インドあたりを想定していると思います。ただ、物理的なフロンティアは無くなっても、今はIT・AIの時代です。空間的なフロンティアは、無限に広がっていると思います」

女性

「スペースXのように宇宙に市場を求める企業が出現しましたからね」

「サービス・ネット空間、バーチャル空間、宇宙空間など、フロンティアとして開発できるものは、無限にあると思います」

女性

「ここからが本論です ↓ 表紙「www.amazon.co.jp」提供です」」

 フロンティアは「発見」するものである

『資本主義の終焉と歴史の危機』の著者の水野氏は、物質的な取引が行われる市場だけを考えていたようですが、発想を変えれば、市場はいくらでも開拓できます。例えば、イーロン・マスク氏が創業したスペースXは、2026年6月、創業から24年を経てナスダック市場に上場しました。その当時に、宇宙空間を今後のビジネスのフロンティアと考えていた発想力には驚かされますが、宇宙空間から地球への情報発信ということでのビジネス戦略を考えていたことによる創業だったと思います。

彼はほぼ同時期に、創業間もないテスラに出資し、経営に参画しています。電気自動車、宇宙開発、衛星通信――それぞれは別個の事業として始まりましたが、技術が発展するにつれて、AI、通信、位置情報、モビリティといった分野が相互に結びつく可能性が生まれています。重要なのは、マスク氏が最初から現在のすべてを見通していたかどうかではありません。新しい技術が生まれるたびに、それまで別々だった産業が結びつき、そこに新しい市場が生まれるということです。つまり、フロンティアとは地理的な「未開拓地」だけを意味するものではありません。技術と技術の組み合わせそのものが、新しいフロンティアを生み出すのです。

また、3Dを使ったバーチャル空間を実用化するためのソフト開発がこれから急ピッチで行われることでしょう。防災、ゲーム、娯楽、スポーツなど、どういった分野のソフトを開発するのか、まさに発想力が求められていると思います。それから、AIの出現は新たな市場を予感させます。例えば、自動運転ですが、AIを自動車に搭載させ、位置情報を正確につかむために、宇宙空間から情報を取り込む必要があります。サイバー空間と宇宙空間のコラボによるビジネス・フロンティアが広がります。

水野氏が主として念頭に置いているのは、資本が進出できる地理的・空間的フロンティアです。しかし、現代のフロンティアを地理的空間だけに限定する必要があるのでしょうか。技術革新によって生まれる「機能的フロンティア」「情報的フロンティア」もまた、市場の拡大と考えるべきではないでしょうか。要するに、どの分野で、何をどのように使うのか、発想力が重要だということです。フロンティアは、このように発想次第で無限に広がるものだと思っています。限界と思った瞬間に、人は考えることを止めます。諦めないで、頭を捻りだすことが重要です。

(「日本経済新聞」)

 「成長」は資本主義が生んだ欲望なのか

水野氏の議論にはマルクス経済学(あるいは近代資本主義の構造を歴史のひとつの「一過性のエポック」と見る視点/下図参照)の強い影響が見られます。彼自身はマルクス主義者(社会主義の実現を目指す活動家)を標榜しているわけではありませんが、その分析には、資本主義を永続的な制度ではなく、歴史的に成立し、やがて終焉する一つの歴史段階として捉える発想が色濃く見られます。その意味では、マルクス経済学の歴史段階論と通底する部分があります。

彼の論理というのは、資本というのは、無限の自己増殖をしようとするものという前提があり、フロンティアが失われたのだから自己増殖できない、つまり資本主義の限界ということを考えたと思われます。資本主義社会は、常に成長(増殖)を追い求め続けなければならない構造的な宿命をもった社会であり、異常な社会であると考えます。そのため、成熟(ゼロ金利・低成長)を受け入れた、資本主義とは違う『新しい社会のルール』に移行すべきだ、そうしなければ、無理な成長を追い求めて社会が壊れてしまう(歴史の危機)」というのが水野氏の論理です。経済学というよりは「文明論」的な危機感が根底にあります。

しかし、成長や増殖を追い求める動機は、現代社会の構造(システム)が押し付けたものではなく、人間が生来持っている「向上心」や「努力を尊ぶ感情」に根ざした極めて正常な姿なのではないでしょうか。もちろん、人間の向上心と資本の自己増殖運動を同一視することはできません。しかし、経済成長をすべて資本主義という制度が人間に強制した結果として理解することにも無理があります。

