ようこそ日本の危機へ!このブログでは主に最新のニュース、政治、教育問題を取り上げております。

米中接近が日本に突きつけたもの ―― 同盟・歴史認識・戦後日本を問い直す / 「中国は第二次大戦の同盟国」トランプ発言から考える日本の自画像

「アメリカは機を見て敏な国だと、つくづく思いました」

女性

「トランプ大統領のことを言っているのですか?」

「米中首脳会談が行われましたが、日米首脳会談の時の表情とまったく違っていました」

女性

「本心は隠すことが出来ても、表情は隠すことが出来ませんからね。彼は共産党ぎらいだったと思っていたので、厚遇ぶりに少し驚きました」

「中国は共産主義のイデオロギーをかなり捨てていると思います。トランプはその辺りを認識して周主席と接していると思います」

女性

「成果は殆どなかったと言われていますが、どのように評価していますか?」

「日本を切り離しにかかっていると思いました」

女性

「どういうことですか?」

「アメリカは合理主義の国です。自分たちにとって役に立つかどうかで判断するところがあります」

女性

「日本は中国に完全に引き離されてしまいましたからね」

「日本は米軍が抑えているので、特に何もしなくても良い。問題は大国にのし上がってきた中国です。その首脳と外交を重ねるということだと思います」

女性

「ここからが本論です ↓表紙写真は「まぐまぐ」の提供です」

 「中国は同盟国だった」――米中融和が揺さぶった日本の同盟観

2026年9月24日〜25日の習主席の訪米・国賓訪問の中で米中首脳会談が行われました。従来の対立一辺倒の雰囲気とは異なり、異例の「融和・親密ムード」が演出されたことから、国内外の専門家やメディアの間でも今後の世界戦略や同盟関係への影響を巡り様々な議論を呼んでいます。

トランプ大統領は、習主席が到着した空軍基地へ自ら出迎えに赴きました。そのように米国大統領が基地で来賓を出迎えるのは1962年以来、64年ぶりの極めて異例の厚遇でした。そして、驚かされたのは、トランプ大統領の歓迎式典のスピーチです。第2次世界大戦時に「中国は米国の同盟国だった」と言及し、事前に周到に準備された台本に基づいて米中共同の戦勝の歴史を称えました。

習主席の「抗日歴史観」に呼応するようなこの姿勢は、結果として、第二次大戦期の日本を共通の敵として戦った米中の歴史を想起させる演出となりました。米中首脳会談の直前に高市首相と確認した「日米同盟の絆」は一体何だったのかと多くの人が思ったことでしょう。そして、この会談が「G2(米中2大国)による世界支配への動き」なのか、あるいは「単なる演出(パフォーマンス)」なのかについては、見方が分かれていますが、少なくとも中国が、経済・軍事・AI・外交のいずれにおいても、米国が直接向き合わざるを得ない大国になったことは否定できません。そのような発言が出るということは、日本はある程度コントロールできるという自信があるのかもしれません。それが「米国の同盟国」発言に繋がったと思われます。

(「TVer」)

 AI時代の米中関係と相対化される日本

当時、日本と戦っていた「中国」は中華民国政府でした。1949年に中華人民共和国が成立し、中華民国政府は台湾へ移りました。厳密に言えば、当時米国とともに日本と戦った中国政府は、1949年に成立した中華人民共和国ではなく中華民国政府でした。それでもトランプ大統領が現在の中国を前に「同盟国だった」という歴史を持ち出したところに、今回の演出の政治的意味があります。史実を間違えていると指摘するのは簡単かもしれませんが、日本も我が身を振り返って反省すべきは反省した方が良いのではないかと思います。米中がここに来て急接近したのは、AIを中心とする次世代イノベーションのインフラをめぐって、お互い競争相手であり協力相手だと認識し始めたからです。

大量のデータ、巨大な市場、そして超知能(ASI)開発への巨額の投資余力を持つ中国は、アメリカにとって「封じ込める対象」であると同時に、「衝突すれば共倒れになる最大の利害関係者」です。そのため、ルール作りや危機の管理は日本を介さず、米中が直接トップダウンで協議する方が合理的であると判断していると思われます。

