
「人新世の『資本論』」の著者の斎藤幸平氏が絶賛しているというので、買ってきた本が『資本主義の終焉と歴史の危機』です。29万部を突破したということです」

「読んでみて、どうでしたか?」

「今から16年前に書かれた本にも関わらず、売れ続けていることに敬意を表しますが、内容的にはいろいろ問題があります」

「資本主義の終焉と書かれているので、「えっ」と思って買う人もいるのではないでしょうか?」

「思想的にそういう考え方の人もいますので、飛びついた人もいると思います。本論で書きますが、結論的に言うと、人類が続く限り資本主義の終焉はありません」

「そうなんですか!?」

「そもそも資本主義というネーミング自体が問題があるというか、不適切だと思っています。本来は、自由市場経済です。資本主義の言葉は、1840年代から50年代にかけてフランスの社会主義者たちの間から生まれた言葉です」

「元々、希望的観測が入った言葉なんですね」

「そうですね。その後マルクスによって「封建主義→資本主義→社会主義」という唯物史観の公式が出てきます。資本主義の次があると思い始めた人も出てきたのです」

「今は苦しいけれど、やがて「夜明け」が来るというイメージですかね」

「そうですね。「夜明けは近い、夜明けは近い」と歌う労働歌もありますからね」

「ここからが本論です ↓表紙は「www.amazon.co.jp」提供です」
「資本主義」とは、そもそも何を意味するのか
人類が地上に誕生したと同時に、食べて寝てという基本的生命維持活動が行われ始めますが、すぐにそのための食料や材料、さらには道具作りが始まります。そして少しのタイムラグを挟んで物々交換が行われるようになりました。社会が複雑になるにつれて貨幣が広く利用されるようになり、財やサービスを交換する市場も発達していきます。近代になり、工場の中に機械を導入して、様々な製品を大量生産するようになります。そうなると、それらを準備するために多くの資金(資本)が必要となります。資本主義という言葉は、このような社会状況から生まれた言葉です。
世界的には、18世紀から19世紀にかけて産業革命が起こります。産業革命によって資本を大規模に集積する生産形態が発達し、それを背景として19世紀に「資本主義」という概念が形成されていきました。マルクス(1818~83)が登場したのも、この頃です。マルクスは『資本論』の中では「資本制的生産様式」という言葉を使っており、資本主義という言葉を使っていません。だから『資本論』の中で批判的に「搾取」という言葉を使って説明していたのは「資本制的生産様式」であるということです。資本主義そのものではないということです。
『資本論』の冒頭は「商品」の分析から始まっています。商品の価格はどのようにして決まるのか、そのメカニズムについて書いています。マルクスは、労働者が資本家に売るものを「労働」そのものではなく「労働力」と考えました。労働者は賃金として労働力の価値を受け取りますが、労働時間の中では、その賃金に相当する価値を生み出すために必要な時間を超えて働きます。マルクスは、この超過部分から生み出される価値を「剰余価値」と呼び、それが利潤などの源泉になると考えました。労働を必要労働と剰余労働とに分けて考え、剰余労働の分が資本家に搾取されると考えたのです。
ただ、これはあくまでも、彼が言うところの「資本制的生産様式」に当てはめた上での考えであって、資本主義社会全般に普遍的に通じる法則ではありません。『資本論』には、サービスについて、商品のような細かい分析がありません。サービスについては、搾取のメカニズムが上手く説明できないと思ったからでしょう。そのように、あくまでも特定の商品の生産様式に当てはめた上での考えだということです。

(「紙魚のつぶやき-Seesaa)
「資本主義」という言葉はどのように生まれたのか
「資本主義」という言葉は、資本主義を擁護する側(資本家など)が自称したものではありません。主義というのは、一つの考えや思想という意味合いが含まれていますので、資本に主義を付けることに違和感を抱く人がいると思います。それもそのはずで、もともとは社会主義という言葉が先行して生まれ、そのアンチとして出てきた言葉が資本主義だったのです。
1830年代にロバート・オーエン(イギリス)やサン・シモン(フランス)といった人たちが登場し、労働環境や社会環境の改善に努力をします。例えば、ロバート・オーエンは工場経営者でありながら、労働者の環境改善に尽力します。1825年にはアメリカ・インディアナ州で教育や福祉が整った「協同の共同体(ニューハルモニー)」を築く試みをしています。そういった彼の考えを支持する人々が発行した『協同組合マガジン』という雑誌の中に社会主義者という言葉が使われています。個人の利益を最優先する「個人主義(Individualism)」の対義語として、社会全体や共同体を重んじる自分たちのスタンスをそう呼んだのです。そのように、既存の経済社会のあり方を批判的に把握する概念として「社会主義」という言葉が先に形成され、その後、「資本主義」という言葉が編み出されたのです。
このように「資本主義」という言葉が生まれた当初は、現代のような効率的な経済システム全体を指す言葉ではなく、排他的で特権的というニュアンスが込められていたのです。そして、そのような社会であれば、打倒すべきと考えたのがマルクス、エンゲルスだったのです。マルクスは、初期の社会主義者たちの実践と問題意識を高く評価する一方で、社会改良の具体的な方法が欠けているということで彼らの考えを「空想的社会主義」と呼び、自らの思想(科学的社会主義)と区別したのです。