右肩上がりを目指して目標を高く掲げて努力をする、というのは、古今東西のあらゆる文明を発展させてきた人類の普遍的なエネルギー(向上心)そのものです。それを「システムが強制する狂気や呪縛」と断じる水野氏のような見方は、人間の内発的なダイナミズムや倫理観を無視した見解と言わざるを得ません。判断する「座標軸」が間違っているのではないかと思われます。

(「Kogensha News App」)

 限界を迎えているのは「資本主義」ではなく「中央集権」

むしろ問題は、資本主義という枠内で考えていることにあると思います。資本主義ではなく、中央集権体制の問題に惹きつけて考えるべき問題だと思います。経済や社会のシステムは自動的に動いているのではなく、それを設計し、運用する「官僚機構」という具体的な主体の意思と力学によって作られているからです。水野氏の議論はグローバルな資本の動きや歴史の潮流というマクロな視点に終始しがちで、「では、日本という具体的な国家を誰がどう運営しているのか」という制度論や国内の権力構造(ガバナンス)の視点が抜け落ちています。

日本における市場経済の制度設計――税制、社会保障、産業規制、地方財政、許認可など――に官僚機構が大きな影響力を持ってきたことは否定できません。日本の権力機構は、自民党(政)・官僚(官)・財界(財)の「鉄の三角形」の中で、それぞれが多数派工作をしながら、その力関係によって時々の政治的課題が消化されています。今は、官邸筋に力があるため、官僚組織の影が薄くなっていますが、この状態がいつまで続くか分かりません。

水野氏のような経済決定論(すべてを資本主義のせいにする論理)が完全に見落としているのが、この統治システムです。資本主義の浸透ではなく、160年続いた中央集権国家のシステム疲労が目立つようになってきました。明治維新(1868年)を経て、1871年の廃藩置県以降、日本は中央集権国家の構築を急速に進めたのです。「東京一極集中・中央集権」のピラミッド型システムを構築し、官僚機構が地方をコントロールしながら、欧米へのキャッチアップと戦後復興・高度経済成長を一気に成し遂げましたが、その反動で地方の衰退が叫ばれ始めています。このおよそ160年間の成功を支えたシステムが、まさに今、限界(システム疲労)に達して各所で綻びを見せているのです。

(「Yahoo!ニュース-Yahoo!JAPAN」)

 明治以来の国家システムが限界を迎えている

中央が全国一律のルールやインフラを設計し、予算を分配する中央集権システムは、全国の人口が増えていた時代には効率的でした。しかし、人口減少と少子高齢化という局面に至り、中央の官僚機構が机上で作った「一律の政策」では、多様化する地方の現場(過疎化、産業衰退、インフラ維持の限界)を支えきれなくなっています。東京への一極集中を是正できないのも、この中央集権の重力から抜け出せないためです。

今日の日本が直面している危機の重要な原因の一つは、市場経済の機能不全などではなく、約160年間マイナーチェンジだけで持たせてきた中央集権という国家システムが、どの段階で物理的・組織的に維持不可能(破綻)になるかという統治のフェーズの問題です。原始時代に戻るわけにはいかない以上、この中央集権システムが限界を迎えた先には、たとえ格差や混迷があろうとも、自由市場経済の基盤を残したまま「新しい統治の形(例えば、地方への権限・財源の大幅な移譲や、より小さく分散された統治システム)」へと、この国は否応なく向かわざるを得ないことになると思っています。

水野氏が問いかけた「資本主義の終焉」という問題は、決して軽いものではありません。しかし、終わろうとしているものを見極めるためには、まず何が限界を迎えているのかを正確に切り分ける必要があります。市場そのものが限界なのか、成長という人間の営みが限界なのか、それとも、明治以来ほぼ同じ基本構造を維持してきた国家の統治システムが限界なのか。

私は、最後の問題こそ、現在の日本が正面から考えなければならない課題だと思っています。フロンティアが消えたのではありません。人間の向上心が失われたのでもありません。新しい時代に合わせて、それを生かす国家の仕組みを作り直すことができていないのです。「資本主義の終焉」を論じる前に、「中央集権の終焉」を考える――。そこから始めた方が、日本の「歴史の危機」の正体に近づけるのではないでしょうか。

(「中学受験ナビ」)

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