「失われた30年」と言われ、それがもしかしたら40年になるかもしれないと囁かれている国が日本です。少子化・人口減が進行し、経済成長の停滞が続く日本に対し、米国はかつてのような「対等な経済・政治パートナー」ではなく、米国の戦略を支える実務的な補完装置として扱おうとしているかのように見えます。

半導体や製造業の基盤として日本を利用しつつも、主要なイノベーションの果実(AIソフトやプラットフォーム)は米国が握る構造です。日本には防衛費増額や自衛隊の役割拡大を求め、米国のコスト負担を減らさせます。一方、日本の安全保障政策を日米同盟の枠組みの中に置き、米国にとって予見可能なものにしておくことも、米国の戦略的利益にかないます。油断をせず、手のひらの中で上手く操ろうとしているかのように見えます。

(「note」)

 他国を論じる前に、日本自身の「自画像」を描き直す

日本は対等な同盟と思っているかもしれませんが、アメリカは決してそうは思っていないでしょう。そういった本音が今回出てしまったと思われます。考えてみれば、日米は80数年前に死闘を演じました。日本は、その戦争をはさんで明治維新以来、現在まで同質の政権が継続していると捉えることもできます。政治学・憲法学では戦前国家と戦後国家を区別して考えるのが一般的かもしれません。しかし、現在の日本国憲法は、形式上は大日本帝国憲法の改正手続を経て制定されたものです。したがって、1945年を境に、それまでの国家が消滅し、まったく別の国家が誕生したと単純に捉えることもできません。

もちろん、統治の仕組みは大きく変わりました。大日本帝国憲法が天皇に「統治権ヲ総攬」すると規定していたのに対し、日本国憲法は「主権の存する日本国民」と明記し、天皇には国政に関する権能がないとしています。その意味で、統治原理には大きな転換がありました。しかし一方で、皇統は維持され、天皇という国家を象徴する地位も存続しました。法律や条約の公布、国会の召集、内閣総理大臣の任命、外国大使の接受など、国家の形式的・儀礼的行為を天皇が担う構造も残されています。そう考えると、戦前と戦後の日本を「完全な断絶」と捉えるだけでは、説明し切れない部分があります。

むしろ日本の戦後体制は、国家としての一定の連続性を保ちながら、その統治原理を大きく転換したものと捉える方が実態に近いのではないでしょうか。敗戦はあっても、革命が起きていないからです。実際に現在、与党の地位にあるのが、自民党と維新です。今後も政権を維持するのであれば、明治以降の歩みについてきちんと総括をする必要があります。

日本の文化的特徴を見れば分かるように、江戸時代までは自然に優しい「和の国」の道を歩んできました。ところが、明治になって、突然、「強国」を目指します。富国強兵を掲げて帝国戦争に乗り出したのです。敗戦によって米軍の占領が始まり、その中で今の平和憲法が制定されましたが、自らの反省の基に制定したものではありません。要するに、国としてきちんと総括をしていないため、他国、特に隣国との認識が一致していないのです。

つまり、富国強兵の「看板」を掲げたことが正着だったのか、そしてその「看板」は未だに掲げたままなのか、取り下げたのか、最低限その2つのことを明らかにする必要があります。それが明らかになっていないため、隣国から何かの度に言われてしまうのです。韓国からは「歴史認識」と言われ、最近では中国の「新軍国主義」です。

今こそ日本自身が自らの前に鏡を置き、明治から戦前、敗戦、そして戦後へと続く自国の歩みを正面から見つめ直す必要があります。他国から映し出された日本像ではなく、自分たち自身の手で、日本という国の「自画像」の輪郭を描き直す時期に来ているのではないでしょうか。

(「New’s World -はてなブログ」)

読んでいただきありがとうございました。

よろしければ「ブログ村」のクリックをお願いします。
↓

にほんブログ村 教育ブログ 教育論・教育問題へ
にほんブログ村

最新情報をチェックしよう!