(「新刊ビジネス書の要約『TOPPOINT(トップポイント)」)
「科学」が空想になり、「空想」が科学になった
マルクスが『資本論』を著してから約150年、皮肉にも「空想的社会主義」と呼ばれていたものが科学的となり、「科学的社会主義」と呼んでいたものが空想的になってしまいました。オーエンらが重視した教育、福祉、協同組合、労働環境の改善といった社会改良の手法は、その後の資本主義社会の中に取り込まれていった一方、マルクスが考えていた革命主体の労働者階級は現代においては実体がありません。階級というのは、固定的身分制度を前提にした言葉です。労働者として生涯暮らさなければいけない社会ではありません。会社勤めがイヤなら起業をすれば良いですし、今は少しの準備金で起業できます。だから、労働者はいますが、労働者階級は少なくとも先進国には存在しません。
マルクスの死後、社会主義・共産主義を掲げる国家がいくつも誕生しました。ソ連、中国、キューバ、北朝鮮、ベトナムなどです。これらの国々の多くは共産党などによる一党支配体制を採用しましたが、経済システムは国によって態様が異なります。市場原理を大幅に取り入れた国とそうでない国の2つに分かれました。
中国、ベトナムのように私企業の設立や外国資本や市場価格の導入を認める国と、ソ連、キューバ、北朝鮮のように、それらを極力排除した国とに分けることができます。前者は経済発展していますが、後者は経済的に苦しんでいます。ここに、これからの社会のあるべき姿のヒントが隠されているように思います。重要なのは「資本主義か社会主義か」ではなく、「市場原理をどの程度有効に活用し、何を規制するのか」という制度設計だと思われます。

(「www.amazon.co.jp」)
「資本主義 対 社会主義」という対立軸からの解放を
現代文明を支えるためには、資本集約によって生産・流通システムを整えるしかありません。それはもう、選択の余地がないことだと思います。要するに、社会主義を標榜していても、経済システムとして「資本主義」の特徴である自由市場の原理を採り入れなければ、経済活動そのものが立ち行かなくなるということです。その視点がなければ、国は衰亡するということです。そのことをソ連の経験で人類は学んだのではないでしょうか。しつこいかもしれませんが、資本主義、社会主義という問題ではないと思います。
人類は誕生とほぼ同時期から自由な市場をつくって、様々なモノを手に入れようとしてきました。より多くのモノを手に入れ、より利便性の高い社会で快適に暮らしたいという人類の思いと多くの資本が文明社会をつくる原動力となったのです。「資本主義が終焉するか」という命題を立てる人がいます。資本主義という「巨大な一語」の中に、資本・市場・競争・私有財産・企業・金融・株式会社・国家規制といった別々の制度が詰め込まれています。従って、21世紀の現代において本当に問うべきなのは「資本主義が終わるか」ではなく、これらをどのように組み合わせれば、豊かさと自由と社会的安定を手に入れることができるのかではないでしょうか。
そして、私たちは「資本主義とは何なのか」をもう一度問い直す必要があると思います。資本を蓄積し、それを生産や流通に投入することは、文明社会を運営するにおいて避けることは出来ません。20世紀の経験が教えてくれたのは、「資本主義か社会主義か」という二者択一ではなかったように思います。社会主義を掲げた中国やベトナムも市場メカニズムを導入し、資本を積極的に活用しています。今や中国は、世界第2位の経済大国です。一方、いわゆる資本主義国も社会保障、労働法、累進課税、独占禁止政策などを導入し、自由放任の経済とは大きく異なる姿になりました。
そう考えると、これから問われるべきは「資本主義の終焉」ではありません。資本と市場という人類が長い歴史の中で発達させてきた仕組みを、どのように使いこなすのか。その上で、競争と協同、自由と保障、成長と安定をどのように組み合わせるのか。21世紀の経済を考えるためには、「資本主義 対 社会主義」という20世紀の対立軸そのものから自由になる必要があると思われます。私たちは長い間、「資本主義か社会主義か」という問いを立ててきました。古くなったのは資本主義そのものではなく、この問いの立て方だと思われます。

(『メルカリ-Mercari』)
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